星への始発駅、飛宙士候補生 два
固くなった俺の手に、そっと柔らかな手が握られる。
その手の主は、マイラ。
「……」
彼女の目は、あの時と同じだった。
「ありがとう。はじめからびびってちゃ、何もできないよな」
俺の言葉に、マイラはにっこりとほほえんでくれる。
「今日は諸君らに新たな飛宙士候補生を紹介する。入りたまえ!」
決心とともに、中から中佐が呼んだ。
「はいっ!」
ドアを開け中に入れば、全員の視線が俺と、後ろのマイラに向けられた。
「え?」と、誰かが驚きの声を上げる。当然だった。彼らから見れば、いきなり狼が入って来たのだから。
俺とマイラは教卓、中佐の隣に立った。室内は横長の机が縦に二列並び、椅子に男性一五人、女性五人の飛行士が座る。
「では、自己紹介をしてもらおう」
「マルス・ベロウソフ。それに、隣の彼女はマイラ。よろしくお願いします」
俺は緊張と高揚半々で名前を告げた。
室内にいる二〇人の候補生が鋭い目で俺を見る。
「ベロウソフ? どこの基地出身だ?」「派手な髪の色だな」「しかし、何でまたこの時期に」
「中佐、これは何かの冗談ですか? ベロウソフ候補生はともかく、その……狼は」
「あの白狼の写真、面接の時に見せられたぞ。それが何で……」
候補生の何人かがマイラに関する質問をした。
この中に、マイラのことを少女だと見える者はいないようだ。
「冗談でも、何でもない。ベロウソフ候補生は正規の飛行士ではないが、教授の推薦を受け、この訓練に参加する。いわば、彼の秘蔵っ子。諸君らもうかうかしていられんぞ」
その挑発ともとれる紹介に、ぴしっと、飛行士たちの表情が変わった。
ひりひりと空気が変わるなか、
「わたしはまいら、みんなよろしく」
と、遅れてマイラも自己紹介する。みなには狼が吠えたようにしか聞こえないと思うが。
すると、席の中から「ふふっ」と笑い声が漏れた。
笑った候補生は女性。みなの視線が彼女に移ると、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
俺も彼女を見たが、「……あ」と、その顔を見てどきりと心音が跳ねた。
「……ふふ。彼女も仲間に入りたいそうだ。よし、二人とも、窓側一番後ろの席に着け」
俺たちは中佐に指示された席に着く。その隣には、先程笑った女性飛行士がいた。
彼女は既に顔を正面に戻し、氷のような無表情に。
俺は彼女と初めて顔を合わせるわけではない。最後に会った時より髪を短くして大人びているが、整った顔立ち、内から溢れる気品は変わらなかった。彼女は俺の、養成校時代の……。よりにもよって、ここで再会するなんて。今日は妙に女性に関して縁がある。
そんな彼女の隣に座ったため、俺は中佐の話が始まっても全く頭に入らなかった。
いつのまにか話は終わり、各々席を立ち上がっている。
「みんな、予定通り今からベロウソフ君の歓迎会を行う。宿舎の食堂に移動しよう」
と、みなに呼びかけたのは、髪を短く刈りあげ、精悍な顔つきの青年。
彼は俺の元に寄り、白い歯を見せ爽やかに話しかける。
「ベロウソフ君、僕はイワン・ヤコヴレヴィチ・アニケーエフ中尉だ。先程言ったのが聞こえたと思うが、参加してもらえるだろうか? もちろん、マイラ君もね」
強制ではないと思うが、ここで反対する理由も無い。くわえ、彼は士官であり、その声にははいと言ってしまうような力があった。
「分かりました」
「わたしも」
俺とマイラは参加の旨を伝えた。
「ありがとう」と、イワンは俺の手を強く握る。
俺とマイラはイワンの案内で、管理センターから近くの候補生宿舎、その地下食堂に移動した。食堂内は既に準備が整っており、テーブルの上にはコップ、軽食が並べてある。集合した候補生全員はコップにミルクを注ぎ、イワンが音頭を取った。
「では、乾杯といこう。これから訓練があるので、酒ではないことが残念だがね」
彼の冗談に「はは」と小さな笑い声が起こる。
俺は察した。イワンがこの中のリーダーであることを。俺より二、三歳上のようだが、あの落ち着き、貫禄は天性のものだろう。他候補生には、彼よりも階級、年齢が上の者もいるというのに。
「乾杯」の掛け声とともに、みな、ミルクを一気に飲み干し、後は立食パーティの形式に。
候補生たちは俺の元に集まって来て、順に自己紹介をしてくれた。ほとんどが二〇代で士官。大抵はみな、紳士、淑女的に振る舞ってくれる。しかし、抜け目なく、教授の推薦を受けたという俺を評価しているようにも見えた。こいつは、競争相手に足りるかと。
だが、中には、「……チャーチフだ」とだけ言って、ぷいと離れてしまい、俺に興味が無さそうな者も。
そうして、一九人の紹介が終わり、残るは一人のみとなった。彼女は、会が始まってから一度も俺に近づこうとしない。
「へぇ、ベロウソフはまだ一九か。エヴァの次に若いんじゃないか? エヴァは……ああ、いた。あそこにいるカワイコちゃんは、一七。この中の最年少だ」
俺の年齢を尋ねた最年長の大尉は、離れた場所にいるエヴァを指示する。
「あの子ったらまた一人で……。エヴァ、あなた、まだ彼と話をしていないでしょう。ちゃんと挨拶しなさい」
側にいた女性候補生が彼女に声をかけた。
「……ぁ、はい」
