第5話

 「アラタ、まだ泣いてるの?」


 セラは呆れたように言うと、アラタはぐしぐしと手の甲で何度も自分の顔を拭った。


 「……な、なんか、パ、パーティーに入れたことが、う、嬉しくて」


 「みんな仲間に入れてくれなかったの?アラタは泣き虫だね」


 セラはアラタの後頭部を小さな手のひらでよしよしと撫でた。やめて、そんなに優しくされたら、余計に涙が止まらなくなってしまう……。心ではそう思いながらも、アラタはセラの小さな優しさを受け入れた。


 めでたくセラのパーティーに加わることが出来たアラタは、よほど嬉しかったのか涙をポロポロとこぼし始めた。その姿は自分でも引くほど情けなく、一回りも年下の女の子に慰められてしまうほどだ。


 いつまでも泣いていても仕方がないので、涙を拭いながらパーティーチャットウィンドウを開いて、簡単な挨拶とセラ以外のメンバーがいる場所を座標で教えてもらう事にした。


 アラタ「初めまして、アラタだ。よろしくな!」


 アラタは空中に表示された仮想キーボードを弄り、先ほどの無様な口調とは打って変わりネット弁慶よろしくパーティーチャットに軽快な文調で文字を入力した。すると間も無く他のメンバーからの返事が表示される。


 ナオ「ナオだょ☆ セラっちからきぃてるょ♪ョロシクね☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆」


 ぉぅふ……。唐突に表示されたバカっぽい文章にアラタはたまらず呻き声を上げた。

 セラから他に女性メンバーが2名いると聞いてはいたが、1人はアラタが一番苦手としているタイプのようだった。

 この手の文字は読めないわけではないのだが、読んでいると、こう何とも形容しがたい不快感が身体中を駆け巡るのだ。


 アラタ「お、おう。よろしく……」


 ユキ「ユキだ。このパーティーのリーダーをしている。セラを見つけてくれてありがとう。セラ1人だとモンスターにやられてしまわないか心配だったんだよ。座標を教えるから、ここまで来てくれないか。本当はこっちから向かいに行きたいんだが、お互いが迷子になりかねない。手間をかけて申し訳ないがよろしく頼むよ」


 さっきとは異なりユキと名乗る方の書き込みは、なんだか冷静で感情を感じさせないような文言ではあったが、端々に読む人間への気遣いを感じられた。


 パーティー構成を確認してみると、2人の職業はナオはウィザードでユキはシャーマンであった。どちらもセラと同じでレベル40位の中級プレイヤーのようだ。


 ウィザードとシャーマンは範囲効果のある高ダメージの魔法を繰り出すことができるので、どちらも狩りには向いている職業と言えるだろう。しかし、高いダメージを広範囲で与えることができる反面、HPと防御力が低いのが致命的な問題となる。特にヒーラーがいないとなると尚更だ。


 なるほど、セラを辛抱強く待っているのはそのためか、とアラタは納得した。

 セラの職業であるクルセイダーは、防御力もHPも高いので壁役としては最適で、このパーティーにはなくてはならない存在というわけだ。


 しかし自分はどうだろう。アラタは思った。

 このパーティー構成ならあとヒーラーとチームの能力を全体的に上昇させることができるバードがいれば、申し分ないのだが、アサシンであるアラタは特に必要はないように思える。


 もしかするとセラを送り終えたら、ごくろうさん、はいさようならー、とパーティーから蹴り出されてしまう可能性は十分にある。


 しかもアラタ以外メンバーは全員女性だ。上手く打ち解ける自信は全くない。そう考えているとアラタはだんだんと気が滅入ってきた。


 「アラタ、今度は落ち込んでる?」


 肩を落として項垂れるアラタを見て、セラが心配そうにアラタの顔を覗き込んだ。


 「い、いや、心配ない。もう大丈夫だ、たぶん。座標も確認できたし、そろそろ行こうか」


 アラタは気を引き締めるように顔を上げてミニマップを確認し方向を定めた。

 他のメンバーとは結構な距離がある。起伏や障害物がある中、直進するわけにはいかないので、ミニマップを慎重に確認しながら進まなければならない。アラタはそう肝に銘じて歩き出した。


