С教授

 その日、西の空から鉄の翼が生えた悪魔たちが町にやってきた。悪魔たちは煮えたぎった火弾を落としていく。落ちれば地面は真っ赤に燃え上がり、人、建物、全てを滅ぼした。

 赤髪の少年の住む教会、彼を育ててくれた神父、修道女たちも。

 家、家族を無くした少年は、くる日もくる日も空を見上げる。

 あの日から空は灰色で、かつてのあおいろに戻ることはなかった。

 もう何日経ったかも忘れたころ、灰色の空から雨が降る。自分の顔に落ちる冷たい水で、少年は悟った。

 空は二度と元には戻らない。あそこを自由に飛んでいた鉄の鳥も、悪魔になってしまった。戦争は、全てを歪に変化させるのだ。

 もうあの空が見えないのなら、生きていてもしかたない。だから、終わりにしよう。

 少年は覚悟というより達観した感情で、自らの命を絶とうとしていた。

 教会の跡で見つけた先が折れた十字架。その尖った先に、首を刺せば――

 が、

 

 ――われらのもとにきたれ。ここにて、まつ。

 

 声が、聞こえた。

 その声は老若男女、いずれの声にも聞こえ、初めて聞いたはずなのに、どこか懐かしかった。

 少年は声の聞こえた空を見上げる。

 気づけば雨は止み、灰色の空の一部が裂け、光が射していた。

 空よりもっと向こう、かなたから伸びる光は、差し伸べる手。あるいは、道。

 その時、少年はなぜ自分がこの世に生を受けたのか、理解した。

 声の主たちは、あそこで、自分を待っている。

 そこへ至る方法は、少なくとも自ら死を選ぶことではない。

 前を向き、上を見て、進むこと。

 少年は誓う。

「ぼくは行きます。必ず、あなたたちの元へ」



 懐かしい記憶を俺は思い出す。

 あの声を聞いて以来、俺は決して生きることを諦めなかった。

 泥水をすすって、ゴミクズを漁り、瓦礫を寝床に、生き抜いた。

 そのおかげで、俺はあの人と会うことができたのだ。

 あの人は俺に再び家族の温もりを思い出させてくれた。

 けれども、あの人がいなくなって、俺は声を、空の色はまた……。


「……あ、」

 意識を覚醒し、俺はまぶたをゆっくり開く。

 ん、まぶたを……開く?

 俺は自分の意思で体を動かしているのだ。

 生きている? 銃で撃たれたはずなのに?

 生きていることを認識した俺は、かっと目を開き、状況を確認した。

 俺は、どうやら椅子に座っているらしい――というのは、部屋の明かりは消され、カーテンが閉められて、薄暗いから。身体の自由は効き、立ち上がろうと思えば出来たが、ここがどこなのか見回した。

 もちろん俺のアパートではなく、どこか広い部屋に移されている。しかも、かなりの大物が使用するような上等部屋。現に、座る椅子は背中、尻が沈み、踏むカーペットも未体験の柔らかな感触。俺のような一市民には一生縁が無いような調度品で揃えられている。

 こんなところに俺を閉じ込めて、何が目的なんだ?

「……ふむ、起きてすぐに自分の置かれている状況、周囲の観察をしたか」

「わっ!?」

 いきなり背後から声が聞こえ、俺は椅子から飛び上がった。

 同時に部屋の照明が点き、俺は背後を振り返る。

「……あんた?」

 俺の背後にいて、声をかけ、電気をつけたのは、壮年の男だった。

「驚かせたようだな。ここにいたのは、君が覚醒する少し前だよ。それから、君がどのような動きをするのか興味があり、観察していた」

 男は喋りながら歩き、俺を横切って、正面にある執務机に近づく。その間も、俺と彼は互いのことをじっくりと観察する。

 髪型は、黒に白いものがまじったオールバック。大きな顔で、首が太く、顎との区別がつかなかった。高そうなスーツに身を包み、国営工場の重役、組織の幹部といった印象を受ける。

 顔に刻まれたしわなどに年齢を感じるが、その瞳は十代と思えるほど輝いて、あの人とどこか似ていると思った。

「さて、君の私に対する第一印象が気になるところだが、まずは座りたまえ」

「……あ、はい」

 彼の着座の勧めに、俺は素直に従った。

 彼も座り、俺達は向かい合う形になる。

 少しの沈黙後、俺から話し始めた。

「あの、俺をこんなところにさらって何が目的ですか。俺に家族はいないし、強迫なんて無駄ですよ……いや、違う。俺が聞きたいのはあの子、ステッラの無事です。あの子の姿を見せてください!」

 始めは理性的に話すつもりだったが、次第に興奮し、つばを吐いて尋ねる。

 男は特に反応せず、机上の書類を手に取った。

「マルス・ベロウソフ。一九四〇年一〇月生まれの一九歳。ただし、これは推定の年齢である。姓のベロウソフは養父のもの。実の両親は不明。乳児の時、ロジィナ町の教会前に置かれていたのを神父、修道女に拾われる。そのまま教会で育てられるが、ドラッヘ帝国の侵攻により、保護者を喪失。後、戦災孤児に」

