第2話
「まぁ、こうなるよね……」
アラタは言い知れない焦燥感に耐えきれず、ただ独り青く澄み切った大空を仰いだ。
イヤホンを付けているわけではないのに、耳からは神秘的な音楽が勝手に流れ込んでくる。はっきり言って煩わしいのだが、この音楽が無くなってしまうと、寂しさで精神がどうにかなってしまいそうだったので、設定を切らないままでいる。
辺りはまるで現実とは思えないほど美しい緑と光のエフェクトで溢れ、まるで異なる惑星を題材にしたハリウッド映画のスクリーンの中に、飛び込んだかのようだった。
話に聞いたところによると、複数のドローンを空中に飛ばし、レーダーエコーで一帯の地形をスキャニングした後、あらゆる物体に自動生成プログラムでテクスチャーを貼り付けることで、視覚的に仮想現実の風景を再現しているらしい。
視覚や聴覚だけでない。2本の刃物を握った両手からもズシリとした重量と冷たい触感が伝わり、身に纏った黒ずくめのライトアーマーからはしなやかな感触と、革をなめす時に使われるなめし剤の匂いがほのかに香ってくる。
電子情報として創造されたこれらのアイテムは、全て現実には存在しない。五感のメタファーによりそれをまるで現実に存在しているように感じさせているのは、「マルチモーダライズ」という技術によるものだ。
そのカラクリは、アラタの首の後ろに張り付けられたクリスタルにある。このクリスタルの背面にマイクロメートル単位の細かい端子が付いており、その端子から首の神経を通り、脳へと電子情報を伝達することによって、存在していないものをまるでそこにあるかのように擬似的に仮想的存在を現実の物として認識させることができるのだ。
AR技術のクオリティは申し分がない。完全に『グローリーエイジ・オンライン』の世界観を再現している。
ただし、問題はそこではない。大事なことだから2回言うが問題はそこではないのだ!
──その悲劇は10分ほど前に遡る。
「それじゃ適当に10人以内でパーティーを作ってくださいー」
「えっ!?」
現地に到着したアラタは他の参加者と混じり、大きな広場に集められた。そこで運営スタッフである男が、簡単な説明を終えた後で、そんなとんでも無い言葉を口にした。
「パーティー出来た方々から、こちらのゲートを抜けて冒険に向かいましょう!2時間後にこの広場に戻ってきてくださいねー」
「え、ちょ、ちょっ……!」
「はじめましてー」「よろしくね!」「君、ヒーラー?じゃあ俺たちのパーティーに入いらない?」
あまりに唐突なことで石化するアラタを尻目に、周りにいる他の参加者たちは次々とパーティーを組んでいく。そんな中、アラタは自分が1年以上ロクにリアルで人と会話したことのないことを思い出し、急にテンパり始めた。
「落ち着け……、落ち着け、俺。ゲームは始まったばかりだ。まだ慌てるような時間じゃない……。ざっと見たところ、参加者は2000人……。200グループ以上作られるんだから、きっとどこかのパーティーに入れるはず。お、落ち着いて探すんだ……」
もうすでに幾つかのパーティーがグループを組み終わり、次から次へとこの場を離れていくのが見える。
賑わう人ごみの中で、アラタはとてつもない疎外感を感じながら、フラフラと歩きつつ周りを睨みつけるように見渡し、手頃な男2人組のパーティーに近づいていった。
「あ……あの、しゅ、しゅいましぇ〜ん……」
覚悟を決めてようやく絞り出せた声は、なんともか細い虫の羽音のような声だった。
「ん……、何か聞こえた?」
「いいや、蚊じゃね?」
「マジかよ、俺、虫刺されスプレー持ってきてねぇーよ」
「ちょっ、おま、虫除けスプレーだろ!?刺されてどーすんだよ!?」
「ホントだ!やべぇ、早速バカなのがバレちゃった!」
「あははは!」
アラタのかけた声に気付きもせず、男達は笑いながら去って行った。
「こ、声が出ねぇ!」
思いも寄らない出来事で、アラタの精神は絶望に打ちひしがれた。
「マ、マジかよ!頭の中ではこんなにも饒舌に言葉が出てくるのに、1年間ロクに会話しなかっただけで、これほどにも声が出ないものなのか!」
アラタが呆気に取られている間にも、他の参加者達はパーティーを作り終えてこの場を離れていく。
もうなりふり構っていられない、とアラタは手当り次第に声を掛け回った。
「あ、あの……」
「は?何?キモいんですけど」
「ぼ、ボク……」
「ゴメン!もういっぱいなんだ」
「も、もしよかったら……」
「おめーの枠ねぇから!」
しかしどのパーティーにもアラタは入ることが出来ず、気付けば広場にはアラタだけが取り残されていた。
「あは、あはは……」