 ──


 アラタ一行は森の中に入り、探索を開始した。

 現実の風景とは違い、森の中は妖精世界のような神秘的なエフェクトで溢れていた。僅かに淀んだ黄色い木漏れ日が差し込んで、明るい光の玉がふよふよと浮遊し、アラタとセラの体をすり抜けていく。


 森の中はモンスターの巣が不規則に点在し、至る所に罠が設置されている。ただやみくもに目的地を目指していると、危険なモンスターの群れのど真ん中に飛び込みかねない。


 アラタは注意深く周辺に気を配りながら歩みを進めた。その後ろからセラが黒猫を抱きかかえて着いて来る。彼女は腕の中にいるドラグノフのおかげでご機嫌であった。


 アラタが草むらをかき分けて道を開こうとした瞬間、側から微かにモンスターの鳴き声が聞こえてきた。


 「キキキ……」


 しまった……。モンスターに気付かれたか。

 そう思ってアラタはゆっくりと下がると、身を屈ませながら、セラにも伏せるようにジェスチャーを送る。

 それを見てセラも神妙な面持ちで、アラタに倣うように身を潜めた。


 草むらの向こうには小柄な緑色の妖魔、ゴブリンの群れが通り過ぎようとしているのが見える。どうやらゴブリンはまだアラタ達の存在には気づいていないらしい。


 アラタはゴブリンの群れが向かう先とは反対方向、つまり右側の方を指差し、後ろにいる場所セラに合図を送って方向を転換しようとした。それを見てセラは真剣な表情で頷きを返す。


 と、そこに宙を漂う光の玉が執拗にセラの目の前を飛び回った。


 「にゃーん」


 セラの腕の中でおとなしくしていたドラグノフが、急にその光の玉に戯れるように手を伸ばし、鳴き声を上げた。


 ><←こんな顔でセラは必死にしー、しーと黙らせるようなポーズをドラグノフに見せるが時はすでに遅かった。


 アラタがゆっくりと振り返ると、ゴブリン一行が一斉にこちらに振り向いて目をギラリと光らせていた。

 アラタの心の目にはゴブリン達の頭上に「!」表示され、ブルルーンというアラート音が頭の中で鳴り響いた。

 バカ、それは違うゲームだ。アラタは逃避行動としての自分の妄想にツッコミを入れる。


 もう戦うしかない。そう心を決めるとアラタは鋭い視線を後方のセラに送り、頷いて見せる。

 そして即座に戦闘態勢を取り、右手を胸にしまい込んでいた投げナイフを握ると、縦に腕を勢いよく振り下ろす。猛スピードでアラタの手から放たれた投げナイフは、1匹のゴブリンの喉笛に深々と突き刺さった。


 嗚咽を漏らしながら事切れる仲間の姿を見て、ゴブリンの群れが一斉に咆哮を上げる。その隙にアラタはさらにもう一匹のゴブリンに飛びかかり、シャドウブレードを敵の胸に突き立てた。


 胸を貫かれたゴブリンはその場で絶命し、アラタはゴブリンの死体を地面に押し倒すと、シャドウブレードをゴブリンの体から引き抜き武器を構え直す。

 そんなアラタに向かって他のゴブリンが飛びかからんと、一気に迫る。


 「アラタ、こっちへ!」


 アラタの背後からセラの声が聞こえる。アラタはひらりと体を翻すと、入れ替わるようにセラが前に出る。

 セラは片手剣の鍔を額に当てて詠唱を行っている。詠唱が終わるとセラの周辺にたちまち白く輝く灼熱の炎が渦巻き、襲いかかってきたゴブリン達の体を一瞬のうちに飲み込んだ。


 『聖者の怒りラス・オブ・セイント』だったか。詠唱者周辺30ユニット以内の敵に炎ダメージを与える範囲効果のある攻撃魔法だ。

 実はクルセイダーの専用剣は装備することによって、クルセイダー固有のスキルを発動することができる。

 『聖者の怒りラス・オブ・セイント』もその一つ。知力依存の攻撃魔法なので剣そのものには攻撃力はそれほど求められず、おそらく知力と精神力のステータス追加効果が防具や剣に付与されているのだろう。