 彼は俺の経歴を読み上げる。無機質に、淡々と。

「……と出会い、彼の養子となった。一九五六年九月、オーフェン飛行士養成学校に入学。座学は優秀と評し難いが、飛行技術には飛び抜けたセンスあり。将来のエースパイロット候補と目されるものの、一九五九年五月、卒業間際に退校。その理由は明らかにしていないが、養父の……」

「やめろ!!」

 俺の一番触れてはいけないところに踏み込もうとする男に、全力で阻止をした。

「……」

 男はそれを聞き、書類を置いた。

「あんた、やっぱり委員会か。一年前のことで、俺の経歴はしっかり調べ尽くされているからな。さすがは政府の陰の機関。あの子……政府の秘密を知った俺は、よくて強制収容所、それとも死刑台送りか? あんたらお得意の『赤を白と言う者に、粛清を』ってやつだ!」

 俺は溜まりきった悪意を吐き出す。一年前にも俺の元に現れた委員会に。この国の暗部、政府に反意ある者を嗅ぎつけ、狩りだす組織。奴らの標的にされた時、医者の余命宣告よりもたしかな死が訪れるという。

 俺が奴らと関わるのはこれで二度目。前回は警告で済んだが、俺はこれから強制収容所で死ぬまで酷使されるのだろう。一瞬で迎える死が遥かにましと思えるほどに。

「……陰の機関、強制収容所送り……か。ははは、」

 だが、俺の切羽詰まった態度に、あろうことか、男は、笑った。手で顎をさすりながら。

「な、何がおかしいんだよ。こっちは……」

「勘違いをしているようだが、私は彼らとは別組織の者だ。時に彼らの手を借りるが、少なくとも、私は、人を殺めるような指示はしない」

「え?」   

「君が受けたのは麻酔銃。二、三日はぐっすり眠れるものだよ。本来ならば、寝ている間、相応の処理をして、全てを忘れて帰ってもらうつもりだった」

 相応の処理……というのも怖いが、少なくとも殺意は無い。それが分かり、俺は胸を撫で下ろす。

「あん……あなたは、一体」

「ふむ、君の個人情報を語るだけなのは、不公平だね。私は、……Сスィ教授。ただ、私が何をしているのかと、この場所のことはまだ話せない」

 男は自らをС教授と名乗る。確実に匿名ではあるが、大学で教鞭を執る堅苦しい者に見えなくもない。しかし、そんな肩書きの者が、あんなごつい手指をしているだろうか。

「ここで、君の始めの質問に戻ろう。君は、あの子、ステッラがのだな。少女の姿に」

 教授は俺の目を見て、念入りに尋ねる。

「はい……見えますが、それが何か?」

「そうか……」

 俺のそっけない答えに、教授は両手を組み、考え込んだ。

「そうだ、彼女は無事なんですか? あの子の姿を見ないことには、俺は、ここを出ません」

「ああ、ステッラなら……」

 その時、背後のドアが開き、

「きょーじゅ、まるすはもう起きた?」

 あの耳触りの良い優しい声が聞こえた。

 俺はすぐに立ち上がり、後ろを振り向く。

「ステッラ! ……良かった」

 彼女は俺が眠らされる前と同じ顔、体、服で何一つ変わっていない。傷も無かった。

「おはよう、まるす」

「うん、おはよう」 

 何気ない挨拶なのに、彼女と言葉を交わすのがとても嬉しい。

 ステッラは歩き、俺の隣の椅子にちょこんと座る。

「ステッラ、待ちきれなかったのかな。ちょうど君を呼ぼうと思っていた」

 教授はステッラに気さくに話しかける。

 続いて、部屋には新たに白衣の男が入り、教授に対して頭を下げた。

「申し訳ありません、教授。ステッラが言う事を聞かず」

「別に構わない。自分をくれる者は二人目だ。会いたいのは当然だろう」

「!? やはり、彼も……」

 彼らの同じ反応を見て、俺は違和感の正体を探ろうと思った。

「あの、俺がステッラを女の子として見えるのが、そんなに異常なんですか?」

「彼女を少女として見える者は限られている。それが当てはまる者は、今、私と君のみ。彼には見えていない。彼には、白色の毛が生え揃う狼に見えるというのだ」

「は? 彼女が、狼?」

 言われてみればケモノっぽい仕草はあったが、こんなかわいい子が何で……。

「あんた、本当にこの子が狼に見えるのか? そうだ、ステッラ、喋りかけてみなよ」

 俺は白衣の男に向き直し、ステッラに頼んだ。

「おじさん、いつもご飯ありがとう」

「……」

 彼は困惑している。その表情が何よりの証拠だった。

「彼にはステッラが吠えたようにしか聞こえないだろう。君、私はこれからベロウソフ君に大切な話をする」

 教授が白衣の男に目配せすると、彼は意図を汲み取り部屋を去った。

 俺と教授のみがステッラを少女として認識し、他の者には白狼に見える。

 一体、何故なのだろう……。









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