百羽の大舞踏会

 みんなの声援を受けて、蘇った白鳥エレーナさんは、踊る。

 その踊りは、以前とは明らかに変わっていた。

 中断前は、完璧に踊るという切迫感があったのだ。

 今は、本当に楽しそうに踊っている。

 両手をのびのびと振り、足を弾ませて、顔は常に笑みを浮かべている。

 彼女は、白鳥の最期を喜びに解釈したのだ。


 物語の白鳥は最期に気づいた。自分が踊りを好きであったことを。若さ、羽が無くても、自分はまだ踊れる。誰に観られなくても、ほめられなくても、下手でも良かった。

 そして、白鳥は早朝の湖面に立つ。周りには誰もいない。独りで最期を迎えることになっても、なにも寂しくはなかった。

 踊り始めれば、自分の中である感情が湧き上がる。喜びだ。踊るのが楽しくてしょうがない。この感情は、生まれて初めて踊った時の感動と同じだった。そう、自分は生まれ変わったのだ。

 今の自分にとって、見る世界、感じる空気、聞こえる音、全てが愛おしかった。

 ああ、世界はこんなにも美しい。わたしは、こんな世界で踊っている。

 なんて、素晴らしい一生だったのだろう。

 いえ、ではない。

 これからも、自分は踊れる。たとえ肉体が滅んでも、魂、意志は不滅なのだから。

 その時、白鳥は気づく。自分の周りには、大勢の仲間がいたことを。

 白鳥は仲間たちにほほえんだ。

 ――さようならではありません。また、会いましょう。

 再会を告げ、白鳥は大きく翼を広げて、飛んだ――


 喜びの白鳥と化したエレーナさんを見て、俺の中で、ある衝動が起こる。

 踊りたい。

 俺も彼女のように体を動かし、感情を表現したいと思った。

「う~っ、わたし、もうガマンできない! いっしょに、おどる!」

 とつぜんマイラは飛び上がり、宣言した。そのまま舞台の中に入ってしまう。

 俺と同じ思いを、マイラも当然のように持っていたのだ。

 エレーナさんは舞台のマイラを笑顔で迎え入れている。

 マイラは即興の踊りで見事にエレーナさんと共演を果たしていた。

 俺の目には、二羽の白鳥が舞っている。そのせいで舞台は、二倍、いや、二乗に華やかに見えた。

 その光景が、俺以外にはどのように映っているのだろうか。

 隣を見れば、ニカとソーニャは舞台をまじまじと見つめ、口をぽかんと開けていた。

「……ねえ、ニカ君」

「なに、ソーニャ」

「ソーニャね、マイラちゃんが……ううん、そんなことないよね」

「……え、ソーニャも見えたのか?」

 もしかして、この子たちも……?

「さあ、みなさんも一緒に踊りましょう!」

 エレーナさんは観客席に向かって手を伸ばし、誘う。

 その誘いに、まっさきに立ち上がったのはクルスクだった。

「みなさん、未来のプリマからの招待です! 何も遠慮することはありません!」

 彼は全員に手を広げて呼びかける。

 二人の訴えに、断る理由は無かった。

 即座に俺を含めた観客全員が立つ。

 その時点で、俺たちは観客でなく、演者白鳥になったのだ。

 エレーナさんの白鳥は、みなを変えた。見守るだけでなく、自分も踊ってみたいと思わせたのだ。

 ユマシュワ通りで、大舞踏会が始まる。

 100を超す白鳥は思い思いに体を動かし、舞った。上手下手など関係無く、ただ、踊りたい。その衝動に任せて。クルスクは激しく、ニカ、ソーニャは手を繋いで、先生は軽快に。俺たちの動きは多種多様であるが、共通していることがある。

 老若男女、誰もが笑顔だったのだ。数時間前の負の感情を忘れたかのように。

 ――ああ、そうか。

 俺は理解した。なぜ宇宙に行くのかを。

 みなに、希望ゆめを見せるのだ。

 30憶もの人々が生きるこの世界には、壁がある。性、年齢、種族、思想、言語、社会、国家、宗教、人々の間にある様々な壁で諍いが起きてしまう。

 それらを、一瞬だけでも忘れて欲しい。

 過去に囚われず、現実と向き合い、未来に進む。

 そんな勇気を、たった一人にでも与えることができたら……。

 俺はこの運命を受け入れよう。そのために生きてきたのだ。


 1時間経った後、舞踏会は終わりを迎える。

 舞台の中心にいるエレーナさんは、両腕を高く上げた。そのままぴくりとも動かず、呼吸も停めている。

 白鳥は、天に昇ったのだ。

 彼女を俺たちは爽やかな顔で見送る。

 舞台の終わりは切なくとも、これが永遠の別れではないと知っているから。

 俺たちの中に、白鳥は生きている。彼女の意思は、未来永劫に受け継がれていくのだ。

 エレーナさんは白鳥の一生を見事に演じきった。その表現力は偉大なプリマ、リディアに劣らないと俺は思う。いや、リディアとは別の可能性を示したのだ。

 観客と共に踊り楽しむということを。

 数十秒息を停めていたエレーナさんは息を吹き返す。呼吸を整えて、口を開いた。

「……みなさま、本日の舞踏会、いかがでしたでしょうか。みなさまと共に踊れて、私、本当にうれしかっ……」

 途中言葉がつまり、ほおから涙をこぼす。

「……あ、あのっ、ごめんなさい。本当はここで泣いたらいけないのに。私、わたし……あ――」

 あふれる涙をぬぐいきれず、感極まってしまった。

 その姿は踊っていた時とは違い、とてもか細かった。白鳥から、20歳の女性、エレーナ・ブレジネワに戻ったのだ。

 そんな彼女に、クルスクが近づく。

「エレーナ、何も恥じることはない。……君は、よくがんばった」

 頭を撫で、ねぎらいの言葉をかけた。

「そうだ、すごかったぞ。あんたのおかげで、俺も本当に楽しかった。忘れた夢をもう一度取り戻すことが出来たんだ」

 ヴァレンチンもエレーナさんに声援を送る。

「俺もあんた……いや、エレーナさんのおかげで、気づいたよ。不満ばかり言っても何も変わらない。社会を変える前に、自分を変えなくちゃいけないんだ」

 エレーナさんに敵意を持っていた長髪の男も詫びる。

 同時に、拍手が聞こえた。誰がはじめだったかは分からないが、拍手は広がり、全員が手を叩いている。俺ももちろん両手を思い切り叩いた。

 これはエレーナさんだけでなく、お互いを称えるために送ったのだ。先程の舞踏会の成功を祝って。

 拍手はいつまでも鳴りやまなかった。ロウソクの灯に照らされたみんなの顔は、笑っている。

 こんな優しい世界が、もっと広まればいいのに……。

「……」

 マイラが俺に体をそっと寄せる。

 言わなくとも、この子が自分と同じ想いなのは充分に伝わった。

「マイラ、俺、どうしてソラに行くのかようやく分かったよ。もう何も怖くない。今、俺たちが感じている想いを、世界中に伝えよう」

「うん。あそこで、みんな待ってる。あなたを」

 俺とマイラは共にソラを見上げる。

 そこには、マイラの言葉を示すかのように、無数の星が瞬いていた。

  


 

 


  

 

 

  

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