手紙 ―リーリヤ・リトヴァク・ダーチャー

「食べなさい。私が作ったものだ」

 中佐は俺に皿に盛ったブリヌイを渡す。

 俺は皿を受け取り、ブリヌイにフォークを刺し、口に運んだ。

「……美味しい。料理がお上手なんですね」

「意外か? 私だって女だ。料理くらいはな」

 俺の素直な感想に、中佐はちょっと嬉しそうな表情を見せた。

「でしょ? りーりやの作ったもの、とっても美味しいの。わたし、毎日作ってもらっていたんだよ」

 隣に座って一緒に食べるマイラは満面の笑みで話す。

 ここ数日姿の見えなかった彼女は、中佐の世話になっていたのだ。

 俺たちが今いるのは教官の宿所、中佐の私室。基地を後にして、中佐は俺を招待してくれた。ここは執務室と違い、リーリヤとしての素の彼女が伺える。机には白ユリの花、壁には一枚の写真が飾られていたから。

「そっか……すみません、中佐。本来なら彼女の面倒は俺が……」

「気にするな。彼女との生活は楽しかったよ。何だったら、今後も……」

「そ、それは駄目です!」

 俺は思わず声を大きくしてしまった。

「……ふ、冗談だ。マイラ、良かったな」

「うんっ!」

 中佐とマイラのやりとりに、俺はしてやられたと思った。中佐は俺の反応をあらかじめ予測していたのだ。 

「ち、中佐……ははっ」

 でも、悔しくはなかった。中佐でも冗談を言う。それにこらえられず、俺は噴き出してしまう。

「さ、二人とも、手が停まっているぞ。せっかく作ったブリヌイ、冷めないうちに食べてくれ」 

 言われずとも、俺とマイラは中佐のブリヌイを口へほおばる。

 共和国には、「ブリヌイを食べれば、その人のことが分かる」ということわざがある。中佐のそれは美味しいだけでなく、どこか暖かみ、懐かしさを感じる味だった。

「実はな、この味はユーリさんからの直伝だ。隠しにワインをほんの一滴入れる」

「……あ、そうなんですか。どうりで……」

「戦時中、ユーリ飛行士は私の上官だった」

 間髪入れず、中佐は父さんとの関係を話した。

「私たちの部隊は正規の軍属ではなく、志願兵の部隊だったのだ。私のような女性も多く、正規軍にはない自由な雰囲気で居心地が良かったよ。敵機を撃墜する度、着陸前に派手な曲芸飛行をしたものだ。部隊の中でもユーリ飛行士は飛び抜けて腕が良く、真っ先にエースパイロットに。その次がニコライ・バラノフ。……私の恋人だった人だ」

 彼女は壁の白黒写真を見つめる。

 そこには、飛行服をまとった一〇人もの若い男女が写っていた。みな、笑顔で目が輝いている。これが戦時でなければ、ふつうの若者たちの青春の思い出。

 中央にいるのは、二十代の父さん、白百合リーリヤ、隣の青年が……なのだろう。

「だった? じゃあ、既に……」

「……その通り。あのレニンスグラッドの戦いで。彼だけではない。あの激戦は、部隊の殆どの仲間を喪い、忘れたくても忘れられないものだ。生き残った者も、心が壊れ始めていた。ユーリ飛行士も同じく」

「あ……」

「覚えがあるだろう。あの人は本来人を殺せるような性格ではなかったのだ。普段は繊細で優しい人だったから。そんな人が自分の大好きな飛行機で同じ飛行士を撃ち、空が血で汚れるのを見れば、おのずと……」

 俺にはその気持ちが良く分かる。敵とはいえ帝国の兵も空を愛する飛行士。それでも、父さんは戦ったのだ。家族、仲間、国を護るために。

 写真をじっと見れば、飛行士たちは俺とさほど年齢は変わらない。彼、彼女たちの何人が生きているのだろうか……。

「恋人を殺され、復讐の念に駆られて飛行機に乗る私に、彼は言った。リーリヤ、君はこれからの時代を生きる者だ。相手を憎むな。赦せ。今は分からなくても、いつか分かる時が来る。だから、絶対に生き延びろ。と」

 その言葉に諭されて、中佐は戦争を生き延び、戦後、空軍大学校で学び直した。父の言葉を受け、次代の育成に励むために。

「父さんとはその後……?」

「終戦後、彼は姿をくらますように私の前から去ってしまった。望めば軍にある程度のポストが用意されていたはずなのに。だが、一〇年前、突然私の元に手紙が届いた。そこには、お前のこと、彼が再び飛行機に乗ると決意したことが書いてあったよ」

