ソラへの誘い

「私と君にはステッラが少女として見えること以外に、共通する体験があるはずだ」

 教授は椅子をくるりと回転させ、窓側に体を向ける。

「体験……あ」

「その通り。絶望的状況下で我らを救いたもうた、かのものたちの声」

「われらのもとにきたれ。ここにて、まつ」

 気づけば、俺は自然にあの言葉を唱えていた。

「そうだ。君もあの声を聞いた者。ならば、君にはあの場所を目指す資格がある」

 立ち上がった教授は窓のカーテンを開け、外を指さす。

 外の空には雲一つなく、青空澄み渡っていた。

「あの場所へ……」

 かつては目指し、いつか辿り着こうとした場所。だけど、今の俺は……。

「私は、あそこに至るための物を作っている。具体的には、ロケットだ」

「ロケット? あなたが!?」

 ロケット。搭載した燃料を後方に射出し、その反作用で進力を得る移動装置。かつてはドラッヘ帝国が弾道ミサイルとして戦争に使用し、恐れられた。

 今現在、ソフィエスが西のアトラスと熾烈な開発競争を繰り広げているもの。兵器としてではなく、どちらが先に人を宇宙に送るのかという平和目的だ。俺が思うにそれは建前で、開発当初は大陸間横断ミサイルが主であっただろう。兵器から目的が変わったのは、三年前、この国が果たした世界初の人工衛星から。それはアトラスを含め、世界に衝撃を与え、ソフィエスの技術を知らしめた。

 俺もそのニュースを聞いた時は異常に興奮し、次は有人飛行だ! 遂にその時が来た! と、ある決心を俺に起こさせた。

 ただ、ロケット開発者に関しては、一切が非公開だった。この国の慣例といってもいい秘密主義。公には、敵国からの勧誘、拉致、暗殺を防ぐためでもあるのだろうが。

 そんな最重要人物が今、目の前にいる。

「次は……有人飛行なんですか?」

「うむ。今、その飛行士を目指すため、ある場所で候補生たちが訓練をしている」

 飛行士、候補生、訓練……。

 三つの単語が俺の胸に次々と刺さり、焦りのような気持ちを生じさせた。

「発射は、いつ頃に」

「それ以上は言えない。君は候補生でないし、先程話したことさえ、最重要国家機密。もし君が他言すれば……」

 教授はそれ以上答えてくれなかった。当然だ。俺は関係者ではない。しかも、飛行士でもないのだ。

 半端者。養成校を辞めてからの一年、俺の時は停まったままだった。

 俺はうつむき、両手を握りしめる。

「マルス・ベロウソフ。下を向くな。意志あるならば、私は君に道を用意しよう」

 え――。

「候補生に志願しないか?」

 一度は諦めたあの場所に至る方法を、教授は提案してくれた。

「俺は、俺は……」

 今すぐ、はい、と言いたかった。けれども、喉からその言葉が出てこない。

「……まるす」

 右手に温かい感触があり、見れば、ステッラが手を包んでくれていた。

 彼女は俺の目を見て、うなずいてくれる。

 迷い無く、まっすぐに俺を信じてくれる目。その瞳に訴えられれば、もう遮るものは無かった。

「俺は、行きたいです。あそこへ」 

 教授――その向こうにある青空を見て、俺ははっきりと意志を示す。 

「よろしい。だが、私は君に参加券を贈るだけ。後は君次第だ。飛行士を選ぶ時、そこに一切の私情は挟まない。加え、条件がある。参加するのならば、君にはステッラの世話……共に生活をしてほしい」

「え? 俺がこの子を? そういえば俺たちに声が聞こえるのと、彼女の姿が見えるのにどのような関係が? そもそも、ステッラは一体……」

「この子は、宇宙に辿り着くための最後の鍵だ。今はまだそれしか言えない」

 最後の鍵。俺はとんでもない存在と手を繋いでいるのではないかと畏れおおくなった。

「まるすの行きたいところ、わたしも行きたい。一緒に行こ」

「……うん、そうだな」

 けれども、彼女の純粋な言葉に俺のそんな気持ちは消え去る。正体が何であれ、俺にとってはふつうの女の子だ。

「じゃあ、名前を決めよう。ステッラという名はあまり好きじゃないんだよね」

「うん」

「……そうだったのか、残念だな」

 と、教授は悲しそうな顔をする。

「じゃあ……マイラだ。君を見て、ひらめいた」

 マイラ。夜空に輝く星座のひとつ、子犬座の元になった犬の名前。

 宇宙を目指す俺にとっては、彼女が道標になってくれたらという想いから。

「まいら? ……うん、わたし、その名前好き。まるす、ありがとう」

 マイラという名を与えられた少女は俺に初めての表情を見せる。

 それは、笑顔だった。

「――」

 彼女の笑顔に、俺の心は撃ち抜かれる。

「マイラ――か。ふむ、良い名だ。……さて、話もひと段落して、一服したくなったな」

 新しい名を納得してくれた教授は、机の引き出しをさぐる。

 一服といえば煙草を吸うのかと思ったが、彼が口に含んだのは飴玉だった。

「きょーじゅ、わたしにもちょうだい」

「いいとも。……煙草は医者に止められていてね。今はこれが口の恋人というわけだ。なめ始めてみると、これが意外にいける。様々な種類を常時持ち合わせているのだよ。君も、どうかな」

「は、はあ……いただきます」

 差し出された飴を、俺は口の中に入れる。味は、イチゴだった。

 この部屋で目覚めたばかりのころは、教授を敵だと思っていた。でも、今はこうして三人で飴をなめている。それが少しおかしくて、イチゴ味の飴玉は余計に甘かった。

「これで、君も他の二〇名と同じ飛宙士の雛鳥か。髪が赤い君の場合は……」

 教授は窓の外を見ながら呟く。

「飛宙士?」

「空を飛ぶ者は飛行士、ならば宇宙に飛びたつ者は飛宙士。私が命名したのだよ」

 飛宙士。良い響きだと思った。今は雛鳥だけど、いつかは……。

 俺も窓の外を見れば、空には白い月が見えている。

 空の、その先へ――

 あの場所に飛び立つもの。

 俺は、必ずなってみせる。隣に立つマイラとともに。





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