星の光の下で
俺とエヴァは体育館の外に出た。
「……やっぱり、外は寒いな。でも、星が綺麗だ」
外の気温は既に〇度を大幅に下回っているだろう。厚い帽子を被り、空軍の防寒コートをはおっても、寒さは身に染みた。手袋をつけていても、指がかじかんでしまいそうだ。
空を見上げれば、いくつもの星がまたたいている。寒気で空気が澄み、目に映る星の輝きを増しているのだ。
久々に見る晴れた夜空だった。近頃の多忙で、空を見上げる余裕も無くなっていたことを実感する。
「はい。星の光の下で踊るのも素敵ですよね。マルスさん、手袋は脱ぎましょう。踊るなら、直に触れ合わないと」
エヴァは俺に素肌の右手を伸ばす。
俺は一瞬この寒さで? と戸惑ったが、エヴァの想いを汲み、手袋を脱いだ。
俺の左手とエヴァの右手が重なり合う。
彼女の手は、この寒さを感じさせないほど温かった。
氷の皇女というあだなをつけた奴は、彼女のことを何も分かっていなかったのだ。
「では、ワルツを踊りましょう。マルスさん、右手を私の左肩に乗せてください。私の左手はあなたの右肩に」
踊りの姿勢を取ると、俺たちの身体は密着した。
恥ずかしさなど全くない。これから始まるのは神聖な儀式かのような崇高さがあった。
「動きます。私に身を任せて……では」
エヴァの足が動く。後ろに退いて、前に進み、右回転……を繰り返す。優雅な足運びに、俺はついていくので必死だった。そのため、必要以上に手足に力が入ってしまう。
「……」
エヴァの表情が辛そうに見えた。俺の左手、右手が彼女の手、肩を強く掴んでいるからだ。
遂には、俺の右足が彼女の左足を踏んでしまった。踊りは中断、すぐさま俺は頭を下げる。
「ごめんっ!」
せっかくエヴァが俺を導いてくれたのに、台無しにしてしまった。
俺にはやはり踊りの才能は無い。
こんなことではマイラと一緒の時だって……。
「マルスさん、気にしないでください。これくらい、へいきですよ。それに、初心者のわりには意外とお上手で驚いたくらいです。私がお祖母様に手ほどきを受けた当初はもっとひどかったものですから」
エヴァは笑顔で伝えてくれた。やせ我慢ではなく、本心からだと思う。
「でも、勘違いしないでください。無理に上手くなろうとしては駄目なんです。二人で踊るのに大切なのは、相手を想うこと。そうすれば、一人の時よりもっと素晴らしいものになる。……だから、マルスさんが今、一番に想うひとのことを考えて、踊ってください」
「うん、分かったよ」
俺の一番想うひと……は、決まっていた。
俺たちは手を結び、ワルツを再開する。
先程は、失敗したくないと緊張していた。けれども、今は心に余裕がある。踊る相手は、マイラだからだ。これまで、俺は彼女の踊りを邪魔するのではないか。そんな消極的な考えで練習をしていた。それは俺の思い違い。あの子は俺が失敗をしても、気にはしない。楽しんで踊り続けてくれるのだ。
今まで七か月も一緒にいて、何を勘違いしていたのだろう。マイラは常に俺のことを想ってくれた。彼女が踊りたいのは、上手いダンサーか? そうじゃない。自分を一番に想ってくれる人。だからこそ、俺も常に彼女を想うべきなのだ。
そうすれば、一足す一は二ではなく、三、四……もっと大きくなれる。
「マルスさん、笑っていますね。心の底から楽しんでいる。そんな顔を見ていると、私……」
エヴァに言われて気づいた。今、俺は笑っている。踊ることが楽しいと思えたのは初めてだ。空を飛ぶこと以外に、こんなに気持ち良いことがあったなんて。
そう、楽しむ。俺はここ最近の忙しさ、緊迫感に、自分で自分を追い込んでいたのだ。全てを完璧にと。それは確かに志としては大切だと思う。しかし、張り詰めた風船は些細な傷で破裂する。今、俺にとって大切なのは余裕を持つことなのだ。
