一九六〇年五月―日。訓練初日の夜

 管理人から鍵を受け取り、俺たちは二階の東端の部屋まで歩く。ドアの名札にはマルス・ベロウソフ。宿舎には二〇人の候補生が一部屋につき二人で住む。俺は当然、マイラとの相部屋だ。

 鍵を開け、中に入れば真新しい建物のにおいがした。壁天井にシミ無し、床は頑丈、防音もばっちり。調度品にはラジオも備えつけられ、二脚あるベッドはふかふかとして、ぐっすり眠れそうだ。さすがは国の重要施設、秘密計画に携わる人員には相応の部屋が用意されている。

 部屋を見回しているうち、一か所、おかしな点を見つける。

 ベッドの片方に不自然な膨らみがあった。

 不思議に思った俺はベッドに近づき、シーツを思い切りはがす。

「いや~ん、マルス君ってばえっちだなあ。女の子が寝ているのに、シーツを躊躇なくはがすなんて。ボクがあられもない姿だったら、どうするつもりなんだい?」

「……」

 中には、(少女と呼ぶには厳しい)三〇代半ばの白衣の女がいて、俺は思考が停止する。

「あらあら、どうしちゃったの。ボクと再会できて、そんな嬉しかった?」

 女は立ち上がり、懐から出した片眼鏡を右目にかける。

「……えっと、そのぼさぼさ頭に片眼鏡、どこかで……あっ」

 俺は少し前に顔を合わせた人物が思い浮かんだ。

 と、同時にマイラが俺の影にさっと隠れる。

「その通り、ボクはタチアナ。候補生試験の時、面接で色々とキミに質問した医者だよ」

 彼女から改めて紹介されれば思い出す。面接官の一人で、女性経験や、マイラのことをどう見えるのか、彼女と過ごした一晩に何があったのかと、変わった質問をされた。

「あの時はどうも。変な質問ばかりされて、答えるのに難儀しましたよ」

「怒らない怒らない。だって、ボク、そこのステッラ……じゃない、マイラちゃんの専門医だもの。愛しの彼女にお気に入りの男子ができたって言うから、ついイジワルしたくなっちゃった」

「え、あんたがマイラの専門医? じゃあ、彼女が女の子に見えるのか?」

「……いいや。残念だけど、ボクには。それに、ボクも彼女のことは詳しく知らされていないのさ。もし知っていたとしても、他言は出来ない。喋れば……」

 タチアナは唇に人差し指を当て、室内を見回す。

 はじめは何の仕草かと思ったが、盗聴だということに俺は気づいた。

 この国のブラックユーモアに、公共施設のトイレで政府の批判を少しでも漏らすと、出た瞬間、黒服が待っていたというものがある。即ち、盗聴が仕掛けてあるということだ。真偽のほどは分からぬが、この国なら充分にありうる。

 部屋の美麗さに喜び、油断をしていたが、ここだって分からない。国家重要計画に携わる者でも、個人の権利は無い。個よりも全を優先するこの国は。

「フフ……怖がらせちゃったかな? でも、それくらい気をつけたほうがいいよ。ということだ」

「……分かった。で、何であんたは俺の部屋に?」

「モチロン、マイラちゃんの診察にきたんだよ~。さ、そこに隠れてないで出ておいで~」

 タチアナははぁはぁと息を吐き、俺の影に隠れるマイラに迫る。ただのエロ親父だ。

「うう……たちあな、怖いよぅ。いつもこんな感じなの」

「だから帰りたくないって言ったのか……」

 すまない、マイラ。俺もこの女医にはあまり関わりたくない……。

 結局、観念したマイラはベッドに横になり、タチアナの診察を受ける。

「……ん……ふにゅぅ」

 タチアナの聴診器が体に触れる度、マイラはむずかゆいような声を出した。

 その様子は、まるで……。

「あられもない姿の少女が大切なところを触れられて、もだえている。少女はこの未知の感覚に戸惑う。これまではただの検査だったのに、どうして今はこんなにも……」

「そこまでは思っていない。それに、余計な表現をつけたすな」

「あらら、つれないなあ。キミから見えるマイラちゃんを想像してみたのに」

「あんたもマイラは狼に?」

「想像では美少女だけど……残念ながら。Сスィ教授も同じように見えると聞くし、羨ましいよ」

「俺と教授以外にも、いるのか?」

「ボクが知る範囲ではキミたちのみ。でも、世界にはいるのかもしれないね。ほら、アトラスのクヴィスト博士。それに、七人の開拓者」

「ああ、アトラスの」

 アトラス星集連合国。共和国と対になる西の大国だ。その国も今、宇宙開発に力を入れている。向こうはこちらと違い、大抵の情報は明らかにしており、俺もラジオのニュースで聞いた。

 開発責任者は、クヴィスト博士(噂では、彼はドラッヘ帝国のミサイル開発者とも)。候補生は、空軍士官の中でも厳選された熟練飛行士七人。通称、七人の開拓者。

 ありうるかもしれない。あの声を聞けば、そこを目指すにはいられないから。

「人があそこに行こうとしたのは今に始まったことじゃない。旧世紀から戦前にかけ、ロケット開発の礎を築いた者たちがいる。この国でロケット推進の基となる公式を発表したユマシュワ、帝国のヘルメス、アトラスのゴッダルト。根源を辿れば、この星に生命が誕生した時より、キミたちのような存在は……」

 いつのまにかタチアナは手を停め、陶酔するように喋り出した。

「……あんた、詳しいんだな。凄いよ」

「ま、まあ、ボクも星空には憧れを持っているからね。だから、そんな者たちを、ボクはコスモナウト――宇宙へ歩む者――と呼んでいる」

「――コスモ、ナウト」

 その言葉が、頭の中へすうっと入った。あの声を聞き、宇宙を目指すものたち。それにぴったりだと思ったのだ。

「俺も、そんな存在になれるのかな……」

 その疑問に答えるかのように、側に立ったマイラが窓の外を指さす。

「まるす、見て」

 窓の向こうの夜空には、星がきらめいている。俺を待っているかのように。

 検査終了後、タチアナは俺に伝える。

「マイラちゃんには、これからも定期的に検査を受ける必要があるからね。あと、ボクはキミたちの訓練担当医だ。それに、何か相談したいことがあれば、ボクの元に来なさい。医師、人生の先輩として何かしらの助言が出来るかもしれないよ。じゃあネ」

「分かった」

 タチアナが去ると、俺は「ふぅ」と息を吐き、マイラもほっとした表情になる。

「変人だけど、悪い人ではなさそうだな」

「……う、うん」

 その問いに、マイラは少しの間を置いてうなずいた。 


 診察後、俺は共同シャワー室で体を洗い、因縁の食堂で夕食を済ませた。その間、会った候補生で俺に話しかける者はいない。最年長の大尉もハハと気まずそうにから笑いするのみ。

 自室に戻り、ベッドに倒れ込めば、全身に疲労、頭には眠気が一気に襲う。

「……体、なまったなあ」

 想像以上の訓練の激しさに、明日からの日々のことを思うとげんなりする。

「まるす、いっしょに寝よ」

 いつのまにか寝間着になっていたマイラが、俺のベッドに入ってくる。

「ベッドは二脚も必要なかったな」

 このベッドは一人では広いと思っていた。今がちょうどいい。

「がんばれ」

「ああ、絶対になってやるさ」

 こんな綺麗な瞳を持つ子に応援されているのだ。へこんでなんか、いられない。

 俺の飛宙士訓練初日の夜は、少女を傍らに更けていった。

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