 一〇年前と聞き、俺ははっとする。父が俺と一緒に帰郷した頃だ。

「なら、父さんの再就職先は貴女が?」

「……ああ。私に出来ることならば、と」

 そこで、中佐は言い澱む。

「……まさか、それが彼の死を招くことには思いもよらなかった」

「え? ……そうか、その飛行機開発会社の新型機実験で、父は彼に……」

「当時私も所属していたニケリア基地。イワンはテストパイロットとしてユーリさんと共に新型機の開発に勤しんでいた。そこで悲劇は起こった……」

 中佐は悔しさ、悲しさをおりまぜた感情で説明する。父の撃墜の真相を。

 実験中、突如父さんの乗っていた機体が謎の暴走、制御不能状態に。普段なら脱出装置を起動させれば良かった。が、不運は重なり、それも使用不可。しかも、父の不時着先には民家の密集地があったのだ。そのまま堕ちてしまえば、多大な犠牲を出し、機密が漏れてしまう。

「だから、私の上官は命令した。アニケーエフ中尉、実験機を撃墜せよ。と。……その令を聞いた時、私は何も出来なかった。恩師であり友人が殺されようとしているのに……」

 中佐、いやリーリヤさんの唇が震える。彼女は涙を流さず泣いていた。

「現場付近で聞かれた爆発音、それはイワンが命令を実行し、父の搭乗機を……」

「ああ。だが、イワンが悪いわけではない。あの件は、神の悪戯……いや、そんな言葉で片づけられては君の気が済まないだろう。事件直後、私は公表すべきだと思った。しかし、私が訴えたところで事件は闇に葬られるだけ。それに、イワンの将来を考えれば……。中佐という立場と私個人の想いが葛藤し……私は、黙ることを選んだ。せめてもの償いに左眼を潰して」

「リーリヤさん……」

 彼女が現役を退いた理由に、そんな悲痛な想いが込められていたなんて……。

「こんなもの、私が君たち父子にした事に比べれば……」

 不意に、リーリヤさんは俺の顔を見て、頭を下げた。

「マルス、ごめんなさい。私は怖かった。ユーリさんの息子はいつか私の元に来る。それがこんなにも早く、しかも候補生になって。こうして君が真相に辿り着いた時、覚悟したよ。君が望むなら事件を公表し、私を糾弾しなさい。それで気が済まないのなら、今、私の命を……」

 彼女は俺の持つフォークに視線を移す。

「まるす……」

 彼女の気持ちを察したのか、マイラは心配そうに俺の腕を掴んだ。

「……復讐。一度はその考えに至りましたが、今は分かりません。そんなこと、父さんも望んでいないと思うから」

 俺は自分の胸に手を当てる。

 今では蒼い炎は完全に消え、紅い炎が灯っている。

「――本当に、君は……あの人の息子なんだな。……うっ、……く……ごめん、なさい。ユーリ、さん……」

 リーリヤさんは壁の写真に頭を垂れ、泣いた。彼女も辛かったのだ。父さんが亡くなってから、ずっと我慢していたから。

 ひとしきり感情の膿を吐き出した後、リーリヤさんは机の引き出しから封筒を見せる。

「ユーリさんが亡くなる前、君の養成校卒業間際に渡されたものだ。君が飛行士になった後、渡してくれと頼まれた。今思えば……よそう。真意は彼にしか分からない」

 俺は手紙を受け取り、父さんの伝言を読む。


『マルスへ。お前は軍人になることを俺に遠慮していたようだが、気にするな。俺なんて関係無い、お前の選んだ道だから。けれども、軍を選択した以上、様々な困難、迷いが生じ、現実に打ちのめされ、道が見えなくなることもあるだろう。そんな時は少し休んで、周りを見てみるといい。いつもとは違った光景が広がり、気づくことも多いと思う。人は独りじゃ生きられない。困ったら、誰かに助けを求めればいい。その後、また飛べばいいのさ。お前の翼を支えてくれる人と共に。

 俺もそうだった。お前は俺を再び空へ連れて行ってくれた翼の一人。俺の故郷で墓を参った時、妻と子どもは言ってくれたよ。

 もういいわ、はじめから怒ってなんていない。私たちの新しい子ども、弟と幸せに、と。

 お前と暮らした日々は俺にとって最高でかけがえのないもの。ありがとう。前を向き、上を見て進め。私の誇り、マルス・ベロウソフ飛行士へ』


「……とお、さん……」

 俺があの人に感謝していたように、あの人も俺に。父さんの想いと、大きさを知って俺は涙が止まらなかった。

「まるす、今からでも遅くないよ。あの人に、ありがとうって伝えよ」

 共に手紙を読んでいたマイラが俺を胸に抱き、教えてくれる。

「……うん、マイラ。……父さん、ありがとう。俺を、見つけてくれて」

 その言葉に従い、俺は感謝を伝えた。

 マイラに抱かれていると、本当に父が側にいるように感じる。

 それに、この暖かさ。どこか懐かしい。遠い昔、産まれて初めて母に抱かれた時の記憶が蘇るようだった。


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