赤と青の冷戦
第189開発部で宇宙服の説明を受けた後日、俺、イワン、マイラは第一試作局を訪ねる。今度は宇宙船のレプリカと対面するためだ。通されたのは、先日も入った宇宙船の開発部署だった。その空間で俺たちを待っていたのは、因縁のフルシェコ。
「……ふん、ニコラエヴナの奴が復帰して俺はお払い箱かと思ったか? あいにくだったな。俺の頭脳はまだ必要とされているんだよ」
彼は俺とマイラを見て、苦いもので口を一杯にしたような顔になった。
変わらず、俺は嫌われているようだ。
「フルシェコ博士、ともに人類初の偉業に向けてがんばりましょう」
俺は過去のことを忘れ、彼に協力を願い出る。
「……ち、お前といいあいつといい、何を考えているか分からん。だからこそ……」
フルシェコは一瞬あっけにとられ、背中を向ける。
「おい、何をぼおっとしてる。宇宙船の説明をするから着いてこい」
「はい」
俺たちは彼の背中に着いていく。
「これが、お前たちの搭乗する宇宙船のレプリカだ。大きさ、形、内部は本物とほぼ変わらん」
フルシェコが停まり、指を差したのはカプセルだった。直系二メートルほどの。
「……これが、宇宙船。思ったよりも小さいですね」
船の実物を初めて見るイワンは、意外だという顔をする。
「中を見てみろ。説明はその後だ」
彼の指示に俺、イワンは目配せした。その結果、先にイワン、次に俺という順番に。
ハッチに繋がる脚立に乗る際、イワンを靴を脱いだ。
それは、宇宙船と船に携わった開発者に対する敬意の表れだった。
さすがだね、イワン。俺も同じことを考えていたよ。
中をのぞいたイワンはおおっと驚き、ふむふむと興味深そうな顔になった。
「……これは、僕たちの乗る飛行機の操縦席に似ていますね。なるほど、候補生が僕たちのような飛行士から選ばれたのも分かります」
一五分ほど中をくまなく眺めた後、彼は脚立を降りる。
「マルス、先を譲ってくれてありがとう。よく見るといいよ。実際に乗るのが楽しみだ」
俺は「うん」とうなずき、靴を脱ごうとした。
その前に、側にいたマイラを見る。
「……」
彼女はカプセルを前に緊張していた。
マイラが何故そんなに硬くなっているのか。はじめは分からなかったが、すぐに察した。
彼女の中のステッラが原因だ。ステッラは宇宙船
その時の記憶が蘇り、カプセルに近くづくのを
俺はそんな彼女の緊張をほぐそうと、ある提案を思いつく。
「マイラ、一緒に中を見よう。俺の背中に乗って」
「……あ。うんっ」
俺の意図を理解したマイラは、元気良く背中に被さる。
彼女を落とさないように気をつけて、脚立を登った。
「……はは、これは妬けるね」
「……」
一緒に脚立に登る俺たちを見て、イワンは苦笑いをしていた。フルシェコは無言だった。
開かれたハッチから、俺たちは宇宙船の中を見る。
内部は座席と、多様な装置、計器によって埋められていた。広さは、大人一人が収容できるほど。先に見たイワンの感想通り、俺たち飛行士なら違和感なく搭乗可能だと思う。
そうなると、飛行機への心的苦痛の克服は必須だったのだ。
「お前たちは
思いがけず、フルシェコが宇宙船の説明を始めた。
「あ、……では、座席の右ハンドルは船の方向制御ですか?」
これを機に、質問をしようと思った。
「その通りだ。ただし、飛行機の操縦と逆の場合がある。
フルシェコは素直に答えてくれる。
そのまま、宇宙船の素材、内部構造、装置、計器の解説を続けた。
「博士、私からも質問があります。中央の計器板にはめこまれた小さな地球儀は何でしょう?」
解説の合間に、イワンも質疑する。
「ああ、それはだな。宇宙飛行中の船の運動と同期回転するものだ。つまり、船が今軌道上でどこにいるのかが分かる」
俺たちの問いに、フルシェコはていねいで熱心に答えてくれた。そんな様子を見て、俺は彼のことを少し誤解していたかもしれないと反省した。
