第6話
ゴブリンの群れの撃退に成功したアラタ達は、体力回復のためにその場で休息を取った。
ゴブリンが倒れた場所にはドロップアイテムが散乱しているのだが、それらはわずかな金貨と、粗末な動物の皮やナイフばかりで、目ぼしいものは見当たらなかった。
全てのドロップアイテムを回収しようとするとむしろ邪魔になってしまうので、アラタは金貨のみを拾い集め、小型の携帯バックにしまい込んだ。
「そういえば……」
地面に落ちた金貨を拾い終えると、アラタはふとあることに興味を惹かれ、セラの方に向き直って尋ねた。
セラはまだ小さな翼を生やし光の輪を頭上に冠した天使の姿のまま、手頃な岩に腰を下ろしてドラグノフの顎まわりをコショコショと撫でまわしている。
「グローリーエイジ・オンラインだと『
セラはアラタの質問に少し首を傾げながら答えた。
「宙に?わからない……。どうやって飛ぶの?」
そうだな……、とアラタはセラの翼を見ながら少し考え込んだ。
「グローリーエイジ・オンラインだとキーボードの操作で飛べたんだが、……じゃあ、仮想キーボードのpage upボタンを押してそれが出来ないか?」
「やってみる」
セラは立ち上がって背中をこちらに向けながら前屈みになり、仮想キーボードを操作した。しかし背中の小さな翼がパタパタと僅かに羽ばたいただけで、セラの体は一向に宙に浮く気配はない。
「ダメみたい……なんか変な英語のメッセージが出てきたよ」
セラは申し訳なさそうな表情をアラタに向けた。
だがアラタの目には、お尻をキュッと突き出した感じで翼をパタつかせるセラの姿が、とびっきりにキュートに見えて、思わず握り拳を胸の前でガッツポーズを作ってしまった。
「そうか、それは非常に残念だ!」
「……アラタ、どうして嬉しそうなの?言葉と仕草がめちゃくちゃだよ」
もう、と呆れて口を尖らせるセラに対し、アラタは愛想笑いを浮かべながら必死で取り繕った。
「い、いや……あれだよ、飛べないことは残念だったけど、このゲームの仕様がより良くわかって大変有意義だったというか……そ、そうなんだよ、1人だとどうしても検証するのは限界があるからさ、貴重な情報がわかって良かったというか……」
「そうなんだ、さすがアラタだね」
セラは柔らかな笑顔を浮かべながら感心したような声を上げた。その無垢な表情を目の当たりにして、アラタは必ずしも下心がなかったとは言えないことに、自分の良心がチクリと痛むのを感じた。
『
それが分かっていて、アラタはもしかしたら飛行する以外に代わりの機能が実装されているかもしれないと思い、実際に試してようと考えたのだが、それが単にアラタにとっていい目の保養になったという結果に終わっただけであった。
──だがそんなアラタも、まだ試せていないことがある。
それは誰もが関係しており検証が比較的簡単で最も重要な仕様の一つ。つまりこのゲームにおいての「死」だ。
例えば前作のグローリーエイジ・オンラインでは、プレイヤーキャラクターが死亡した状態、つまりステータスのHPが0になると、ペナルティーが発生する。
そのペナルティーというのは、手に入れたアイテムがその場にドロップすること、装備の耐久度が低下し、もし耐久度が0になればアイテムは永久に世界から失われること、そしてプレイヤーキャラクターの経験値がある程度失われ、レベルが高いほど失われる経験値は高くなると言ったこと、そして一番面倒なのが、死んだプレイヤーキャラクターは幽霊になってしまうことである。
幽霊になると灰色のローブを纏った半透明の漠然とした姿になり、手に入れたアイテムは持ち帰ることが出来ないし、もちろんモンスターを倒す事も出来ない。
そして幽霊になったプレイヤーがチャットで発言した内容は、全て「お」と「ぉ」の二文字に置き換わり仲間との会話が成立しなくなる。
もし幽霊になってしまった場合、味方やその辺で漂浪しているNPCのヒーラー、もしくは町の教会で蘇生の魔法をかけてもらうことで、復活することができるのだが、今作のグローリーエイジARだとどのように再現されているのか疑問が残る。
グローリーエイジARは出来る限り前作であるグローリーエイジ・オンラインの仕様を踏襲している。
