亀裂
一二月二一日。ロケットの打ち上げ日まで、残り四日になった。
正飛行士であるイワン、控えの俺、マイラは明後日の二三日にチュラタヌール基地に出発する。
一日の訓練を終え、俺とマイラは中佐の執務室に呼ばれた。
「中佐、用件は何でしょうか。もしや、打ち上げ予定に変更が?」
「いや、そうではない。明日の休息日、お前たちも他候補生同様、休暇を取れ。町を出ても良い。ただし、午後六時までには戻ってくること」
「分かりました。実は明日、可能であれば首都で買い物がしたかったのです」
「そうか……意外だな。お前のことだ。明日も休みを返上して訓練をしたいと言い出すかと思ったよ。控えに決まってからどこか思いつめた感じはしていたが、どうやら、良い意味で吹っ切れたようだ」
中佐は俺を強く見つめる。彼女も俺をちゃんと見てくれていた。ありがとうございます。
「はい。自分の出来ることはしたと思います。後は……」
俺は隣のマイラを見た。
マイラは強くうなづいてくれた。言葉を出さなくとも、意思が伝わるのが嬉しい。
「ふふ、以心伝心というやつか。明日は心身を充分に癒せ。本番を四日後に控えているのだからな」
「はいっ」
俺とマイラは休息を快く受け、中佐の部屋を出る。
「マイラ、久々の首都だ。どこか行きたい所があれば、言ってごらん」
「まるすと一緒ならどこでもいいよ」
「うん……ありがとう」
買い物以外にもマイラと色々な場所に行きたいが、時間制限はあるので気をつけよう。
俺たちは管理センターを出て、宿舎の玄関に入った。
「ん、あれは……」
ホールにある公衆電話をクルスクが使用中だった。
「……分かった。感謝する。……親父にも礼を言っておいてくれ」
深刻な顔で話をしている。
親父という単語が出ていた。断絶状態と聞いた彼と父との関係は修復できたのだろうか。
他人の私事に関わるのは良くないと思いつつ、俺はつい聞き耳を立てる。
「明日、彼女には会う。だが、勘違いはしないでくれ。義理を立てるだけだ。親父のためじゃない。俺の、ケジメだ」
クルスクは電話を切った。
その場を動かず、思いつめた顔をしている。
「……クルスク、誰と話をしていたんだい?」
ほおっておけなかった俺は言葉をかけた。
「む? ……マルスか」
そこでクルスクは俺のことに初めて気づいたようだ。彼にしては珍しい。そこまで電話に集中していたなんて。
「お前……いや、関係の無いことだ」
「関係無いって、何だか他人行儀だな。君のさっきの顔を見れば、心配にもなるよ。俺たち、友だちじゃないか」
「友人、だと? 本当にそうなのか? お前、俺に何か隠していることはないのか」
クルスクの顔が険しくなった。
「……そんなことは、ない」
「俺をなめるな。これでも人生経験はそれなりに積んでいる。軍人としても」
彼の鷹のような鋭い目が俺を睨む。まるで詰問を受けている心境だった。
暑くもないのに額から汗が垂れる。クルスクの視線から逃げたい。
そんな俺をかばうかのように、マイラが俺とクルスクの間に入る。
「くるすく、まるすはね、まるすは……」
マイラ、駄目だ。俺たちの約束は話しちゃいけないんだよ。
「……まあいい。ベロウソフ、お前、このまま行けば、絶対に後悔するぞ」
マイラの訴えに感じるものがあったのか、クルスクは矛を収めた。
そして、俺を通り過ぎ、去って行く。
「……ベロウソフ、か」
呼び方が元に戻ってしまった。それも無理はないのだろう。彼は、今回の有人飛行の真実をおそらく知った。だとしたら、俺の行為は友情に対する裏切りに他ならないのだから。
「まるす、ごめんね……」
「いいんだよ。こうなることは分かっていたんだ……」
しゅんとするマイラの頭を俺はなでる。
クルスクの言う通り、俺は後悔する。それでも、それでも……。
翌朝、俺とマイラは黒服の運転する車で首都ツェントルに到着した。まっ先に向かったのは、スロン国営百貨店。旧皇国時代より存在する複合型商業施設だ。店の数は百以上、同志の望む物が全てある。という宣伝を掲げている。
中に入ると、人の多さにまず圧倒された。通路には人が満ち、各店から長い行列が発生している。今は年末の一二月、しかも休息日だ。新年に向けて何かと買い物が必要なのだろう。
