第4話 大雨の中での気づき、そして

充実した修学旅行が終わると、またいつもの日常が戻ってきた。

朝起きてお弁当を作り、学校で勉強し、友人としゃべり、部活に精を出し、帰ったら家事を手伝って、宿題があれば宿題をして、テレビを見たり本を読んだりして寝る。

そういえばこんな感じの毎日だった、と満足感を感じながら、それでも前とは違うことをしっかり認識していた。


そして、コートがいるようになってきたある日、見たことがあるような大雨の中、皆で下校しているときに、畑中君の後姿を見てふと気づいた。


(あれ?これはマジ惚れというやつでは)

この感じは、大人を経験しているから知っている。

ほんの始まりではあるのだが、恋に恋してというのではなく、具体的な相手に欲を感じている。視界に入るだけで心が躍り、胸が温かくなる。思い出すだけで、何もかも楽しくなる。

(まさか、好きになるなんて)

唐突に気づいたことに驚き、思わず歩いていた足を止めてしまった。集団の後ろの方を歩いていたので、誰も気づかない。

傘で隠れているだろうが、きっと顔が赤い。


すると、前を歩いていた畑中君が振り返って、立ち止まっている夕湖に気づいた。

「吉野さん、どうかした?」

夕湖は、答えることができずにふるふると顔を左右に振った。それを見て、畑中君が少し戻って夕湖の前まで来てくれた。

「どう……大丈夫?」

挙動不審な夕湖を見て、彼は心配そうに声をかけた。夕湖は、ぎゅっと傘を両手で握りしめた。

「畑中君、私……」

感情が制御できなくて、視界が揺れた。


苦しい。切ない。恋しい。寂しい。恥ずかしい。逃げたい。伝えたい。触れたい。触れられたい。耐えられない。手を伸ばしたい。近づきたい。

――欲しい。


ぐちゃぐちゃの思考で、それでも吐き出さないことには何も変わらないことだけは分かっていたので、夕湖は言葉を続けた。

「私、私ね、畑中君が」

言いかけると、彼は夕湖の口に手を当てて止めた。2人の距離は近かったが、それでも傘と傘との間には隙間があるので畑中君の腕が濡れていく。

「待って。俺が、言うから」

「むむぅ」

「待って」

「んんむむ」

「言わないで、頼むから待って欲しい」

こくり、と頷くと、そっと手を離してくれた。


「いつまで、待てばいいの?」

黙ってみたが、話し出そうとしないので、辛抱できずに夕湖は口を開いた。

「えっと、俺の、心の準備ができるまで……?」

その返事を聞いて、夕湖はじっとりと畑中君を見た。畑中君は、夕湖を見たり周りを見たりと忙しい。

「それって、いつ?」

「い、一週間くらい……」

「やだ」

「じゃ、じゃあ、せめて3日」

「や」

いつ30歳の自分に戻るか分からない不安が押し寄せてくる。だから、待てない。

「俺から、言いたいから」

「いま」

「え?」

「今じゃないと、だめ」

「こ、ここで?」

「そう、ここで。言えないなら私が言う」

「だってその……」

ちらちらと周りを見る畑中君が気にすることは分かっている。下校途中の道端だから、普通に人が通っているし、遠いとはいえ向こうには友人たちがいる。なんなら、そろそろ2人がついて来ていないことに気づくだろう。

でも、関係なかった。

じっと目を見れば、彼には照れと恥ずかしさと欲と、ほんの少しの恐れがあった。

(ここまできて、フラれることなんてまずないのに)


「だめ、耐えられないの。我慢する意味が分からない」

夕湖は、一歩、二歩、と畑中君に近づいた。

傘がぶつかって、間近で見上げた。

「う、ぁ、ちょっと待って――」

「私は、畑中君が――」



言いかけたそのとき、何かを引き裂くような大きな音とともに、世界が真っ白になった。








「――好きなの!!」


自分の大声で、目が覚めた。

見えているのは、よくある蛍光灯がくっついた白っぽい天井。

(ウソ、でしょ……)

ベッドの上で、あまりのことに固まった。視界の端には、自分の腕に繋がっているとおぼしき点滴が見え、心電図を取っているらしい機械音も聞こえてきた。


「何が、好きなの?」

唐突に横から聞こえたのは、聞き覚えのあるような低くて落ち着いた声。ゆっくりとそちらへ顔を向けると、高校生ではない、年を取った畑中君がいた。当時よりも髪が長く、グレーの作業着を着ていて、仕事の途中か帰りといった風体だ。

