第10話
「いつつつつ……」
アラタは脇腹をさすりながら呻き声を上げた。
ほんのり残る鈍い痛みでアラタの意識は次第にはっきりとしていく。
「助かったよ、セラ。ありがとな」
「……へんたい」
セラは顔を顔を赤らめさせながら、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
アラタは決まりの悪い表情を浮かべると周囲を見渡した。
辺りにはおびただしいほどの死体が、血潮で赤く染められた地面に散らばっている。
状況は相変わらず最悪で、今でも目の前では異形のモンスターが逃げ惑うプレイヤーを無数の触手で捉えては限りなく残酷な手段で次々と葬り去っていた。
傍ではユキは丸まるようにうずくまり、身体を弱々しく震わせながら嗚咽漏らし、口から汚物を地面に吐き出していた。
アラタも自分の中でドロドロと黒くて冷たい何かが自らの心を再び蝕んでいくのを感じたが、全身を硬く強張らせて必死に正気を押し留めた。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!来るな来るな来るな来るなっ!」
ナオは完全に錯綜状態に陥いり、這いずりまわりながら泣き喚いている。彼女の目の前には、頭のない巨人の体を突き破って膨大な数の蛇が生えたモンスターが立ち塞がり、その蛇が持つ幾多の視線は、全てナオに向けられていた。
「しっかりしろ!大丈夫だ、この場から逃げない限り奴らは何もしてこない」
アラタはナオの肩を掴み顔を近づけ言い聞かせた。
「えぇ……?」
ナオは怯えるような目付きでアラタの全身を確かめるようにまじまじと見つめ、向けられた視線にアラタは頷いてみせた。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!来るな来るな来るな来るなっ!」
「おい……」
人をじっくり見ておいてモンスターと同じリアクションを取るのはやめてくれませんかね……。と、物凄い勢いで後ずさるナオに、アラタはため息混じりに呟いた。
「ひぃ……っ!」
アラタの背後で、聞き覚えのない細く震えた声が聞こえた。
振り返ると、見知らぬ女ヒーラーが後ろに倒れ込み、自分の右足に纏わりつく何かを青ざめた表情で凝視している。
彼女の視線の先にはモンスターの猛毒で下半身と顔の左半分がドロドロに溶けて、灰色になった女戦士が彼女の右足を必死に掴んでいるのが見えた。
「こ、ろし……て……」
彼女のその姿は、すでに事切れていてもおかしくはない。
だが彼女の体には、猛毒にかかったエフェクトに他に、煌々と光り輝くエフェクトが立て続けに降り注いでいた。
アラタには、それがプリースト最上位の持続性回復魔法である事をすぐに看破した。
最大で120秒もの間、3秒毎にHPを全回復するプリーストの最終スキルである。
この強力な回復魔法は、仲間であるこの女ヒーラーがかけたのであろうが、それが仇となりモンスターの猛毒が女戦士の身体を絶命寸前まで蝕み、その後すぐさま回復魔法が発動し、そしてまた猛毒が蝕んでは、魔法で回復し、それを何回も繰り返して苦しみだけが彼女を生き地獄に陥れているのだ。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」
女ヒーラーは自分がかけた回復魔法のせいで苦しみ続ける仲間に、祈るように謝り続けていた。
「お、おい、
「やっています!さっきからっ!でも……」
アラタは見知らぬ女ヒーラーに声をかけると、彼女は叫ぶように返事を返した。
「全く効果がないのです!」
確かに女ヒーラーは解毒の魔法を仲間にかけ続けているのだが、毒状態が解除される気配は全く感じられない。
考えられる可能性は、毒レベルが魔法のレベルを上回っていることだ。モンスターが自体が規格外のものであるから、その毒レベルも規格外に設定されているかもしれない。そうなると正常な仕様での解除はほぼ不可能だ。
仮に毒状態を解除できても、女戦士の半身は猛毒で壊死してしまっているので、助かる可能性はゼロに等しい。
