第8話

 運営からのメールを受け取ったアラタ達は、拡張現実によって擬似的に表示された白いラインに従い、イベント広場を目指した。


 首後ろに癒着したクリスタルの働きで、アラタ達の目には空中に白い吹き出しが浮遊しているのが見えており、そこには目標地点までの距離と所要時間が書いてある。これならどんなに方向音痴であったとしても、迷うこともないし、集合時間に遅れることもないであろう。


 アラタはこのガイド機能をプレイヤー自身が任意の目的地を指定して使うことが出来ないか、試してみたい気持ちに駆られたが、今は戦利品が大量に入ったザックを背負いながら歩くだけで精一杯だ。


 パーティーの後方で息を切らせながら、アラタはゆっくりと歩みを進めているのだが、道は僅かな傾斜になっており、さらに整備されているわけではないので、デコボコとした地面はバランスが取りにくく、他の事に気を取られていると後ろに転げ落ちそうになる。


 「こ~ら~!もっときりきり歩きなよ!このままだと集合時間に遅れちゃうよ~!」


 ナオの声にアラタは俯き加減だった顔を上げて、前方を恨めしそうに睨みつける。そこには元気にはしゃぎながら先行しているナオと僅かに気を使うような視線を送るナオが手を振りながら待っているのが見える。

 まったく呑気な奴らだ、と思いながらアラタは背後に視線を送った。

するとそこにはアラタを助けるように、セラが健気にもアラタの背後からザックを押し支えてくれていた。


 「アラタ、もう少しだからがんばって」


 そんなセラの励ましを受けると、不思議とアラタの体から力が湧いてくるのを感じる気がして「だ、大丈夫だ。問題ない」となけなしの見栄を張って見せるがやはりアラタの体力は限界に近づいていた。


 ようやく斜面を登りきると、森が開けた見晴らしの良い平原に出てアラタ達は息をついた。300mくらい先にはイベントの広場へと続く道があり、他のパーティーがぞろぞろとまばらな列を作って歩いているのが見える。


 「さあ、もうひと頑張りだ。アラタくん、頼りにしているよ」


 そう言いながらユキはすこし見上げるように困り顔な笑みを向けながらアラタの肩にぽん、手を置いて見せた。

 こいつ、自分のあざとさで俺を手玉に取ろうとしていやがる。俺がいくら童貞だからといって、そんなあからさまな態度で簡単に騙せるなんて思うなよ!

ビクンッ!ビクンッ!と不意なボディタッチにドギマギしてしまっている自分を、アラタは軽く咳払いをして軽く誤魔化して見せた。


 広場に近づくにつれ、他のパーティーもぞくぞくと合流し始め、次第に賑やかな雰囲気に包まれていった。引きこもり期間が長かったアラタにとっては、人目が多くなればなるほどどうしても居心地の悪さを感じる。自分が設定した顔のデザインが中二病丸出しの痛々しさがあるので尚更だ。


 他のパーティーにもアラタと同じように、荷物持ちが存在しているようであるが、見るからにアラタよりも小柄な女ウォリアーが軽々とザックを背負い、他のプレイヤーと談笑しながら歩いている。そんな光景を目の当たりにして、アラタはふらつきながら歩いている自分の姿が急に恥ずかしく思えてきた。


 きっと荷物の中身もさほど多くのアイテムが入っていないかもしれないし、彼女はファイターベースの職業で力のステータスに特化したキャラクターであるから、重さを軽減する効果が発揮されているのかもしれない。だが見た目はアラタとそれほど変わらないので、一見するとアラタの方が他のプレイヤーよりもひ弱に見えてしまうのだ。


 しばらく道を歩いて行くと、やがて石の柱で囲まれたイベント広場の入り口にたどり着き、アラタは気が抜けてしまったのか思わずその場にぺたんと座り込んでしまった。


 「も、もう駄目だ……。これ以上は、動けん……」


 「もう、そこに座ると他のパーティーの迷惑になるじゃない!あそこにキャラバンがあるからとっととアイテムを売り払ってきてよ」


 はぁはぁと息を荒げるアラタに対して、イビリ倒してくるナオ。なにお前、シンデレラの継母なの?昭和のドラマなの?とボヤきながら見つめながらアラタは言った。


 「ここまで運んだんだから、俺はもういいだろ?あとはナオが売ってきてくれよ。なんなら他のメンバーも使ってさ。その方が効率がいいだろ?」


 グローリーエイジARでは、アイテムの売却は武器は武器屋、防具は防具屋でしか売れないという非常に面倒なシステムになっている。なので一人で全てのアイテムを売却するとなると、複数の店に回らなければならなかった。