 ダメージもそこそこのようで、あっという間にゴブリンのHPの大半を削っていく。生き残ったゴブリンをアラタは片っ端から止めを刺していった。


 そんな中、半分の数になったゴブリンはアラタ達を取り囲むように動き、怯むことなく襲いかかろうとしていた。


 アラタは群れの中に一回り大きいゴブリンの姿を見つけた。おそらくゴブリンキングと呼ばれる群れのリーダーモンスターだ。知性の低いゴブリンのくせにやたらと連携のとれた動きが出来るのは奴のせいだろう。


 セラの職業であるクルセイダーはそれなりの耐久力があるのだが、それでも2人だけの狩りとなると受けたダメージは無視できない。下手をすると次の襲撃でセラは倒れてしまう可能性がある。


 「アラタ、お願い。わたしを守って」


 セラも状況を察したのか、さっきとは異なる魔法を詠唱し始めると、たちまちセラの体が光に包まれ始める。どうやらクルセイダーの最大の切り札を発動させるようだ。


 このスキルは5秒の詠唱時間が必要となる。それを察したのかゴブリンキングがセラに向かって鋭い剣を構えて突進してきた。


 「この野郎!」


 すかさずアラタは暗殺用の『ロングスタン』の魔法をゴブリンキングにぶつけた。ガツンと闇に包まれたリングのエフェクトがぶち当たり、ゴブリンキングはその場で気絶状態になって立ち尽くした。


 その間にセラの詠唱は終わり、セラを包んだ光は背中と頭上に集まって翼と輪っかの形に変化していった。

 アラタはその変わり様を見守ると、天使の輪を頭上に冠して小さな翼を広げたセラの姿が目の前に現れた。


 このスキルは、詠唱者が一定時間天使の姿になり、HPと魔力の回復とともにステータスが上昇するクルセイダーの目玉スキル『天使化エンジェライズ』と言う物だ。


 天使の姿となったセラは片手剣を軽々と翻し、鋭い斬撃を次々と繰り出していく。激しく刻み込まれたゴブリンキングは、身体中から体液を撒き散らして断末魔を上げながら倒れた。


 その光景は神々しく、ああ、ただでさえ天使のセラさんが、《エンジェライズ》というスキルを使って本物の天使になろうとしている!とアラタの胸を打った。


 アラタは目の前にいるセラのその姿に恍惚として見入ってしまい、すかさず仮想キーボード開き、スクリーンショットボタンを連打しまくった!


 押す!「Screenshot is not available!」


 押す!「Screenshot is not available!」


 押す!「Screenshot is not available!」


 押す!「Screenshot is not available!」


 すると大量のエラーウィンドウがアラタの目の前に現れて視界を埋め尽くす。ええい邪魔だ、俺の愛のせいでセラが見えない!アラタは嘆きながらクローズボタンでエラーウィンドウを必死で消していった。


 「……何しているの、アラタ」


 エラーウィンドウの隙間からセラがこっそりと顔を覗かせた。


 「あ、あははは……!い、いや、実装されてない機能を使ったみたいで、エラーウィンドウが大量に出てしまったんだ…」


 「そうなんだ……。大変だったね……」


 セラの真剣に心配する視線を、自らの背徳感で直視出来ず、アラタは視線をそらしながら笑ってごまかした。


 辺りを見渡すと、ゴブリンの群れが恐怖状態のステータスに陥り、散り散りとなって退散していく姿が見える。


 「アラタ、アラタ!」


 「え?」


 セラの可愛らしい声がアラタの注意を引きつける。見ると目の前でセラが嬉しそうに手を上げて待っていた。


 「いえーい☆」


 「い、いえーい……」


 アラタはためらうように手を上げて、セラとハイタッチをして勝利を祝った。


 ああ、今の俺は人生で一番幸せかもしれない……。その楽しい時間ももう少しで終わるのか。それでもいいや。残りの人生を、今日という日のこの時間を思い出しながら、頑張って生きていこう。


 もうゴールしてもいいよね、といった力のない表情を浮かべているアラタの顔を見ながら、セラは戸惑うように呟いた。


 「またアラタ、落ち込んだ顔をしてる……?」

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