そして回復魔法を解除することは、詠唱者にも出来ないのでこのまま効果時間が切れるまでの間、女ヒーラーは仲間が苦しみ悶えるさまを見守るしかないのだ。
「どうして、どうしてこんなことに……」
女ヒーラーは罪の重さで押しつぶされそうになりながらも悶え続ける仲間の姿から目を背けないでいた。
アラタはその姿に冷たい視線を送ると、何を思ったのかあるスキルを発動するために詠唱を始めた。
詠唱が終わると女戦士がいる地面に、黒い魔法陣が描かれ瞬く間にヒールの魔法がかき消された。
ヒールの恩恵が無くなると、女戦士は毒の影響をまともに受け、眼球を裏返らせながら苦しみに満ちた低い唸り声を最後に事切れていった。
「あなた、一体何を……」
「悪い、誤爆った」
戸惑う女ヒーラーに、アラタは冷たい声でそう言い放った。
60秒間いかなる回復効果に対し、100%の耐性を付与するアサシン最高のデバフスキル。最弱であるアサシンが、戦争で重宝される理由の一つだ。
このスキルを受けた者は一切の回復手段も受け付けなくなるので、あとは
よって戦争で最初に倒さなければならないのはアサシンであるし最後まで生き残らなければならないのもアサシンだと言われている。
それが例え仲間を犠牲にしてもだ。
「なんてこと」
見知らぬ女ヒーラーは哀しみを秘めた面持ちでアラタを凝視した。
「こんなことをされても誰も助からない」
「すまん」
アラタは二度と会うこともないであろう女ヒーラーに謝罪の言葉を送り、バツの悪そうに首を垂れると、足早にその場を離れようとした。彼の胸の奥はまるで鉛のように重くなり、今にも倒れてしまいそうであった。
人をこの手で殺めてしまった。
アラタは自分の手を見つめながら、自分が冒してしまった罪の重さを改めて実感した。
放っておけばよかったのだ、誰とも知れないパーティーを。何もしなければ誰も罪を犯さずにすんだ。
もしかしたら女ヒーラーは自分がかけたが魔法で仲間を苦しませたことを永遠に悔やむかもしれないし、不可抗力だったとしても毒の治療が出来なかったことに罪の意識を感じてしまうかもしれない。
だが完全に他人のアラタには、どうでもいい事のはずだった。アラタは自分の軽率な行動を悔やんだ。
「親愛なるユーザ達よ、どうか静粛に」
スクリーンに映し出された女神イリスが、この場にいる全プレイヤーにそう告げた。
「ユーザの皆さんにはこのゲームでのルールを身を持って知っていただきたかった。ここで全滅してしまうのは私の本意ではありません。そこで一度頭を冷やして頂きましょう」
そう言うとイリスは右手を前方にむけて真っ直ぐかざしてた。するとイリスの周りに突然青白いエフェクトが現れ、幾度にも重なりあい、光を放ちながら回転し始めた。
その時だ。
全てのプレイヤーは、自分達のいる場所が深い水の底に沈んでいる事に気が付いた。
そして水中にいるときのような感覚と抵抗は感じるのだが、どれだけもがいても浮き上る気配は一向にない。
息が出来ない。
アラタの吐き出す息は、泡となって水面に向かって上昇していくのが見えるが、逆に息を吸うことは叶わなかった。
みるみるうちに減少していくスタミナゲージは間もなく尽きてしまう。もしそうなればHPも減り始めてしまい、0になればこの場にいる全員が溺死することになるだろう。
だがそうなる前に、酸素を体内に取り込む事が出来ずに窒息寸前になる方が早いかもしれない。
アラタは自分の肺に残る全ての息を出し尽くすと、次第に力を失っていくのを感じた。
「もう十分でしょうか」
イリスの声が聞こえてくると、いつの間にかアラタ達は先程までいた陸地に放り出されていた。今となってはもはや逃げ惑うプレイヤーも、それらを殺戮するモンスターも見られない。
「如何でしょう。ユーザの皆様にはルールを正しく守り、楽しんでゲームをプレイして頂くことを切に願います」
女神イリスは地面にへたばった全プレイヤーに対し、淡々と言葉を告げてにこり微笑んで見せた。
どの口が言うんだ、とアラタはデタラメでルール違反この上ない事をしでかす女神に向かって、そう悪態を付かずにはいられなかった。
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