ただAR版への移植とは言え、物理的に可能な物でも細かな仕様が上手く再現できないのことがアラタには気がかりに思えた。
アラタは今作グローリーエイジARでの「死」をいずれは体験しなければならないとは考えているのだが、どうも現実世界で死ぬという行為は、拡張現実とは言えど気が引けてしまい実行出来ないでいる。
いずれにせよ、すぐに蘇生できる環境が整わない限り、「死」の仕様を検証するのは得策ではないだろう。
もし他のパーティーメンバーと合流した時に、自分が幽霊の姿で「おおぉぉぉおおおぉおぉ」としか喋れないとしたら、あまりにもシュールで目も当てられない。
間違いなく仲間からカオナシのあだ名が付けられてしまうのがオチだ。それだけは何としても避けなくてはならない。
「……あの、セラ、俺の使い魔と楽しく遊んでいるところ、こんな事を言うのはとても心苦しいんだが…」
恐る恐る声をかけるアラタに「うん」とセラはこちらに振り向く事なく、黒猫のドラグノフを細長い草でじゃらしながら答えた。
「ちょっとドラグノフを返してくれないか?そいつに頼みたいことがあるんだ」
それを聞いてセラは渋るような顔をアラタに見せて、精一杯もの惜しむ気持ちを表現しようとしている。
「頼むよ。そいつを先に行かせて斥候をさせたいんだ。仲間と上手く合流できたら、ドラグノフを好きなだけモフモフ出来る権利をやるから、な?」
アラタの言葉にセラは小さく首を傾げて見せた。
「ぜっこう……?」
「せっこう、な。何気に俺を1人にしようとするのはやめてくれないか。要するにそいつに先に行ってもらって、モンスターや罠がないか偵察してもらいたいんだよ」
「うーん、わかった……」
セラは名残り惜しむように、はい、とドラグノフをアラタに差し出す。アラタが自分の使い魔を受け取ると、ドラグノフは「シャーーーッ!!」と奇声を上げてアラタの手や顔やらを引っ掻き回した。
どうやらアラタとドラグノフとの仲は絶交するまでもなく、すでに仲違いした状態にあるようだ。
──
アラタはモンスターの群や罠に出くわさないよう慎重に歩みを進めた甲斐あって、無事に他のパーティーメンバーとの集合場所に辿り着くことができた。
「あ、来た来た。おーい!」
森の木々が少しひらけた場所で、ローブを纏った2人の女性が手を振りながらこちらに駆け寄って来ってくるのが見える。
アラタも軽く手を振りながら2人に近づこうとするが、2人はそんなアラタをスルーしてそのままの勢いでセラに飛びつき、自分たちの頬をセラの体に擦り付けた。
「よかったぁ、セラっちが無事で!本当に心配したんだよぉ〜」
「セラ、大丈夫だったか!?誰かに何か変な事されてないか?」
おいおい、出会った瞬間無視かよ……。アラタは顔を引きつらせながら、掲げていた手をゆっくりと下ろした。
当のセラは=△=←こんな顔をしながら、2人の女性にされるがままにもみくしゃにされている。
暫くして気が済んだのか、ようやく1人の女性がアラタの方を向いた。
「君がアラタだね。ウチらの仲間がお世話になったよ!あたしはナオ、よろしくね〜」
と手をひらひらと振りながらアラタに挨拶をしてきた女性は、見るからにギャルっぽい出で立ちで、こんがりと褐色に焼けた肌に、髪と瞳の色は派手なパッションピンクに彩られていた。紫色のローブには黄色い刺繍が施されていて、そして三角帽子を浅くかぶった姿はまさにギャル魔女ナオミといった感じだ。
アラタにはナオの「ウチらの仲間が──」と言う言葉が、「セラはあんたの仲間じゃないけどね!」と暗に強調しているように聞こえ、不意に卑屈な気分に陥っていくのを感じた。
そしてギラギラしたナオの雰囲気に気圧されたのか、アラタはつい俯き気味になって、「ウ、ウス……」とだけ小声で挨拶を返した。そんなアラタの微妙なリアクションに気味悪く感じたのか、ナオも表情を僅かに引きつらせながら笑顔を必死に保っている。
「私がユキだ、改めて宜しく頼む。いや、セラが迷子になってしまって肝を冷やしたよ。この子が無事に戻ってこれたのもアラタくんが護衛してくれたおかげだな。本当にありがとう」
そしてもう一方の女性も、自分の名前を名乗りながらアラタに話しかけて来た。
