先輩と後輩
一二月二五日の打ち上げ日に向けて、俺とイワンは特別講義、訓練に邁進した。期日まで、三週間、二十日あまり。それまでに宇宙船の操縦を頭に叩き込む必要があった。船は自動制御だが、万が一ということもありうる。くわえ、地上と交信不可になれば、自らで解決するしかないのだ。結局、宇宙で頼れるのは、己のみ。何があっても大丈夫なように、俺たちは完璧を目指す。
一二月一八日、打ち上げまであと、一週間。
午後九時過ぎ、町の体育館に俺は一人でいた。マイラはタチアナ医師の健診で、この場にはいない。そのほうが都合が良かった。もし誰かが見ていたら、まともに練習は出来なかっただろう。
なにせ、今励んでいるのは「踊り」だからだ。
この忙しい時期に、なぜ俺は飛宙士とは関係の無いことに時間を割いているのか。
先日マイラと約束した「一緒に踊る」。それを果たすためである。
打ち上げ後なんて悠長なことは言っていられなかった。今、練習をしておく必要があったのだ。
……といっても、見よう見まね。前に国立劇場で観賞した男性ダンサーの振り付けを思い出しながら。それに、図書館にあったバレエの本を参考にして。
普通の踊りと違い、バレエは独特である。基本は、両足を外側に開く、アン・ドォールだ。
この二つを身につけるだけでも、二週間を要した。
今、挑んでいるのは片足を軸に体を回転させる技法、ピルエット。床に左足の爪先を立て、両腕で大きなお皿を持つ姿勢を取る。そのまま、勢いをつけて左回転――といきたかったが、姿勢を崩してしまった。
「お? ととと……」
倒れまいとふんばる。けれども重力には逆らえず、お尻は床に墜ちた。
「いっ――」
痛みと床の冷たさで二重の意味で辛い。
これで何十回目の失敗だろう。一朝一夕で上手くなるとは思っていなかったが、自分のセンスの無さに悲しくなる。
七か月、飛宙士になるための訓練をこなしてきた。そのおかげで、体力、柔軟性には自信がある。ただ、踊りの経験が、圧倒的に足りないのだ。
飛行士養成校時代、同級生の中には踊りに熱心な者もいた。時折開催されたダンスパーティのためだ。そこで意中の相手と踊れば、交際に発展する確率が高かった。だから、お前も練習しろと勧めてきた同宿の友人もいたくらいだ。
もちろん、俺は飛ぶのに関係無いと、頑なに拒んだ。
今思えば、その時少しでも練習しておけばと悔やむ気持ちはある。
国立劇場のダンサー並とは言わない。せめて、マイラの邪魔だけはしたくないのだ。身内びいきを抜きにしても、彼女の踊りは素晴らしいのだから。
正直、焦っている。二五日までには、人に見せても恥ずかしくないものにしたい。けれども、上達のめどはない。踊り以外にも飛宙士としての任務がある。踊り、講義、訓練……と、俺の頭と肉体は破裂しそうになっていた。
「……はぁ~」
大きなため息をつき、がりがりと頭をかく。
あと一週間しかないのに、どうすればいいのだろうか。
「先輩がため息をつくなんて珍しいですね」
「ふえっ? ――え、エヴァッ?」
突然声をかけられ、体育館の出入り口を見ると、エヴァがいた。
「い、いつからそこに?」
俺は驚きと恥ずかしさで口をあわあわとさせながら聞く。
「いつから……えっと、三〇分ほど前から」
「そこからか……。ハハ、みっともないものを見せてしまったね」
練習を始めてからずっと。俺に気づかせないなんて、エヴァは気配を隠す名人か。
「エヴァはどうしてここに?」
「最近、噂になっていたんですよ。先輩が消灯時間までの自由時間に、宿舎を出てある所に向かっている。帰って来た時はこの寒さのなか、汗をかいていた。自由時間は候補生の裁量に任せられているので、教官も口出しはしませんが……もしかしたらよからぬことを? と思い、私が確かめに来たのです」
「あはは、ないない、よからぬことなんて。見られたからには正直に話すけど、ここで踊りの練習をしていたのさ。……上手くはならないけど」