エヴァは、それを教えてくれた。彼女の助言が無ければ、俺は肝心の時に大失敗をした可能性もある。
年下、後輩なんて関係ない。彼女は俺よりも大人で、立派な女性だった。
エヴァの顔を見る。俺に楽しんでと言った彼女は、とても悲しそうにしていた。
どうして、そんな顔をしているんだい? まるで、この踊りが俺たちの最初で……。
エヴァの足が停まってしまった。星光の下でのワルツは終わる。
「……エヴァ?」
「……ごめん、なさい」
エヴァは俺から手を離し、背中を向けてしまった。その肩が小刻みに震えている。
今は声をかけるべきではないと思った。俺はエヴァが落ち着くまで待つ。
一〇分ほど経った後、エヴァは夜空を見上げて話し始めた。
「マルスさんは、今度の打ち上げが終わったらどうするつもりですか?」
唐突な質問だった。俺は何と答えればいいのか迷ってしまう。
「どうだろう……あまり考えたこともなかったな」
やっと言えたのは、曖昧な返事だ。
「人生は続きます。その先、何十年も」
「……うん。エヴァはしっかりしてるね。俺なんて宇宙に行ければ良いと思ったいたよ。でも、今回はイワンの控え。もしも……はあるかもしれないけど、次の機会に全力を尽くす。かな」
「教えてください、マルスさん!」
突如エヴァは俺に向き直し、大きな声で尋ねた。
「私には今、二つの夢があるんです。ひとつはもちろん、飛宙士になること。もうひとつは、両親に会う時、隣にある人がいること。二人には、彼のことを私の大切な人と言いたいんです。その願いは叶うのですか?」
その問いの意味をすぐに察した。
エヴァは今、「私はあなたのことが好き。あなたは?」と意思表示をしているのだ。
「エヴァ、ごめん。どっちつかずの態度で君を悩ませたくないからはっきりと言うよ。俺は、マイラが好きだ。その願いに、応えることは出来ない」
「――」
俺の答えを受けて、エヴァの表情が固まる。
「…………やっぱり、そうですよね。分かっていました。ありがとうございます」
硬直が解けた後の彼女は、あっけらかんとしたものだった。ぺこりと頭を下げ、感謝を告げる。
今の顔は、強がりだ。俺には分かる。人は本当に辛い時、心を保とうと正反対のことを演じる。
だから、今、彼女になぐさめの言葉をかけては駄目だ。これ以上惨めにしないためにも。
エヴァが頭を下げている間、寒さが戻ったような気がした。
二人で踊っている時は、あんなにも温かったのに。
「先輩、体が冷えてしまいます。もう、宿舎に戻りましょうか」
そう言って、エヴァは頭を元に戻す。
いつもの表情で、俺をマルスさんではなく、先輩と呼んだ。
「あ~あ、私、ふられるの初めてなんですよね。遂に撃墜されちゃったか……。これから先、誰かを好きになることがあっても、私が一番最初に好きになったのは先輩です。私を選ばなかったんだから、マイラちゃんを幸せにしてあげてくださいね。絶対ですよ」
「ああ。俺も、君みたいな素敵な子に好意を寄せられていたなんて一生の誇りだよ。君の幸せも、祈っている」
俺の差し出した右手に、エヴァも右手を出して握る。
今度は、熱い。これがエヴァだ。氷の皇女の中には、不屈の気高い魂が存在する。
ありがとう。俺も初めて好きになった子が君で良かった。
「……はい。約束ついでに、もう一つお願いします。打ち上げが終わったら、三人揃って、みんなの元に帰ってください。必ず、ですよ」
「……うん」
三人揃って。エヴァはそれを強調した。彼女は事の真意に気づいているかもしれない。
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