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2018年8月13日 08:54
拙作にご感想くださり有難うございます。感想を読ませていただくと、思いのほか、書けていたようで安心しました。おそらく、私は孤独をしか書けないのですね。それは分かってもらえないという過剰な感覚と、他者を分かってあげられないという不感症的感覚があるからだろうと思います。おっしゃってくれたように、誰にも共通する孤独というものがあると考えています。ある人はその孤独に向き合うでしょうし、ある人は孤独に襲われる自分を嫌って、怒りや嫌悪を孤独を喚起した対象に向ける。後者の人を見ると、彼の孤独は彼自身にも認知されない、いわばすっかり孤独な孤独であるかに見えます(それは、孤独に固執する私の誤認であるかもしれませんが)。この孤独からどうすれば抜け出せるのか、たぶん怒りや嫌悪は問題の先送りに過ぎず、孤独を対象化できていないために、いずれまたその孤独は何度となく襲ってくるでしょう。おそらく、孤独は孤独同士ではじめて共振するのではないかと思うのです。これは、私がその詩に信用をおいている歌手、矢野絢子の歌によっている解釈です。彼女の「一人の歌」も「ロクゴ」も孤独を忘れよう認識するまいとする人のなかに孤独が独りぼっちになっているのを、自らの孤独がそれを捉える目となって見据えて呼び掛けている、と私には思えたのでした(お暇があれば、YouTubeにも上がっているので聴いてみてください)。『孤独の飴玉』はそうした来歴もあって書かれた詩でした。
作者からの返信
詩を書く人は逃れられないのが孤独ですね。安易な感情の寂しいよ〜、みたいなものでも、孤独だぜ、カッコいいだろ、みたいなものでもなく、ただ孤独、当たり前に孤独。矢野絢子は初めて聴きましたが、歌詞にチカラのある歌い手はやはり良い、ですね。こうして他の方の作品を評することが、自分の研鑽になればと書かせていただきました。詩の言葉や構成は、欲を言えばもう一歩、魅せられるかなぁ、と。味が渡せない、を中に組み込めないか、自分ならどう書くか考えてしまいます。やはり良作ですね
拙作にご感想くださり有難うございます。
感想を読ませていただくと、思いのほか、書けていたようで安心しました。
おそらく、私は孤独をしか書けないのですね。それは分かってもらえないという過剰な感覚と、他者を分かってあげられないという不感症的感覚があるからだろうと思います。
おっしゃってくれたように、誰にも共通する孤独というものがあると考えています。ある人はその孤独に向き合うでしょうし、ある人は孤独に襲われる自分を嫌って、怒りや嫌悪を孤独を喚起した対象に向ける。後者の人を見ると、彼の孤独は彼自身にも認知されない、いわばすっかり孤独な孤独であるかに見えます(それは、孤独に固執する私の誤認であるかもしれませんが)。
この孤独からどうすれば抜け出せるのか、たぶん怒りや嫌悪は問題の先送りに過ぎず、孤独を対象化できていないために、いずれまたその孤独は何度となく襲ってくるでしょう。
おそらく、孤独は孤独同士ではじめて共振するのではないかと思うのです。これは、私がその詩に信用をおいている歌手、矢野絢子の歌によっている解釈です。
彼女の「一人の歌」も「ロクゴ」も孤独を忘れよう認識するまいとする人のなかに孤独が独りぼっちになっているのを、自らの孤独がそれを捉える目となって見据えて呼び掛けている、と私には思えたのでした(お暇があれば、YouTubeにも上がっているので聴いてみてください)。
『孤独の飴玉』はそうした来歴もあって書かれた詩でした。
作者からの返信
詩を書く人は逃れられないのが孤独ですね。安易な感情の寂しいよ〜、みたいなものでも、孤独だぜ、カッコいいだろ、みたいなものでもなく、ただ孤独、当たり前に孤独。
矢野絢子は初めて聴きましたが、歌詞にチカラのある歌い手はやはり良い、ですね。
こうして他の方の作品を評することが、自分の研鑽になればと書かせていただきました。詩の言葉や構成は、欲を言えばもう一歩、魅せられるかなぁ、と。味が渡せない、を中に組み込めないか、自分ならどう書くか考えてしまいます。やはり良作ですね