ユキは綺麗な金色の長髪が印象的な女性であった。背中まで流れるような綺麗な後ろ髪と、律儀にぱっつんと揃えた前髪がより彼女を理性的に見せる。スクエア型の銀縁メガネを掛けているので尚更だ。
彼女の服装は白いローブの上に緑を基調にしたケープを羽織り、腰には茜色のストールを巻いていて、手にはシャーマン専用装備の白樺で出来た杖を携えている。
その女性的な見た目とは裏腹な、やけに紳士的な喋り方は素なのだろうか、それともロールプレイングなのだろうか、アラタにはその優しい声音とは不釣り合いな喋り方に戸惑いを覚えながらも「ソ、ソッスカ……」と素っ気ない返事を返した。
もちろん、ワザとこんな片言な返事をしたい訳ではない。
普通に会話したいのだが、実際に面と向かって話そうとするとどうしても目を合わすことすらできない。セラと話している時はそれほどでもなかったのに、一体自分はこの2人に何の引け目を感じているのだろうか。
アラタは思い描いていた自分の態度と、現実の態度とのギャップにひどく困惑していた。暑くもないのにやたら汗が出てくるし、口から出てくる声もなぜか震えている。
俺はこのパーティーにいるべきじゃないかもしれない、もしこのパーティーに留まれば、俺も変な気を使ってしまってストレスが溜まるし、この3人にしても楽しく送れるはずだったゲームライフが台無しになってしまう。アラタは1人で勝手に思い悩んだ結果、自分からパーティーを抜けることを決意した。
「ご、合流出来て良かったっすね……。そ、それじゃ、俺、この辺でパーティーを抜けます……お疲れさんッス…」
そんなアラタを見て、ユキは少し困った顔で微笑みながら尋ねた。
「おいおい、どうしたのだ、少年。まだ出会ったばかりじゃないか。さっきのチャットでの勢いはどこに消えたのだ」
「い、いや、ネット弁慶だから、つい強気でチャットしちゃって……俺、ソロプレイが好きなんで、スンマセン……」
アラタはそんな下手な言い訳をしながら、そそくさとこの場を去ろうとした。だがそんなアラタに対し、セラがピシャリとこう言い放った。
「ウソ。アラタは私とパーティーが組めた時、あんなに泣いて喜んでいたじゃない」
こ、こら。余計なことを言うんじゃない!そして何気に俺の恥ずかしいエピソードをバラすんじゃない!アラタは必死に抗議の視線をセラに送ったのだが、セラは真っ直ぐアラタの視線を見つめ返してくる。
「けどまぁ、本人がパーティーを抜けたいと言っているしねぇ……彼の好きなようにさせたら?」
ニタニタとナオはアラタの意思に同意したのだが、それは決してアラタに対して親しみを持ってなされた行為でないことは、さすがのアラタにも分かった。
「ふむ」とユキは少し考えると、セラの方に目を向けた。
「セラから見てアラタくんのことはどう思う?」
セラはユキではなくアラタの方に視線を向けたままはっきりとした声で答えた。
「アラタは、いい子だよ。このパーティーでもきっとうまくやっていけると思う」
すると、ユキは柔らかな笑みを浮かべながら、納得したかのように頷いて見せる。
「だ、そうだ。自分に自信を持ちたまえよ、少年。それとも君はセラの言うことを信じられないのかい?」
「セ、セラ……」
アラタはセラのその言葉が聞けただけで、なぜか1年以上心の中に重くのし掛かっていた罪悪感が消えていくのを感じる。何か赦された気がして、アラタは自分の膝を地面につけ涙を浮かべた顔を垂しながら声を絞り出してこう言った。
「パーティープレイが、したいです……」
地面に伏せるように涙を零すアラタに、セラはゆっくりと近づき頷いて見せた。もはやアラタの目にはセラの体から背光が差しているかのように見える。
「決まりだな。それじゃあ、親睦を兼ねてみんなで狩りにでもいこうじゃないか」とユキ。アラタがパーティーに残ることを快く思っていないのか、えぇ〜とナオは抗議の声を上げる。
その時、はっ、とアラタはあることに気が付いてセラに問い詰めた。
「ってか、お前、俺がパーティーから離れることより、ドラグノフと離れるのが嫌だったんじゃないだろうな?」
心苦しそうに見つめてくるアラタに対し、セラはいたずらっぽく舌を出してそっと微笑みを返すだけであった。
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