エヴァは一瞬、戸惑って、仕方ないという表情で返事をする。そして、足取り重そうに俺の元へ。
「……エヴァ・クズネフォワです」
小さな会釈、声で挨拶するエヴァ・クズネフォワ。
「よ、よろしく」
俺も片言で。互いに、目は合わさない。
「お? 何だよ、初々しいなあ。天才少女も色恋沙汰には
「大尉。その発言、規律違反と判断します。これ以上私たちの関係を必要以上に揶揄し、無神経な発言をするのであればしかるべき場に訴えますので。加え、私と彼の間に恋愛という感情は無いと断言します」
「わ、分かった……」
大尉のからかいにエヴァは毅然とした態度で反論し、彼をへこませてしまった。
氷の皇女。養成校時代の彼女のあだなは健在だ……。
「では、挨拶も済みましたので……」
面倒な用事を済ませたような顔をして、エヴァは俺から去ろうとしたが、立ち止まり、マイラの頭を撫でる。
「マイラ、私はエヴァです。よろしくお願いしますね」
マイラに挨拶する顔はさっきとは正反対。存分にマイラの毛触りを楽しんでいる。
「よろしくね、えば」
マイラも気に入ったようだ。
二人が仲良くしている間、俺は女性飛行士に質問する。
「あの、彼女ってまだ、学生ですよね」
学年が二つ下のエヴァはまだ、養成校の三年生のはずだ。(共和国では九月に新学期が始まり、翌年の六月が学期終わり)
「ああ、エヴァはね……今回の候補生への選抜は、基本、空軍飛行士男女からだけど、彼女の場合、実力は正飛行士に充分足りるということでスカウトがいったらしいの。私もはじめ、学生が? って思ったけど、訓練が始まってからは納得したわ」
「そうですか……」
たしかに、入学した当初から、彼女は天才と言われた。最短四時間で単独飛行を許され、一年生ながら上級生よりも技量を上回り、時には模擬戦で教官さえ負かすこともあったのだ。
そんな彼女を周囲は氷の皇女と畏れていたが、俺は知っている。彼女は誰よりも努力し、負けず嫌いだった。一年前、俺が養成校を辞めた後でも、絶えず己を高めていたと思う。
だからこそ、彼女は今、ここにいるのだ。
そんなエヴァに比べ、自分は……と、多少卑屈な思いがして、俺は余計に近づけなかった。
「ベロウソフ、何暗い顔をしてるんだ。ここに来たら、歳も階級も関係ないぜ。ほら、食え」
気持ちが沈んだ俺の肩を叩き、大尉はサンドイッチを手渡す。
「あ……はいっ」
あっけらかんとした彼に励まされた俺は、サンドイッチを口にほおばった。
一時間の昼休みも終わるころ、俺は何人かの候補生とは多少打ち解けていた。年齢が近く、養成校の思い出話にも花が咲いて。
「チャーチフ、待ってくれ、まだ時間があるじゃないか。それに、さっきの君の態度は……」
食堂の出入り口で、幹事のイワンが誰かと口論していた。
相手はチャーチフ候補生。先程、俺にぶっきらぼうな挨拶をした人物。
候補生の中で一番背が高く、二枚目の彼は、いやがおうでも目立つ存在だ。
そんな彼とイワンが揉めていれば、全員の視線は集まる。
「俺はもう行く。時間がもったいない。あんな飛行士未満の歓迎会など、無駄だ。どうせ、一週間も経てばいなくなるからな」
その発言に全員の口が停まり、会場はしん……と静まった。
「みな、同じなんだろう? 教授の推薦か知らないが、養成校を辞めた半端者がここにいていいわけではない。俺達は国を護ろうと飛行士、軍に志願した。西側からの脅威の中、毎日死と隣り合わせで任に就いている。ここに選ばれなかった者たちも、あいつを見ればどう思うか」
彼の言葉が、俺の胸に刺さる。
その通りだ。無数の共和国空軍飛行士が選に漏れ、涙を呑んでいるのだ。
候補生たちが黙っているのも、チャーチフの発言に思うところがあるのかもしれない。
和やかだった歓迎会は、ぴりぴりとした試験場にようになってしまった。
「まるすは、半端者なんかじゃない! わたしを見つけてくれたの!」
いたたまれない空気のなか、ただ一人、マイラが吠える。
「マイラ……」
みなにとっては狼の鳴き声、でも、俺にとっては励ましの言葉だった。
「チッ、だいたいあの獣は何なんだ? 国家の代表たる者を決める場に……ふざけてる。半端者とケモノ臭いヤツ、俺はどっちも嫌いなんだよ!」
「――あんた!」
俺のみならず、マイラへの侮辱に、頭が一気に沸いた。俺はチャーチフを睨み、
「俺はたしかに半端者だ。だが、それの何が悪い? 半端者が選ばれない理由がどこにある? 俺は絶対あんたなんかに負けない。いや、俺は一番になる。初の飛宙士には絶対に俺が選ばれる! あそこに行くのは、俺だ!」
腹の底から声を出し、言ってやった。
俺の宣言に、始め周りは呆気にとられていたが、次第に顔を険しくさせる。
背中に、ひりひりとした視線を感じた。
「ほぅ……言うじゃないか。一週間後、いや、今日の終わりにも同じことが言えるかどうか、楽しみだ」
捨て台詞を吐き、チャーチフは食堂を出て行く。
周辺の候補生を見れば、先程までの砕けた雰囲気は無く、俺に対して厳しい視線を向ける。
俺の発言は失敗だったかもしれない。だが、後悔はしない。
このくらいの覚悟でなければ、飛宙士には選ばれないのだから。
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