赤毛の青年と、白毛の少女 три
何かの予感がして、俺が目を覚ましたのは陽も昇り始めたばかりの頃だった。
ステッラは先に起きていて、ドアの方向をじっと見ている。
「……まるす、来るよ」
何が? と、聞く暇も無く、どんどんとドアは激しく叩かれる。
「ここを開けろ。お前がかくまっているものに用がある」
聞こえてくる男の声は有無を言わさない口調だった。
ステッラは彼の声にびくりとし、俺を見た。
「少し待ってくれ。着替えたいんだ」
素直に聞いてくれるとは思えないが、俺は立ち上がり、窓に寄って外を見る。
下の道には黒塗りの車が停められていて、二人の黒づくめ男が立っていた。
「あ、あいつらは――」
ドア向こうの男と同類と思われる連中を見て、俺は首筋へ剃刀を添えられたように肝が冷えた。奴らが俺の元に訪れたのは、これが初めてではない。一年前も。
「まるす?」
震える俺を不思議に思い、ステッラは俺の手を掴む。
それで気を取り直した瞬間、儚い防壁は侵入者に無理矢理こじ開けられた。今ほどここがボロアパートだということを恨んだことはない。
「チャイムは鳴らしたからな」
と、けろりと言う大胆不敵な侵入者。外の連中と同じ、帽子、制服、靴は全て漆黒。左腕に剣と盾が描かれた腕章。間違いない、「委員会」と呼ばれる連中だ。
ステッラは俺の背中に隠れる。
「それを返してもらう。素直に聞けば、我々はお前に何もしない。そして、昨晩から今までのことを全て忘れろ。いいな」
黒男は高圧的に話しかける。左脇の不自然なふくらみは、十中八九、銃。
同じだ。一年前と何もかも。こいつらは国のためと言い、反抗する者を全て消す。
「沈黙はこの国で最も賢い返事ではあるが、態度が伴っていない。早く、よこせ」
男はその長身を俺に近づける。
奴の迫力に、俺は思わず後ずさりしそうになった。……が、背中にいる彼女に気づいて、それを停める。
……何をやっているんだ、俺は。
昨日までの俺だったら、奴の言うことを素直に聞いていたかもしれない。
しかし、今、ステッラを護れるのは俺だけなのだ。一年前と同じ愚行を繰り返すな。
決心した俺は、奴を見上げ、その目を睨みつける。
「……嫌だ。さっきから、彼女をもの、それとか言っているのが気に入らない。この子はモノじゃない、れっきとした女の子だ」
「!? ……お前、何を言っている? 女、だと?」
男は目をぱちくりとさせている。俺が反抗したのがよほど想定外だったのか。
「普段からもの扱いしてると、こんなかわいい子を見ても何も思わないんだな。かわいそうなやつだぜ!」
俺は勢いに任せて前に踏み込んだ。もうどうにでもなれという感覚で。
「こいつ……」
男は顔を引きつらせ、左脇に手を伸ばす。
俺が覚悟を決めた瞬間、
「……やめて。わたし、あなたたちと行くわ」
ステッラは男に恭順の言葉を口にして、背中から離れた。
「ステッラ……?」
「そいつのほうがよほどお前より賢いようだ」
男は勝利を確信し、嗤った。
俺の元から離れるステッラは、とても悲しそうな目をしていた。
……いきたくない、と。その瞳は訴えている。
俺は天使になんて顔をさせてしまったんだ……。
結局、俺は変われなかった……と諦め、ステッラから目をそらす。その先に、机の写真立てがあった。
写真に俺と写る男性――父さん――と目が合う。
――マルス、どんな時も前を向いて、上を見るんだ。そこに、お前のゆくべき場所があるんだろ。
「……そうだよね、父さん。俺、一番大切なことを忘れてたよ」
俺は前に向き直し、男を見上げる。
「待て。連れて行くなら、俺も一緒だ」
「……分かった。だが、お前は何も言えない体になって運ばれるだけだ」
男は銃を取り出し、銃口を俺に向け、躊躇もせずに引き金を引く。
ぱすっと小さな音がして、胸に蜂が刺したような痛みが走る。
「あ――」
撃たれた? ということを頭が理解するよりも体の自由が効かなくなっていく。
崩れ落ちた俺に、ステッラが詰めかけ、顔を見る。
「……す、ま……す」
もはや視界もぼやけ、耳も遠くなってしまって、彼女がどんな顔、何て言っているのか分からなかった。でも、彼女が俺を想って涙を流し、呼びかけていることは分かる。
……ごめん、君を護れなかった……父さん、俺も、そっちに、いく……
人生最期に学ぶのは、死ぬ時は痛みよりも眠気が勝るということだった。
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