 それを聞いてナオは「ちょっとどいて」と呆れながら告げると、アラタの背後にあるザックを手に取った。

 しかしいざナオが持ち上げようとすると、体が硬直してしまうらしく、ザックはちっとも持ち上がらない。


 「なにこれ、こんなの持てるわけないじゃん!?信じられない!フツー要らない物捨てるっしょ!?キモッ!!」


 選別してそれなんだよ……。てかどさくさに紛れて俺を罵るのやめてもらえませんかね……。そう心でボヤきつつため息を漏らしながら、体を起こし始めた。そんなバテバテのアラタを見るに見かねたのか、セラが心配そうに話しかけて来る。


 「わたしが売って来るよ。アラタは休んでいて」


 「おお、マジか……助かるよ、セラ」


 やる気満々で話しかけてくるセラを、アラタは祈りを捧げるように見つめ返した。その一方でアラタの胸の内では、なぜセラはここまで自分に気を掛けてくれるのだろうか、と小さな疑問がよぎる。だがすぐに、もしかしたらセラは面倒見がいい性格なので単に誰にでも優しく接するのかもしれない、なんせ天使だもん、と自分に言い聞かせてこれ以上考えるのはやめてしまった。


 セラの職業、クルセイダーはファイターベースの職業だ。アラタと比べれば力のステータスに基本ボーナスが追加されているので段違いに高いのだろう。であれば、ザックの重さはかなり軽減されるはずだから、セラならば軽々と持てるかもしれない。


 そんな風に他のメンバーから期待の視線で見守れる中、セラは自分の体がすっぽりと収まりそうな大きさのザックに恐る恐る手を掛けた。


 「うーん……うーん……」


 セラは持てる力を全て振り絞って、ザックを背負おうとするが、ザックはやはりビクともしない。みるみるうちにセラの顔が真っ赤になっていく中、次第にアラタ達は罪悪感に似た何かの感情が心を占めていくのを感じた。


 「アラタごめん、わたしも無理みたい……」


 涙ぐみながら、はぁはぁと息を切らせながら謝って来るセラに「もういい、もういいんだよ、セラ!俺が悪かった!」となぜかアラタはひたすら謝るしかなかった。


 ──


 結局、戦利品はアラタが運び、他のパーティーメンバーと分担してアイテムを売却する事になった。全てアイテムを売却し終えた頃には、アラタはヘトヘトに疲れ果てて立ち上がることさえままならなかった。


 「がんばったね、アラタ。お水、飲んで」


 セラは抱えていたドラグノフを下ろしながら身を屈ませると、水筒を取り出してコップに水を注いでアラタに差し出した。


 アラタは震える手でコップを受け取り、「さ、さんきゅー」と小さく礼を言うと勢いよく水をあおった。

 長い間運動どころか外出すらままならなかったせいで、体を動かした後に飲む水が、あまりにも美味し感じてアラタは感動すら覚えた。


 「ご苦労さま、アラタくん。つい先日まで引きこもっていたからいきなりの重労働はこたえただろう?」


 ユキの突然の指摘にアラタは慌てふためいた。


 「な、なななななな、何言ってんスか!引きこもってないっスよ!全然人の目なんか気にしないっスよ!」


 アラタはキョドりながら言い逃れをしようとするが、頬からはダラダラと冷や汗が流れ、両目がキョロキョロと反復横跳びしてし、あまつさえ口からはさっきの会話とは全然噛み合わない言葉が出て来るものだから、全くもって説得力がない。


 ユキはふふ、と小さく笑うと自分の顔をそっとアラタの耳の横に近づけて優しく囁いた。


 「実は私、君が運営しているサイトのファンなんだ」


 「!?」


 まるでそれは看守から囚人である自分に死刑執行の日が今日だと告げられた時のような、絶望に満ちた言葉であり、アラタの思考を一瞬にして吹き飛ばすには十分すぎる威力を持っていた。


 アラタが運営しているサイトには、グローリーエイジ・オンラインの攻略情報の他に、毎日の出来事を綴るブログも存在している。それはもう、ゲームの進捗やレビュー以外に、食事の内容から便通の調子まで、こまめに見る人であればアラタの生活習慣やおはようからおやすみまでのタイミングまでわかってしまうような充実した内容だ。


