前へ進む者たち
舞踏会は惜しまれながらも幕を閉じた。
参加者たちはユマシュワ通りに残り、談笑をしている。
舞台の主役だったエレーナさんの周りには大勢の人が集まっていた。みな、エレーナさんをほめ称えている。その中で、ある人物がエレーナさんに近づいた。カティアさんだ。俺は彼女の正体も知りたくて、二人の元に歩み寄る。
「エレーナお嬢様、ご苦労様でした。素晴らしい踊りでしたね。私も久々に我を忘れて体を動かしましたよ」
カティアさんはエレーナさんに称賛を送る。
彼女も舞踏会の最中は派手に踊っていたのだ。
「私のため、住人の方々を集めてくれてありがとうカティア……あっ、呼び捨てでごめんなさい。感謝いたしますわ、カティアさん」
エレーナさんはカティアさんに
「ふふ、さんづけなんてよしてください。今まで通りで構いませんよ」
「カティア……と言ったかな。君はどうやらスタールィ地区の出身のようだね。それがなぜブレジネワ家に? もしや……」
エレーナさんの隣のクルスクが質問した。
心なしか、カティアさんに向ける目が鋭くなっている。
「ほぉ、さすがはマレンコワ家の長男さんだ。ま、今になって隠す必要もありませんから、お答えしましょう」
それに対し、カティアさんは口調を変えた。
「アタシはね、元々この地区でのまとめ役を務めていたんですよ。務めたというより、親父から任されたというか……まあ、この辺りの血気盛んな連中が馬鹿なことをしないようお目付け役みたいなものです」
「ふむ、アポストルとは違うのか」
クルスクの言ったアポストルとは、共産主義青年同盟のことである。
活動目的は、共和国の将来を担う人材の発掘、育成だ。
「ははっ、あんなお上品なものとは違います。アタシたちは酒場やらに集まって、政府への不満をぶちまけていた。そうして適度にガス抜きをしないと、何をするか分かったものじゃない。実際、今日みたいに実際に行動に移そうとした連中もいた。それを諫めてたのが、親父だったんです。けれども、1年前に親父が死んで……アタシは、自暴自棄になっちまった。それで、大物政治家の家へ殴り込みに行ったんですよ」
「それが……私の家?」
「その通り。首都を歪な街にしたブレジネワの
カティアさんは、にやりと口の端を上げる。
彼女の顔を見て、俺はどきりとした。その時、もしや暴力沙汰になったのではないか……?
「お嬢様、あなたの父上は器の大きな人ですよ。いきなり家に飛び込んだ女を追い返さず、しっかりと話を聞いたんだから。それで話を聞いた後、こう言ったんです。ならば、私の元にいて、私が何をしているのか見なさい。そうして君が私がこの街、国にとって必要の無い存在と判断するならば……私はそれを受け入れる」
「お父様……が?」
「ええ。その申し出を受け入れて、アタシは貴女に仕えることになりました。今思えば、あの人なりに貴女のことを心配していたのでしょうね。同じ年頃の私なら、心を開いてくれると考えた」
「……」
エレーナさんははっと口に手を当てる。自分の父親の想いに初めて気づいたようだ。
「エレーナ、父親というものは、子どもが思っている以上に大きいのかもしれないな」
クルスクはエレーナさんに教える。俺もその意見には同意だった。
「そうですわね。私、父に伝えたいと思います。私自身のこれからのこと、それに、スタールィ地区のことを」
「……強くなられましたね、お嬢様。それも、偶然とはいえ、ここに連れて来てくれたマルスさんのおかげですか」
カティアさんは俺に視線を向けた。
「いや、成長したエレーナさんが凄いんですよ。それに、俺は貴女との約束を破りました。彼女を危険な目に……」
「あの時は影から見ていた私も肝を冷やしました。跳び出す寸前でしたよ」
「あ、俺たちを見ていてくれたんですね」
「ええ。それでこの通りでお嬢様が踊ると聞いたので、人を集めた次第です」
「ありがとうございます。貴女がいてくれなければ、今回の舞踏会の成功はありませんでした」
俺はカティアさんに深く頭を下げた。
彼女のみならず、舞踏会の成功はこの場にいる全員のおかげだと言ってもいい。
「それはアタシもだよ。あんたはお嬢さんのためだけじゃない、ここに住むみんなのためと思って行動してくれた。みんな、良い顔をしてる。こんな光景は滅多に拝めない」
カティアさんは首を左右に振って、周囲を見る。
住人たちの顔を見て、彼女は満足そうな笑みを浮かべていた。
俺が住んでいた時期、彼女はスタールィ地区にはいなかった。もし同じ地区の住人として出会っていたら、どんな関係になっていたのだろう?