はじめは偏屈で嫌味な男だと思っていた。それは裏を返せば、自分の仕事に誇りと情熱を持っているともいえる。
つまりは、芯のところで教授と同じということ。
「マイラ、あの人のこと、今は……どう思っているんだい?」
俺は背中のマイラに尋ねる。
「……わたしはみ、みらいにいきるおんな。か、かこはふりかえらないの」
ちょっとかっこつけたふうにマイラは答えた。
「ぷっ。何、それ。どこかの本の受け入り? 言い直してるし」
「……実は、えばたちと一緒に見てた映画のせりふ」
図星をつかれて、マイラは赤くなる。そういえば、先日女性候補生たちと一緒に始発駅の映画館に行っていた。
「……おい、もう聞くことはないのか?」
「は、はいっ?」
突然フルシェコに呼び掛けられ、俺は上ずった声を出してしまう。
「お前から見れば女子かもしれんが、俺たちから見れば狼だ。人が見ている前でそう戯れるな」
彼はやれやれと首を振る。
「す、すみません。……では、左の黒い箱は? 諸々のスイッチ、ボタンは何を操作するのでしょう」
俺はフルシェコがまだ説明をしていない箇所を訊いた。
「それは……」
その質問に、彼は口ごもってしまう。
「……重要なことを言い忘れていた。宇宙船は地上からの遠隔操作によって自動制御される。飛行中のお前たちの仕事といえば、宇宙環境、地球の姿、自己の体調などを報告するくらいだ」
少し間を置き、思ってもみない返しをした。
「えっ……そうなのですか? それでは……」
イワンと俺は顔を見合わせる。
続く言葉で、「有人飛行の意味とは?」と、俺たちは尋ねたかった。
「今回の飛行計画は、人が宇宙空間に行き、戻って来た。という事実が最重要だ。政府が一番必要としているのは、アトラスよりも先、人類初の偉業を成し遂げたということ。彼らにしてみれば、誰が、どのように、といったことはさほど興味はない。まあ、生還した飛宙士にはそれなりの待遇を用意するだろうがな」
それはフルシェコの個人的意見なのか、政府の本音なのか、どちらかは分からない。
「……それでも、構いません」
俺は教授の言葉を思い出し、答える。
――国を信用するな、利用しろ。
その意味をよく噛み締めて。
「祖国、同士による今回の栄誉ある機会。私は謹んで承るのみです」
イワンは敬礼して答える。
俺と彼の宇宙に行く理由は違う。どちらも間違ってはいない。人それぞれだ。
「……分かっているじゃないか。ニコラエヴナは人を見る目だけはたしかなようだな。で、あればこれも話すべきだろう。実物の宇宙船には自爆装置が備えられる。くわえ、搭乗者には拳銃を所持してもらう。意味は、分かるな」
「……!」
自爆装置、拳銃所持の二つの単語に俺たちの身が縮む。
先日の宇宙服の時にも触れられた件が、再度頭に浮かんだ。
今度ははっきりと意識しなければならない。宇宙船が西側諸国に堕ちた場合のことを。
その時、宇宙船は機密保持のために爆破する。搭乗者は拳銃で自らを……ということだ。
絶対的な秘密主義と、西側との隔絶。その二つをひしひしと感じた。
西側の有識者は語る。今現在、世界が東側、西側に別れて対立する構図を『赤と青の冷戦(名の由来は、ソフィエスの国旗色の赤と、アトラスの青より)』と。
『ソフィエス、アトラスによる宇宙開発も、しょせんは銃を用いない戦争だ。やがて、開発によって培われた技術は、本当の戦争に利用されるだろう』とも。
俺と同じことを感じたのか、背中のマイラが震えている。
彼女の中のステッラは、ある意味冷戦の犠牲者だ。
俺は彼女の不安を少しでも取り除きたかった。なので、思い浮かんだ言葉を口にする。
「安心しろ」
しかし、俺よりも先にそれを言ったのは、意外な人物だった……。
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