有人宇宙船перед

「安心しろ」

 その言葉を力強い声で言ったのは、フルシェコだった。

「お前たちが頭に浮かんだことは起こらん。俺たちを何者だと思っている? ロケット、宇宙船の研究に関しては世界一を自負しているのだ。偉大なるユマシュワに憧れ、お前たちが産まれる前よりずっと目指していた。宇宙を! 粛清、戦争のさなかでもな!」

 続けて、叫ぶ。大きく口を開き、つばを飛ばしながら。

 俺はフルシェコ博士のことを大いに勘違いしていた。

 彼も教授と同じく、人生の大半、三〇年以上もの時をロケットの研究に尽くしてきたのだ。

 宇宙への想いは、並大抵のものではない。

「ベロウソフ、お前は知っているのだろう。俺と奴――ニコラエヴナの因縁を」

「は、はい」

「……あいつは間違いなく天才だ。だから俺は努力した。それでも、越えられない壁があると悟った時、悪魔がささやいたんだ……」

 博士は表情を曇らせる。大粛清の際、教授を政府に告発したことを思い出しているのだ。

「あいつが再び俺の前に現れた時、もう追いつけないと確信した。宇宙への想いは前よりも強く、純粋になっていた。もはや、あいつは俺など見てはいない。遥か先を見据えている。それでも、それでも、俺はあいつを、宇宙を諦めることは出来なかった……」

 教授への思いの丈を訴える博士と、チャーチフが重なった。

 声を聴いた者、そうでない者。後者からみれば、俺たちは異質なのか。

「まるす、降ろして」

 急にマイラが頼む。俺は言われるまま、背中から降ろした。

 マイラは脚立をとんとんと降り、博士に向かう。

「な、何だ?」

「はかせ、わたし、信じてる」

 彼女は博士の手を握り、伝えた。

「……」

 二人はしばしの間、互いを見つめる。

 博士は、マイラの言葉を何と受け取ったのだろう。

「……悔しいが、お前の言いたいことは分かる。いい歳をしたオッサンが泣き事なんてみっともない。そんな暇があるなら、常に己を高めろということか」

 彼はちょっと大げさに捉えてしまったようだ。

 俺も博士に伝えたいことがあり、脚立を降りた。

「……フルシェコ博士、俺、思うんです。教授もあなたがいたからこそ開発に励むことが出来たのではないかと。それに、あの人はあなたを無視なんかしていません。むしろ、背中を任せられる好敵手ともだと思っているはずです」

「あいつが、俺を……?」

「はい。自分の話になって恐縮なのですが、俺、今年の五月までは何者でもない、半端者でした。でも、マイラ、教授と出会い、候補生に選ばれた。そして、イワンたち候補生のみんなと競うことで、飛宙士の控えになるまで成長出来たんです」

 俺はマイラ、イワンを見る。自分を成長させてくれた者たちを。

 再び、博士に視線を向けた。

「そして今、有人飛行計画が遂行寸前までこぎつけたのも、教授や博士、始発駅の住人、試作局の開発者陣を含めた全共和国の人々のおかげ。いや、もっと視野を広げれば、アトラス。あの国の人々もいたからこそ。だから、俺にとってアトラスは対立する国ではなくて、仲間だと思っています」

「……」

 アトラスは仲間だ。という発言に、博士、イワンは目を見開いた。

 驚くのも無理はない。もし誰かがこの発言を政府に報告すれば、俺は不穏分子として捕まってもおかしくないのだ。

「……くく、はははは!」

 突然、博士が笑い出す。その声は宇宙船の開発部署に大きく響いた。離れて作業をしていた技術者の手が停まるほどに。

 数分も笑っていた博士はようやく口を閉じ、表情を戻す。

「こんなに笑ったのはいつ以来だ。全く、アトラスが仲間など初めて……いや、ニコラエヴナも常々言っていたな。今の共和国のロケット技術があるのは、ドラッヘ帝国のクヴィストのおかげだと」

 ドラッヘのクヴィスト博士。俺、教授以外でコスモナウトの一人と目される人物である。教授もその人のことを当然意識していたのだ。

「さっきのお前の顔、あの時のニコラエヴナと同じだったよ。強制収容所から生還し、俺の前に戻った時のな。しかも、あいつは俺に何と言ったと思う? ただいま。だとさ。俺はあいつに復讐されるのも覚悟したというのに」

「ただいま……あの人なら言うでしょうね」

「ふん、遠回りしてしまったが、先程の続きだ。小娘や小僧にここまで言われて、何も出来なければ俺の沽券が下がる。だから、もう一度言う。安心しろ。お前たちの乗る船、ロケットともに万全に仕上げてやる。それで、戻ってきたら、宇宙、地球のことを教えろ。いいな」

「はいっ」「はっ」「うん」

 博士の力強い提案に、俺たちは揃って返事をする。


 博士による宇宙船の解説は終わった。俺たちは博士に礼を述べ、開発部署を出て行こうとする。

「ベロウソフ、ちょっと来い」

 博士が俺を手招きした。

「はい」

「これから先は俺の独り言だ。お前のために言ったわけではない」

 近寄った俺に博士は声を潜めて言った。

「……そうだ、操縦席左の黒箱は何を操作するのかを確認しておかないとな。よく思い出すように、口にしておこう。あそこには自動制御から手動に切り替えるための六個のボタンがある。それを特定の順序で押す。そうすればもしもの時、搭乗者自身で宇宙船の逆噴射エンジンを吹かすことが可能……と」

「……」

 先程俺が質問した答えを、博士は伝えてくれたのだ。

「あと、これも言っておいたほうがいいな。実物の宇宙船には、もう一人の搭乗者のケージが付属する。以前は欠陥があったが、今度こそは大丈夫だ。二度と同じ過ちは犯さない……ううむ、思ったよりも長くなってしまったな」

 彼の不器用でもどかしい優しさに、目頭が熱くなる。

「……これも俺の独り言です。初の飛宙士が乗る宇宙船の名は何と言うのでしょうね」

передピェーリェト。未来へ、だ」

 その名は、ぴったりだと思った。

「さて、もうこんな時間か。俺はもう行く。することは山積みだからな。お前もぼおっとしてないで、今日話した宇宙船のことを頭にたたきこんでおけよ」

 博士は俺に背中を向け、歩み出す。

 しかし、すぐに停まった。

「…………すまん。お前たちのような前途ある若者を、俺たちのような愚かな大人の戯れに巻き込んで」

 博士は、しぼり出すようにして謝罪の言葉を述べる。

 彼の手は強く握られ、肩を震わせていた。

 俺は姿勢を正し、敬礼で以って彼に応えた。

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