もう笑うしかねぇ……、とアラタは一人途方に暮れてしまい、もはや乾いた笑いを零すほかなかった。
──回想終了。
こうしてアラタは情けないことに冒険が始まる前から積んでしまったのである。実は言うと、1年ぶりに外出する時点で相当な冒険であった。着て行く服がないわ、人目が気になるわ、外に出たら太陽がやたら眩しいやら、想定外のアクシデントが続いて現地に無事到達できたこと自体が奇跡である。
「何やってるんだろ、俺……。もうやだ……。帰りたい……」
ゲームの参加者から完全にハブられてしまったアラタはただ一人、モンスターの狩場から少し外れた場所で佇んでいた。
グローリーエイジに限らず、この手のMMOはパーティープレイを推奨しており、ソロプレイをするのはかなり効率が悪いように出来ている。特にアラタの選んだ職業が、対人スキルが豊富な反面、HPも攻撃力、防御力が少ないためモンスター狩りに不利なアサシンであるから尚更だ。
なんでこのキャラクターを選んでしまったのだろう……。
グローリーエイジARには前作であるグローリーエイジ・オンラインで育成したキャラクターを一つだけ選ぶことができた。
βテストに当選したアラタは、当時変なテンションに陥り、ただ装備が厨二心をくすぐるような黒ずくめのデザインがお気に入りであったためと、いつも可愛がっている使い魔が使えることもあって、適当な気分でこのキャラクターを選んでしまった。
そんな考えのない浅はかな判断をしてしまったことに対して、アラタは酷く後悔した。
「しょうがない。次の集合時間まで適当に狩りでもしてややり過ごすか……」
アラタはため息まじりに呟くと、『
詠唱が終わるとそこには本物と見紛うほどリアルな黒猫が目の前に現れた。
「おお、すげぇ……」
それを見てアラタは素直に感嘆の声を上げた。
『
グローリーエイジにおける使い魔は移動や攻撃などの簡単な動作の他にも固有のスキルを持っていて、アサシン専用の使い魔は「自分や他のプレイヤーの姿に変身」するスキルを持っている。
なのでこの使い魔の使用用途としては、ターゲットにしているプレイヤーを陽動や撹乱しつつ、その間に背後から敵に忍び寄り暗殺するという、囮としての役割がメインである。
モンスターに対する攻撃力はそもそも皆無であるわけなのだが、狩場からモンスターを一匹だけおびき寄せることは十分に可能であった。
アラタはこの使い魔を使い、モンスターを少しずつおびき寄せて地道に狩りをしようと考えたのである。
「元気だったか、ドラグノフ」
「シャーーーーッ!!!!」
アラタが使い魔の名前を呼びながら抱きかかえようと手を伸ばした途端、目の前の黒猫は今にも引っ掻こうとするばかりに手から爪を露出し、全身の毛を逆立てて主人を威嚇し始めた。
「うわっ!何だよこいつ……」
自分の使い魔にさえ邪険な態度を取られてしまい、アラタは驚きながら身じろいだ。
「AR版にデータを移行した時に、AIのロジックがおかしくなってしまったのか?だとしたらビヘイビアAIの領域で思考ノードが変な方向に繋がったとか……」
アラタは怪訝な表情で目の前にいる使い魔の様子を伺いながら首を傾げた。
グローリーエイジ・オンラインは自分でキャラクターの動きを制御するMOD AIを作成できるのが一つの魅力であった。AIを自作できるとは言っても、ゲームのバランスを崩さない領域、つまりはこう言った待機時の態度や仕草などの領域に限られている。
アラタもグローリーエイジでギルドの仲間と自分達の街を建ててから、住人のAIをチマチマと作っていた。最初はただ棒立ちをするだけのキャラクター達だったが、AIを入れてから幾分か生活感を感じさせる自然な動きを再現することに成功していた。目の前にいる使い魔のAIもその一つだ。
いずれにせよ、今はMOD AI編集ツールが使えないため、目の前にいる使い魔のAIを修正することは諦める他なかった。
「まさかお前まで……。お前と会えるのをすごく楽しみにしていたのに……」
アラタは最後の希望を打ち砕かれた気持ちになって完全に気が滅入ってしまった。
そんな落ち込んだアラタを尻目に、時間を掛けて作り上げたAIを搭載したその使い魔は、主人に対してぷいっとソッポを向いて大きく体を伸ばしながら欠伸をしている。
「ま、いいか……。おい、ドラグノフ、あそこに狩場があるから、行ってモンスターを引っ張ってこい」
アラタは茂みを指差しながら命令を出すと、にゃーんと了承の鳴き声とともに、目の前の黒い使い魔は茂みの中に入っていった。
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