本当の名前、人生
走って5分後、俺とマイラは教会に着いた。
教会の扉を開けて、中に入る。奥に進めば……先生はいた。
ロウソクの灯のなか、先生は祭壇に祈りを捧げている。
彼の背中を見て、俺はある疑念が湧いた。
先生はもう地上に未練は無く、天に召されても良いと思っているのでは? と。
「先生!」
だから、俺は彼を呼び止めるつもりで大声を出した。
「……マルスさんと、マイラさんですね」
先生は立ち上がり、俺たちへ振り返る。
俺とマイラは先生の元へ近寄った。
「先生、みんなの元から去るつもりですね」
すぐさま先生に問う。
「……」
彼は答えない。無言が肯定だと察した。
「どうしてですか? みんな貴方を慕っているのに」
「僕は、罪人です。しかも、共和国の暗部を象徴すると言ってもいいほどの。そんな僕がこのまま居続ければ、みなに迷惑をかけてしまうでしょう。そうならないよう、放浪の旅を続けてきました。しかし、それももうお終いです。貴方と出会えたのだから」
旅の目的である俺を見つけた。みなに迷惑をかけたくない。だから、自分は政府へ出頭する。その覚悟を決めたのだと理解した。
「オロル族が住んでいたリェビジ村の壊滅作戦。貴方は、それに参加した。新兵として」
「――そこまで、」
先生の包帯から見える目が大きく開いた。
「マイラには特別な力があります。それで、俺は見せてもらいました。あの日のことを。貴方は父と母を撃った後、泣いていた。それだけで、俺にとっては充分なんです。そして、そんなに傷ついてまで、長い時をかけ、俺を捜してくれた。……ありがとう」
軍隊からの脱走は極刑に問われる。それにくわえて、秘密任務を知る脱走兵を軍は生かしておくわけもない。逃亡生活のさなか、かつての新兵は俺を捜し続けていた。両親から託された意志を伝えるために。
「……ああ、神よ、感謝します。僕は、この時のために生きてきた。今こそ託します、誇り高きオロルの遺児に」
先生は懐から丁重に包み布を出した。
「マルスさん、受け取ってください」
ひざまづき、俺に布を渡す
俺は受け取った布を開き、中を見た。
中には、赤と金の毛髪が束ねてあった。
「これは、父さんと母さんの……」
見間違えるはずもなかった。赤は母さんの、金は父さんの髪だ。
「はい。そして、貴方のお父さん、お母さんから託された言葉を、伝えます」
――生きろ。何があっても。愛する人とともに。
先生が口にした言葉は、まるで今、目の前で両親から言われた気がした。
「……うん。俺は、この子と一緒に必ず生きるよ」
俺はマイラの左手を握り、返事をする。
マイラも俺の右手をぎゅっと握ってくれた。
「今のあなたたちを二人が見たら、きっとお喜びになったでしょう。これで、ようやく僕も……」
先生は全身の力が抜けたように腰を床に落とした。
この人は十数年もの間、贖罪の旅を続けてきたのだ。それが今、ようやく終わった。
「先生、貴方の名前を教えてくだだい。貴方はもう、自分の本当の人生に戻るべきです」
「……僕の名は、レフ・アレクサンドロヴナです」
先生は、自分の名をはっきりと伝える。彼にとって、本名を名乗るのは何年振りなのだろう。
「レフさん。これからもよろしくお願いします」
俺は彼に右手を伸ばす。
「ええ。マルスさん」
彼は右手を掴み、立ち上がった。
先生。その呼称は彼にとって偽りの呼び名かもしれない。
けれども、彼はその名の通り俺に様々なことを教えてくれた。
この出会いも、必然なのだ。俺は手中の両親の毛髪を見て、確信する。
「レフさん、出頭しなくても、きっと何とかなります。俺の知り合いには軍の偉い人、政府の重要人物がいますから。その人たちに頼んで、貴方の過去を……」
リーリヤ中佐、
「ありがとう。僕も考えを改めました。この地で僕の出来ることを果たしたいと思います。元々、教師になるのは僕の夢だったのですから」
俺の提案に、レフさんは快活な返事をしてくれた。
「そうですか! ……あの、貴方の故郷や家族は?」
「挙兵されて以来、帰っていません……。けれども、生きてるにせよ、そうでないにせよ、一度、帰りたいですね」
「ええ。故郷はとても良いものだと思います」
「れふ、あなたの故郷はここにもあるよ。ほら」
マイラは教会の扉を差す。
気づけば、外から声が聞こえた。
すると、扉が開かれて、何人も飛び込んで来る。
「先生! やっぱりここにいた!」
「せんせー、どこにも行っちゃダメ!」
ニカ、ソーニャを含めたレフさんの教え子たちだ。
教え子たちはばたばたと教会を走り、レフさんの周りに群がった。
「先生、俺、これからはもっとまじめに授業を受ける。だから、ここにいてよ」
「先生の授業で勉強の楽しさを知ったの。これからももっと色々なことを教えて」
「みなさん……。ええ、僕はどこにも行きませんよ」
教え子たちに囲まれたレフさんは、固く決意する。
彼らの強い絆を見て、俺は神父とシスターを目に浮かべた。
――マルス、君は独りではありませんよ。
――ええ。神父様と私とあなた。主様がお導きになった家族だと思っています。
二人とも、俺を導いてくれてありがとう。いつかロジィナに戻った時、貴方たちの魂が安らぐよう、祈ります。
「まるす、その時、わたしも一緒に行く」
隣のマイラも俺と同じものが見えていた。
「ああ、そうだね。色々なことを地上に残している。だから、絶対に……うん?」
教会の外がまだ騒がしい。子どもたち以外にも大勢の人が来ている様子だった。
再び扉が強く開かれる。
「ベロウソフ候補生、捜したぞ! 帰還時間はとっくに過ぎている!」
現れたのは、俺とマイラを首都に連れて来てくれた運転手だった。
「あ、時間――」
慌てて腕時計を見れば、既に、午後7時を過ぎている。
星への始発駅の門限が5時だから、2時間も越えているのだ。
「まったく、色々と騒ぎがあったようだな……もし何かあれば、誰が責任を取ると思っているのだ」
俺の元に寄った運転手は苦言を告げる。
「すみません……」
「ごめんなさい……」
俺とマイラは彼の身を思い、素直に謝る。
「……まぁいい。君の担当になった時からこれくらいのことは覚悟している。外で君を待っている者たちがいるぞ。帰る前に挨拶をしたほうが良いのではないか」
「え? ――あ、はいっ」
彼の言う意味が分かり、俺はすぐに外に出て行く。
「わたしも!」
マイラも後をついて。
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