 アラタとよく似た名前のユーザーや、模倣犯らしき人物をSNSやゲーム内でたまに見かけるので、特定はされないだろうと高を括っていたが、出会って間もない他人にこうも容易く見破られてしまうとは思ってもみなかったし、思いたくもなかった。


 終わった、何もかも……、と瞬きもせずに虚空を見つながら固まるアラタを伺いながら、セラは無邪気な表情でユキに問いかける。


 「ねぇ、ユキ。アラタ、どうしちゃったの?」


 「いやなに、動揺のあまりちょっと自己を喪失してしまったのさ。若い時はよくある。特に男の子にはね。心配はない、ただ立ち直るにはしばらく時間がかかるかもしれないがな」


 ちょっとやりすぎてしまったか、とユキはいたずらっぽく笑うと、アラタの背を勢いよく叩いた。


 「自分探しをしている暇はないぞ、少年。これから私たちの冒険を探す旅に出るのだからな!頼んだよ、アラタくん」


 ユキの熱烈な激励を受けたにも関わらず、アラタは膝を抱え込んでは自分の顔を埋め、「生まれてきてごめんなさい、生まれてきてごめんなさい、生まれてきてごめんなさい……」とブツブツと何かをひたすら呟くだけの機械と成り果ててしまった。


 そんな時、いきなり壮大なBGMが広場中に響き渡り、広場にいるプレイヤーは一斉に音のなる方向に顔を向けた。どうやらようやくイベント告知が始まるようだ。


 プレイヤーの視線の先では巨大なスクリーンが空中に表示され、スクリーンの横には拡声器のような形をしたスピーカーが現れた。はたから見ると、スクリーンから映像が送られ、音はスピーカーから出ているように感じるのだが、これらはバーチャルの産物で現実には存在しない。ライブステージがあたかも目前で存在しているかのように、AR技術によって再現しているにすぎないのだ。


 「はーーーい、みなさん、楽しんでますかっ!?グローリーエイジAR、βテストイベントのはじまりだーーー!!」


 「いえーーーーーーい♪」


 スクリーンにはプレイヤーと同じゲームのコスチュームを装備した男女二人の姿が映し出された。二人の手にはマイクが握られており、どうやら2人はこの催しのMCらしい。


 そんなMCに、特に男性の方に、ユーザーから遠慮のない「馬鹿野郎!」「つまんねーぞ!」「もう疲れた!」などの罵声、その他に魔法や物理スキルの雨あられが降り注がれる。


 なんてことはない、グローリーエイジ・オンラインの時から恒例でやり取りされる運営スタッフとプレイヤー同士の戯れである。運営スタッフは管理者権限を持っているので、当然いかなるダメージも受け付けない。


 「ちょ、ちょっと、運営への攻撃はやめてくださいっ!ARの仕様でダメージは食らわなくても、少しは体に衝撃が感じるように設計されているのですからっ……!」


 「はーい、みなさんそこまでー。それ以上攻撃を続けると垢バンしちゃうぞー♪」


 口では穏やかなのだが、目が半ギレ状態のお姉さんの顔がスクリーンにアップで映し出され、プレイヤーからの攻撃はピタリと収まった。ここまでがテンプレ。


 「そ、それでは、気を取り直しまして、みなさんお待ちかね、早速イベント内容を発表しちゃいます!」


 男のMCが手を挙げるとジャジャン!と軽快な効果音が擬似的に鳴り響く。AR機能を使えば、機材を搬入することなく、こんなことも出来るのか便利だな、とアラタは感心していたが、スクリーンには黒い画面だけが映し出されているだけで、一向に切り替わる気配はない。


 「グローリーエイジAR秘境ツアー!……ってなにも映し出されませんね……」


 「ちょっとスクリーンの調子が悪いようですね。内容は後でみなさんにメールをお送りするとして、構わず説明を進めちゃいましょうか♪」


 困ったなぁ、といった感じで苦笑いをしながらその場を取り繕うMC達。アラタは何が原因のトラブルだろうと推察するために、スクリーンをじっと眺めていると、「iris system」という見たことのないロゴが表示され、プログレスバーが満ちては欠けて満ちては欠けを繰り返し始めた。