「あの、カティアはこれからどうするの? やっぱり、ここに……」
エレーナさんはおずおずと聞いた。
「いえ。もうしばらく、ブレジネワ家にお世話になります。まだ私はお父上の成そうとしていることを見極めていません。それに、貴女のこれからも見届けるつもりですよ」
「カティア……。ええ、私、頑張ります」
俺は願う。エレーナ・ブレジネワの名がいつかソフィエス、いや、世界のバレエ界に響き渡ることを。
「将来、かてぃあはきっと凄いバレエダンサーになる。わたしも負けてられない!」
俺の隣にいたマイラは両手をぎゅっと握り、対抗心を燃やす。
「そうだね。お互い、負けないようがんばろう」
俺はマイラの頭を撫でて応援した。
「マルス兄ちゃん!」
「おにーちゃん!」
俺たちの元にニカとソーニャが走って来る。
「二人とも、どうしたんだい?」
二人は目を輝かせ、何かを決意したような顔をしていた。
「俺……決めたよ。もっと勉強して、世の中のことを知りたい。考えたんだ。どうしてみんなケンカするのか。きっと、自分のことばかり考えて、相手を理解しようとしないからなんだ。だから、俺は色々なことを学ぶ。何で戦争が起きたのか、どうして今でも争っているのか。俺、正直言って、あんまり頭は良くない。けど、一生懸命考えれば、一つくらいは世の中が良くなる考えが思いつくはずなんだ」
「ニカ……凄いな、君は」
少し前まで勉強を嫌っていた少年が、今は向学心に燃えている。
世の中で起きることに疑問を持つ。それこそが世界を変える第一歩なのだ。
「おにーちゃん、ソーニャも決めたの。ソーニャも、エレーナおねえちゃんみたいにみんなを感動させる人になりたい。それがダンサー、お話、絵……どれかはまだはっきり決めていないけど、芸術は色々な人を喜ばせることが出来ると思うの。そうすれば、きっとケンカなんてする気も起きないよね」
「うん、きっとそうだよ」
マイラはソーニャの言葉に、うんうんと嬉しそうにうなづいた。
何にでも興味を持つソーニャらしい純粋な想いだった。
少年少女は、前を向いている。
この子たちならば、マイラが少女に見えたのに何の不思議も無かった。
二人が目標を持てたのは舞踏会に参加したのが理由の一つだろう。くわえて、子どもたちを前向きにしたのは、ある人の功績なのだと俺は思う。
それは、先生だ。彼がいなければ子どもたちは未来を信じられなかった。
もっといえば、今日の騒動を先生が止めなければ、スタールィ地区はどうなっていたことか……。
「あれ? マルス兄ちゃん、先生は?」
俺が先生のことを思い浮かべた時、ニカも話題に上げる。
「そういえば……」
先生の姿を見つけようと辺りを見回した。しかし、彼の姿は無い。
「まさか――」
俺ははっとして、先生を捜すために走り出そうとした。
「まるす、あの人ならきっと、あそこ」
その寸前、マイラが俺の右手を取り、場所を指し示す。
「分かった。一緒に行こう」
俺もその場所だと確信した。
俺とマイラは先生のいる場所に走る。
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