「ふぇ~、お店も人もいっぱいだねえ」
「う、うん……」
あっけにとられ、大きく口を開くマイラと俺は同じ気持ちだった。
実は、俺もこの百貨店に入店するのは初めてなのだ。なにせ、前に首都に住んでいた時はお金が無かったから。今でも正直言って、どこか居心地の悪い気はする。
「あ、まるす、あのお店は何?」
マイラは興味を持った店に指を差す。
「あれは……お菓子を売っている店だよ。さすがに鼻が効くなあ」
「えへへ……」
笑みを見せるマイラに、俺は心の内の遠慮が少し消えた気がした。
「でも、お菓子を食べるのは後にしよう。まず、行きたいところがあるんだ。さ、はぐれないように手を繋いで」
「はぁい」
俺とマイラは手を繋ぎ、大衆の中を歩く。
その道中、マイラはせわしなく首を左右に振る。気になった店に何を売っているのかを質問してきた。その都度、俺は分かる範囲で答える。それゆえに進む速度は遅い。けれども、想いを寄せる相手との店内散策は格別だった。
これは……いわゆる
「……あ、まるす、顔が赤くなってる。風邪でもひいたの? でも、口がにまにましてるのはどうして?」
マイラは俺の表情の変化に気づいた。
冷静に今の顔を言われると、おかしな奴である。
「あー……いや、風邪じゃないんだよ。何だか今が凄く楽しくてさ。やっぱり、今日は訓練を休んでここに来て良かった。昨日、あんなことがあったし……」
昨日のクルスクとの仲違いのことだ。彼と別れた後、昨晩はずっとどうしようかと悩んでいた。二三日の朝には町を発つ。それまでにクルスクと仲直り出来るのかと。くわえ、彼の言った「絶対に後悔する」。その言葉が頭に渦巻いていた。
今日一日で、俺はその二つの迷いに結果を出さないといけないのだ。
もしくは、どちらにも答えを出さずに、出発してしまう選択もあった。
……でも、後者だけは駄目だ。もしそうなった場合、俺はクルスクのことを二度と友と呼べない。
じゃあ、どうすれば……と、再び、頭の中に暗雲が垂れ込めようとした。その時、マイラと繋いでいた右手に力が込められる。
「まるす、大丈夫。友だちのこと、信じよ」
マイラの瞳を見る。そこには何の憂いも無かった。
「うん、そうだね。まったく、俺の悪い癖だよ。こうして楽しむべき時でもあれこれと余計なことを考えてしまうなんて」
「そういえば聞いたことがる。悩みが多い人は眉間にしわができて、本当の歳よりも老けて見えるって。こ~んなふうに」
マイラは指で眉間を押さえ、しかめっ面をした。
「え? やだな、俺、そんなに……」
俺が眉間を確認しようとすると、マイラはぺろっと舌を出す。
「まるす、ひっかかった。安心して。しわなんかない」
「……」
なかなか言うようになったな、この子も……。
クルスクの件はひとまず置いて、俺たちは歩みを再開させようとした。
「ねえ、あれを見て。こんなところに犬……? を連れてるわ」
周囲の誰かが言った言葉が耳に入る。
「盲導犬でもなさそうだし、急に暴れて人を噛んだらどうするんだ?」
気づけば、数人がマイラをおかしな目で見ていた。
マイラを少女としてではなく、狼として見える者にすれば、当然の反応だとは思う。
本来ならば、百貨店は動物の入店を禁止している。それを今回は特別ということで、軍、政府筋から店の総責任者に話が通っていた。だから俺とマイラは入店出来たのだ。
しかし、一般客は別だった。実は、入店してからマイラに向けられた奇異な視線には気づいていたのだ。
こんなことは初めてではない。マイラは星への始発駅ではマスコットとして愛されている。けれども、他の場所に行き、一般人の目に触れれば反応は別だった。その場合、気にせず、無視をするのが一番だ。
「行こう、マイラ」
「うん」
俺はマイラを護るように体を寄せ、足を動かす。
予想以上の人の多さに、俺の予定は変わった。この百貨店は目的の物を買ったら、すぐに出ていくべきかもしれない……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます