忘れられぬ夜

 リーリヤ中佐の許可を受けて、俺とマイラは地下食堂室に向かう。

 階段を下りる途中、違和感を覚えた。下が、みょうに暗いのだ。いつもなら食堂から漏れる光でもっと明るいはずなのに。

 それは先に進むマイラも同じ感覚を持ったのか、階段を下りた個所で止まってしまった。

 俺は足を速めて階段を下りきり、マイラの元に寄った。

「食堂に電気がついていないね。どういうことだろう……」

 地下が暗いのは、食堂室の電気がついていないからだ。今の時間、候補生のほとんどは夕食を済ませている。それでも調理担当の職員は残っているはずなのに。

 先ほどの中佐の発言とも矛盾している。彼女が嘘をつくとも思えない。

「きっと、何かの手違いで誰かが電気を消してしまったのさ。ともかく、中に入ろう」

 変に勘ぐり、立ち止まっていても仕方ないので、マイラを中に促す。

 俺たちは揃って中に入る。

 目を凝らし、照明のスイッチを探そうとした瞬間、室内がぱっと明るくなった。

「!?」

「マルス、マイラ、おかえり!」

 発光に驚く俺たちへ、すかさず声がかけられる。

 目をしっかりと開き、周りを見れば、候補生たちが半円に並んでいた。

「みんな……これは?」

 みんながいることは意外だったが、テーブルにずらっと料理、飲み物が並べてある。まるで、俺が初めて訪れた日の歓迎会のように。よく見れば、料理は肉、魚、野菜、デザートと種類が豊富で、飲み物はお酒も置いてあった。

