第二幕

星への始発駅、飛宙士候補生 один

 一九六〇年五月中旬。首都ツェントルより北東数十キロ地点。

 俺が教授の元で飛宙士候補生を志願し、二週間。訓練所への入所が認められた俺は首都のアパートを引き払い、正装し、少ない荷物を持って、送迎車に乗っている。

 この二週間、俺は多忙な日々を送った。志願した翌日には街の大病院に連れていかれ、身体のあらゆる箇所の検査、体力知力を測る試験を受けた。それらに合格し、安心したのも束の間、次は延々と続くかと思われた面談。薄暗い部屋に通され、机向かいに医者、軍人、政治家、委員会、時には所属不明の者から、俺の経歴、思想、宗教……と、多種多様な質問がされた。(中には初体験の相手は誰で、その時の気持ちは? というものも)この場合、質問に少しでも戸惑ったり、答えなければ落とされる。俺は教授の期待に応え、マイラと再会するため、必死に思ったままを言った。

 それが伝わったのか、全検査、試験、面接は完了し、二日前に合格通知を受け取ったのだ。その時の喜びは、一五歳の頃、飛行士養成学校に合格した時に等しかった。

 早朝出発した車は首都を離れ、もう一時間経つ。幹線道路から脇道にそれ、「この先通行止め」の標識を過ぎ、針葉樹林の中を走る。行き先は訓練所と聞いているだけ、具体的には教えられていない。運転手、助手席にいるのは委員会と思しき二人組。車内は発車時からラジオ、お喋りも無しの無言がBGMだった。

 そろそろ眠気が襲ってきたころ、車は初めて停まる。検問だ。狭い道は金網によって閉ざされ、侵入禁止の看板、銃を持った兵がものものしい。そのせいで、俺はすっかり目が覚める。運転手が兵と一言二言交わした後、車は再発進した。

 検問通過後、道も複雑になり、右、左と迷路をさまよっているような感覚に。さらに一時間後、遂に目的地と思われる場所に着いた。自然の中、明らかに人工物と分かるレンガの外壁が構えていたのだ。壁に少し沿えば、再び、検問。今度は先のものよりもっと厳重だった。出入り口のゲートには警備兵の詰所。機関銃所持の二名の警備兵、大型の軍用犬も。

 運転手は前の窓のみならず、後ろの窓も開ける。彼から書類を受け取った警備兵は、俺の顔をじっと見た。もう一人の兵が所持する書類と照らし合わせ、互いに頷き、「よし」と運転手に合図を送る。

 施錠されたゲートが開けば、車は進み、ようやく俺は施設へ入所を果たした。

「ふぅ」と、思わず俺は息を吐く。一度目の検問からの緊張感、まるで怪物の腹に収まったような気持ち悪さ。ここは国家の最重要秘密施設。それを改めて思い知る。

 窓から外を見れば、訓練所と聞いて想像する小じんまりとしたものではなかった。整備された道に完成、未完成含めた大小様々な建物が並ぶ。道歩く人は、軍服をまとった軍人、白衣をつけた医師、非軍属と思しき一般人の姿も。

 所というより、ひとつの町だ。

 車は建物の中でもひときわ目立つ、コンクリート三階建てに停まった。

 そこで、初めて運転手は後ろを向き、俺に話しかける。

「ようこそ、マルス・ベロウソフ飛宙士候補生。飛宙士訓練所兼開発実験複合施設、『星への始発駅』へ。ここは中枢区、管理センターになります」

 助手席の男は外に出て、後部ドアを丁寧に開けてくれた。

「あ、ありがとう……」

 俺は彼らの慇懃な態度に意表をつかれ、しどろもどろに礼を言って、車を降りた。

 降車直後、

「お前が、マルス・ベロウソフ候補生か」

 と、いきなり凛とした声で呼びかけられる。

 驚いて声のした先、センター玄関前を見れば、そこに直立するのは小柄な女性。着るのはカーキ色の共和国空軍の制服。しかも、階級は肩章の二本の青線に二個の星から、中佐。左目には眼帯という歴戦の勇士。

「あ、あのっ、お……私に何か用事でありますか?」

 俺は思わぬ上級士官との遭遇に、へなっとした敬礼、慣れぬ敬語で質問した。

「私は、リーリヤ・リトヴァク・ダーチャ空軍中佐。お前をこれから案内する。着いて来い」

 彼女は名前だけ告げると、さっと踵を返し、中に入って行った。

「え……、は、はいっ」

 俺は彼女に遅れないよう着いて行く。

 中佐はかつかつと軍靴の音を立てながら廊下を歩き、奥まった部屋で停まる。

「まずはこの中に入り、お前を待っているものと合流しろ」

「待っている者……あ、」

 俺はすぐに誰かが分かり、言葉に甘えて室内に先に入った。

「まるす、久しぶり!」

 入った途端、その待ち人――マイラ――は、たたっと元気に寄って来た。

「二週間ぶりだね。俺がいない間、変なことはされなかったか」

 俺は彼女の頭をなでる。さらさらとした髪の感触、側にいるだけで癒される匂いを充分に楽しんで。

「うん」と、マイラは嬉しそうに首を振る。その様子は、まるで久方ぶりにご主人に会えて喜びを露わにする犬のようだった。心なしか、ぴこぴこと揺れる髪は犬耳のようにも。

「まるす、その格好、すてき」

 マイラは俺の姿を見て、ほめてくれた。

「え? 素直に言われると、照れるな……ハハ」

 実は、俺も空軍の制服に袖を通していたのだ。今の俺は、書類上、空軍所属となっている。そうしたほうが後々便利ということで。一度は諦めた空軍の制服を着るのは、何だかこそばゆいが、マイラにほめられるなら悪い気はしない。