それがデータの受信の進捗を表しているのか、何だかのデータを読み込んでいるのか、アラタには皆目見当つかない。


 「あらあら、スクリーンが完全にバグってしまいましたね……」


 流石に2人のMCは慌てふためき、焦る手でスクリーンの表示を消そうと首後ろのクリスタルを必死に操作しているが状況は改善されない。


 「なになに?壊れちゃったの?」


 ナオはキラキラと目を輝かせながら、ユキの袖を引っ張った。


 「ああ、バグのようだな。この調子だとプレイヤーにも影響のあるようなバグがありそうで、少し不安だ……」


 ユキは気まずそうに顔を曇らせながら自分のクリスタルを撫でながら言う。


 周りでは「何これ、演出?」「放送事故みたいになってるぜ」「なんか面白いこと始まるんじゃないの?」「ワクワクしてきたぜ!」と戸惑いと期待が入り混じった雰囲気がプレイヤーの中でも漂い始めていた。


 するとスクリーン上で急にノイズが走り出し、映像が意味不明の文字、数字、記号にバラバラになったかと思うと、今度は踊るように組み合わさっていき、何か形を作ろうとしている。その不規則な動きをしていた文字や記号は、今度は規則的な動きを見せ始め……、やがて螺旋状の物体へと変わり……、さらにそれが繋がって…、などの細かい動作を多発的に何度も繰り返し、いつしか現実的と言うよりもなにか芸術的と言ったほうがいいような、美しい女性の姿をしたホログラムへと変貌を遂げていた。そして、そのホログラムは、口をゆっくりと動かし始めて何か言葉を発しようとしているようであった。


 「親愛なるユーザ達よ。ようこそグローリーエイジの世界へ」


 「キャァァァァ、喋った!」


 ナオ子供のように飛び跳ねながらはしゃぎだした。

 それを見て、アラタはこれはサプライズイベントみたいなものだろうかと眺めていたが、運営スタッフの様子が何かおかしい。「止めて!早く!」「やってるよ!」など焦りの声が聞こえる。


 「私は女神イリス。この世界を統べるために作られたクラウド型汎用人工知能です。ユーザの皆様を心より歓迎いたします。そしてこの時より女神イリスの名において、このゲームのテストイベントを中止にし、そして一部の利用規約と仕様の変更と新たなる試練をユーザの皆様に課すことをここに宣言いたします」


 「み、みなさーん、これはバグです!イベントの進行が難しくなってまいりました!一旦この場から離れてくださーい!続行が可能になりましたら……」


 状況の悪化を見兼ねて、男の運営スタッフが声を上げた。


 「さしあたって、ルールその1。女神イリスの意に背く行為をした者には、直ちに死を与えます」


 イリスと名乗るホログラムがそう告げると、スクリーンには男MCがアップで映し出される。


 「え?」


 すると男の首後ろから紫色の斑点が浮かび上がり、徐々に頭部へと拡がっていくのが見える。男は苦しみもがくように首をかきむしり始めた。指の力はあまりにも強く、指の関節がありえない方向に曲がりながらも首筋を穿ち、そこから赤黒い血が吹き出し始める。

 スクリーンには男が地面に倒れこみ、その首筋から紫色の斑点が拡がっていく様と、充血した目が裏返り、泡を吹きながら苦しみ悶える姿がハッキリと映し出されていた。

 そして間も無く、管理者権限がありシステム的制約を受けないはずの運営スタッフの男は、見るも無残な姿となって生き絶えた。


 「い、いやーーーーーーー!!」


 女性のMCの叫び声が響き渡る。その恐怖がプレイヤーにも連鎖し、途端に広場は阿鼻叫喚の渦に包まれた。

 悲鳴を上げながら我先と逃げ惑うプレイヤーにイリスは新たなルールをプレイヤーに告げた。


 「ルールその2。このゲームから離脱する行為が認められた場合には、誅罰者AIによってその者を処刑するものとします」


 途端に広場の周り8方向にそれぞれ黒い渦が生まれ、今まで見たことのない、……いや見たことはある。見たことはあるが、それはグローリーエイジ・オンラインのあらゆるボスの部位が所々、デタラメにつなぎ合わさった原型を伴わない異形のモンスターとしてプレイヤーの目の前に立ちはだかった。


 その光景を目の当たりにし、赦しを乞うかのように、またはあらがうかのようにイリスを見上げるプレイヤー達の姿を見て、女神イリスはゆっくりと微笑んでこう言った。


 「親愛なるユーザの皆様は、このゲームに登録している時点で、利用規約の内容を承諾しているものとみなします」

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