「ええ、先輩が踊りをしているなんて初めてですから、ずっと見ていました。その様子だと、お悩みのようですね。少し、お話しませんか?」
エヴァは俺の元に近寄る。尋ねてはいるが、はじめからそのつもりのようだ。
「いいよ。最近、お互い忙しくて、ゆっくり話も出来なかったしね」
俺の隣に、エヴァは腰を落とした。
「先輩、ちゃんと休んでいますか? 気になっていたんです。どこか顔色は悪いし、精神的にも余裕が無くなっていると思ってました。その理由が良く分かりましたよ。毎日の講義、訓練だけでも大変なのに。踊りの練習もしていたなんて……」
顔を間近に寄せ、体調を心配してくれた。それはありがたいが、近づき過ぎではないだろうか。
「心配してくれてありがとう。でも、時間がないんだ。ちゃんと休養は取っているし、大変というのなら、君たちだって」
「たしかにそうですが……先輩、気づいていますか? 最近、私も含めて、みなさん、講義、訓練に身が入っていない……感じがします。他のことに気を取られている。他のこととは、打ち上げが成功するかどうか。それに、打ち上げ後のことです」
「イワンの飛行が成功しないと、次はどうなるか分からないか……」
宇宙開発計画の現段階での最大目標は、人を飛ばし、帰還させること。有人飛行が成功、あるいは失敗するにせよ、その後はまだ分からない。
「……いや、イワンの飛行は絶対に成功する。みんなが一丸となって取り組んでいるんだ。失敗するはずがない。そして、初飛行が成功したら、次も必ずある。宇宙に行くだけで終わりじゃないんだ。もっと、その先へ」
俺は首を振って強く答えた。計画に携わる人々の顔を思い浮かべて。
「はい。私たちにも必ず機会は訪れると思います。初飛行はイワンさんに譲りますが、女性初の称号は私が……!」
エヴァはうなずき、両手を握る。
「ああ、君なら、なれるさ」
本心からそう思った。エヴァは女性初の飛宙士になり、両親と出会えることを。
「……ふふ。先輩を励ますつもりが、いつのまにか立場が逆転しちゃいましたね。自分がどんな状態でも相手を想うことが出来る……やっぱり、優しいな。マルスさんは」
不意に、エヴァはどきりとするような視線を向けた。
彼女の故郷の家に泊まった晩と同じ目を。
いまさらながら思い起こす。あの時、マイラがのぞいていなかったら、俺とエヴァはどうなったのだろうと。
……いや、そんな想像をすること自体みっともない。俺の意中の相手は、既に決まっているのだから。
「そ、そうだ、エヴァは踊りが上手だったよね。教えてくれないかな。上達するコツを」
と、最もな質問でエヴァの視線をはぐらかそうとした。
「……先輩、私、そもそも、どうしてあなたが踊りを練習しているのか理由を知りません。どうせ、マイラちゃんに関係することでしょうけど」
エヴァは語調が強くなり、すねてしまう。俺のあさましい考えなど見抜いているのだ。
「その通りだよ。約束したんだ。いつか一緒に踊ろうって」
「やっぱり、先輩にとってあの子は特別なんですね」
エヴァの表情がさみしそうになった。
彼女の中であいまいにしていた疑問に、俺がはっきりと答えを言ってしまったようだ。
「外に出ましょう。私、エヴァ・クズネフォワは、今より、マルス・ベロウソフ上級生に飛行士養成校の卒業ダンスを申し込みます」
「分かりました。マルス・ベロウソフ。エヴァ・クズネフォワの誘いを喜んでお受けします」
飛行士養成校の卒業式の後にも、ダンスパーティが催される。その時の踊りには特別の意味があった。舞踏中一度も失敗をせず、踊り切れば、二人は結ばれるというものだ。生涯の伴侶として。
もちろん、エヴァもその意味を知って誘ったのだろう。
相応の心づもりがあってのこと、俺も真摯に受諾した。
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