「もちろん、先輩とイワンさんの送迎会です。今日一日、みんなで準備をしました!」

 俺の疑問に、エヴァが元気よく答える。

「みんな、僕たちのためにこれまで訓練の合間をぬって、計画していたらしいんだ」

 次に、イワンが教えてくれた。彼のことだ、自分の送迎会だとしても、見るだけに終わらず、手伝ったのだろう。

「本当だったらもっと早くに始める予定だったんだぜ。それがずいぶん待たされてなあ。こんな美味そうなメシと酒を前にして我慢しないといけないのは辛かった……」

 大尉はお腹を押さえて伝える。彼以外の候補生も、似たような表情をしていた。

「俺たちが帰ってくれるのを待っていてくれたんですね……ありがとうございます!」

 俺は感激して、頭を思い切り下げた。

 送迎会は本来ならば門限の午後6時には開始予定だったのだ。それが、みんなは3時間も待ってくれた。

「当然のことだ。イワンとお前たち、会の主役が揃わなければ意味がない」

「みんな、すまないな。発起人の俺も遅刻してしまって」

 背後から、中佐、クルスクの声が聞こえる。

 二人も食堂室に入って来た。

「中佐、クルスク、二人とも、知っていたんですね」

「そのとおりだ。まったく、慣れぬことをするものではないな。隠しごとなど、性にあわん」

「ああ。首都の出来事で、もしや……と思ったが、無駄にならずにすんでよかった。俺からも礼を言うよ。待っていてくれて、ありがとう」

 クルスクもみんなに頭を下げる。

「おお、あのチャーチフが素直に頭を下げるなんて珍しいもんだ。こりゃベロウソフともども今日何があったか聞かんとな」

「マイラちゃん、今日は先輩に何を買ってもらったんですか?」

 大尉、エヴァたち候補生が俺とマイラの元に近づく。

「えへへ、しゅーずをね、買ってもらったの」

「さて、時間も時間だ。会を始めようか……と、その前に」

 中佐はふっと俺の顔を見た。

「中佐、何か?」

「さきほど、私は言ったな。バツを受けてもらうと」

「は、はあ……」

「それが今だ。これから始まる会に、お前はして臨んでもらう」

「じょ――女装!? 中佐、意味が分かりません。どうして俺がそんな恰好をしないといけないのですか?」

「つべこべ言うな。上官の命令は絶対だ。総員、作戦を開始せよ!」

 中佐が右手を上げると、女性候補生5人は俺の周りを取り囲む。

「先輩、ごめんなさい……私は反対したんです!」

 エヴァは口では反対していても、右手には口紅、左手には手鏡を持っていた。

「エヴァ? 言っていることと行動が矛盾してるよ! マイラ、助けて……」

 俺はマイラに助けを求めようとした。

 しかし、彼女はイワンからチョコレートを受け取っている。

「はむはむ……ん~おいひぃ」

 もらったチョコレートに夢中で、俺のことなど眼中にない。

 イワンは俺を見て、もうしわけなさそうな顔をした。

 その表情を見て理解する。全ては計画通りだったのだ。

「あきらめろ、マルス。遅れたお前が悪い。ここは大人しく……ん?」

 ご愁傷様といった顔のクルスクに、女性候補生の一人が近づく。彼女の手にも、化粧道具が握られていた。

「チャーチフ、何を気取ったことを言っているの? 遅刻したのはあなたも同じでしょう。バツは等しく受けないとね」

「は? 俺が遅れたのは様々な要因が重なった結果であり、決して自己の怠慢では――」

「チャーチフ、言い訳はみっともないぞ。もしそれ以上喋るのなら、今日、お前が首都で誰と会っていたかをここにいる全員に話す」

「了解しました。任務を全力で承ります」

 中佐の口撃こうげきは、クルスクをあっさりと撃墜した。

「さあ、先輩、おとなしくしましょうね。初めては誰だって怖いけど、私がちゃんとあなたを……はぁ、はぁ……」

 エヴァが迫る。鼻息は荒く、目も血走っている。

「ひっ――あっ……」


 その後、催された送迎会にクルスクと俺は化粧して、女装メイド姿で参加する。各人の杯に飲料をつぎ、食事の皿を運んだ。

 お酒のまわった中佐は私物の服を持ち出し、俺に着替えさせた。それらは、ふだんの中佐からは想像できないほどのかわいらしい服だったのだ。

 送迎会の趣旨は変わり、いつのまにか俺の女装ファッションショーとなった。

 そんな俺を見て、女性陣は「赤髪の美少女……かわいい……」「男にしておくのがもったいないわ!」、男性陣は「男だと知らなければ絶対に誘っている」「いや、男でも……」と、称賛(というには複雑な気分)を送る。

 そうして、出発前の夜は更けていった。



「……はぁ、良くも悪くも、昨晩の会は記憶に留まりそうだよ。写真も何枚も撮られていたし、将来、それが何に使われるかと思うと……」

 忘れたくても忘れられない夜に、俺の身体はふるふると揺れる。

「でも、わたし、すっごく楽しかった! おいしいもの、いーっぱい食べれたし」

 マイラはきゃっきゃと声を弾ませて言った。

「それに、みんなまるすのことを想って送迎会を開いてくれたんだよ」

「うん。あの人たちと星への始発駅でともに過ごせて良かった。ここに来たばかりころは、正直、不安もあったんだ」

 俺は5月に星への始発駅に初めて訪れた日を思い浮かべる。

 迎えに現れたリーリヤ中佐に、俺は面食らった。歴戦の軍人のたたずまいに尻込みしたのだ。

 それから候補生たちに挨拶をして、エヴァとの思わぬ再会もあった。

 昼休み、後の親友となるイワン、クルスクとの出会い。クルスク……には、良い印象は無かったけれども。

 実際に訓練は始まり、俺はあろうことか途中で体力が尽きてしまったのだ。しかも、吐いてしまう。

「……訓練初日のことは鮮明に浮かぶよ。あの時の俺はまだ卵の殻さえ自分で破れなかったヒナだった」

「はじめは誰だって同じだよ。それから、まるすは挑戦して、時には挫折しかけたこともあったけど、諦めなかった。わたしは、ずっと見ていたから」

「ありがとう。俺一人の力だけじゃない。君と、みんながいたからなんだ」

 俺ははじめにマイラを、次に通路の先を見る。この宿舎で過ごした日々はかけがえのないものだった。みな、今は眠っているのだろう。

 ――ありがとう、湿っぽい別れにならぬように、気を遣ってくれて。帰ってきたら、またバカが出来るといいな。

「……さて、そろそろ時間だ。イワンはもう外に出たのかな? 待っているかもしれないから、俺たちも行こう」

 俺とマイラは歩き、階段を下りて、ホールから玄関ドアを開ける。

「あっ……」

 その瞬間、目に映った光景に、俺は驚きの声を漏らした。

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