「……やはり、お前には見えているようだ。教授の話は本当だったか」

「は、はいっ。私にはマイラが少女として見えます」

 後から入って来た中佐に話しかけられ、俺は緩んでいた顔を正す。

「便宜上、ここでは私もマイラを人として扱う。二人とも、席に着きたまえ」

 命令で俺たちは椅子に並んで座り、中佐は前の椅子に着く。

「私のここでの任は、主に候補生の訓練スケジュールの管理だ。訓練ごとに専任の教官、医師がいるが、お前はしばらく私の組んだ工程、指導を受けろ。なお、私に従えない場合、加え、一定の期間を経て、こちらの要求する基準に達していなかった時、即座にここを退所してもらう」

 俺は唾を飲み、背筋を直立させる。指導教官である彼女に逆らえば、クビなのだ。

「さっそくだが、これからお前には他の候補生たちに挨拶をしてもらう。その後、昼食を挟み訓練に移る。急き立てるかもしれんが、お前はただでさえ他の連中から遅れているわけだからな」

「了解です」

 そうとも。ここはなれ合いの場ではない。選ばれた者たちが集い、初の飛宙士の座を争う闘いの場なのだから。

 次に、中佐からこの「星への始発駅」に関する分厚いマニュアルを渡され、俺はざっと目を通した。中には町にある諸々の施設の説明、候補生を含めた住人への注意事項などが記されてある。俺は、ある一文に目が停まった。

 ・当施設で見たこと、聞いたことは、外では他言禁止。たとえ家族でも。

 当然、規則を破れば……後は察しの通りである。

「隅々までよく読んでおけ。知らなかったでは済まされないことが多々あるからな」

「え、ええ……あ、」

 中佐から念入りに注意を受けて、彼女の顔を見た時、俺はある人物のことが頭に閃いた。

「――あ、あのっ、中佐はかのレニンスグラッドの白百合殿ではありませんか?」

「……その通りだが」

「やっぱり……」

 大戦時、激戦区レニンスグラッドの攻防戦で大活躍し、共和国空軍史上女性で初のエースパイロットとなったリーリヤ・リトヴァク・ダーチャ。(異名は、彼女の乗機に描かれた白薔薇を白百合と間違われてから)操縦技術だけでなく、美貌を備えた彼女を軍はプロパガンダに使った。そのため、女性飛行士への志願が一気に増えたという話だ。現空軍における女性飛行士の地位を築いた人であり、今でも男女ともに熱烈な信徒がいる。

 俺も、彼女のことを父から知り、当時の写真などを眺めて憧れていた思い出が。

 その時にはなかった眼帯、想像よりも背丈が低かったことから、初見では気づかなかった。

 俺が養成校にいた時は既に現役を退き、どこかで指導教官をしているという話だったが、まさか、ここで……。

「ベロウソフ、まず、言っておく」

 だが、昔の憧れの人に会えて高揚する俺とは反対に、中佐は表情を変えないどころか、むしろ……。

「何でしょう?」

 中佐は俺の顔を右目で思い切りにらみつける。

「私は過去の話をされるのが大嫌いだ。もし、次に……」

「――了解であります!」

 彼女の目力に俺は即座に立ち上がり、敬礼をした。

「まるす、何でりーりやのこと、怒らせたの?」

 隣のマイラはきょとんと俺と中佐を見た。

「時間だ、行くぞ。マイラも着いてきなさい」

「はっ」「うん」と、俺とマイラは正反対の調子で立ち上がる。

「ベロウソフ、お前と同伴しているならば、マイラの行動にはある程度の自由が認められている。だから、しっかりとお前のもう一つの任もこなすのだ」

「分かりました」

 中佐の後に俺たちは並んで出て、二階の講義室と記された部屋まで歩いた。

 扉の向こうからは、声一つ聞こえない。それだけで、ここが真剣な場であることが分かった。

「私が先に入る。お前たちは呼ばれたら入って来い」

 と告げて、中佐は扉を開けて先に入り、後ろ手で扉を閉める。

 廊下に残された俺は、扉向こうの二〇人の飛宙士候補生に想像を巡らせる。彼、彼女たちは全員飛行士。その中に、飛行士でない俺が加わる。

 選ばれたエリートと、半端者の俺。

 現実的な差を考えると、俺の体はいつのまにか緊張で委縮していた……。












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