色々なことで混乱して、夕湖は眉を寄せた。

「え?なん、で、畑中君?ど、して、今、ここ?ど、ごほごほっ!!」

「あぁ、無理にしゃべらないで。今、看護師さん呼んだから。ここは県立病院。吉野さん、3日前に雷に打たれて眠ってたんだよ」


そういえば、後輩ちゃんに書類を届けた後に母校の近くを歩いていて、世界が真っ白になった。

あれは、雷だったのだろう。

「身体は何ともないって。でも目覚めなくて、ご両親も心配してたよ」


畑中君によると、たまたまこの病院の一部リフォームの電気配線工事で来ていたところ、夕湖が救急車で運ばれてきたのだという。

財布は持っておらず、雷に打たれて壊れたスマホとICカードくらいしか持っていなかったので身元不明だったそうだ。書類を届けるだけだからと、身軽にしていたのが仇となったようだ。

夕湖を見てすぐに気づいた畑中君が、同級生だと言ってあちこちへ連絡を取ってくれ、無事に家族にも伝えてくれたらしい。

あのときは心臓が止まったかと思った、と畑中君は笑った。次の日から、毎日の仕事の合間にお見舞いにも来てくれ、今日はちょうど帰る前だったようだ。


看護師と医師が到着し、診察してもらう間も畑中君は病室にいてくれた。とりあえず、精密検査を明日の朝に行うことになり、医師たちは部屋を後にした。

夕湖は、ベッドに座らせてもらって一息ついた。

「もう、夜の9時なのね。畑中君、私は多分大丈夫だし、もう遅いから帰った方が……」

「平気。家も近いし。それより」

ベッドわきの椅子に座った彼は、ぎしり、とベッドに腕をついて聞いた。

「起きるとき、随分はっきり寝言を言ってたけど」

「あぁ、あれは、その……」

「うん?」

言いよどむと、いかつい顔を笑顔にした畑中君が先を促した。

しかし、あのときの勢いはなくなってしまい、勇気も出ない。何より、好きになったのはあのときの高校生の畑中君であって、今目の前にいる彼ではない、はずだ。


うまく言葉にできず、口をぱくぱくさせる夕湖を見て、畑中君が口を開いた。

「俺さ、見舞いに来るたびに、記憶が増えていったんだよね」

「えっ?」

「高校のときの記憶なんだけど。元々覚えてた記憶では、皆で楽しく過ごしてたけど、別にそこまで吉野さんと親しくなってなかった記憶。そのまま、連絡先も交換せずに卒業したよね」

「う、ん……」

「信じられないかもしれないけど、別の記憶が増えていったんだ。そっちでは、どんどん吉野さんと親しくなっていってた。おかしいんだ。違う記憶なのに、どっちも俺にとっては現実にあった記憶で」

「え……じゃあ、あの夢?は」

「最後の記憶では、俺がへたれてたらさ、吉野さんがぐいぐいきて」

「え、あ」

目の前の瞳が、ギラギラしていた。上手く言葉にできない夕湖を見つめたまま、畑中君は言葉を続けた。

「我慢する意味が分からない、って、いい方の意味だよね?」

「ん?」

「生理的に無理で、我慢できないのかって」

「え、ううん、違う!好きなのに、言わないなんておかしいっておも――」

「うん」

「あっ」

言ってしまったことに気づき、両手で口を押えた。点滴が引っ張られて、スタンドがかたんと音を立てた。

きっと、顔が真っ赤になっている。頬が熱い。

化粧もしていない、なんなら洗ってすらない身体。点滴がついていて、少しやつれてしまったぼろぼろの自分を見られている。

それが恥ずかしくて、夕湖はうつむいた。


「今、ここ、じゃないとダメなんだっけ」

「それは、その」

「俺は、吉野さん……夕湖が、好きだ」

「っ!!」

夕湖は、息を飲んで畑中君を見た。

「ずっと好きだった。卒業してからも忘れられなくて、未練がましく引きずってた」

「う、ぁの」

「ほかの人と付き合ってみたことはあったんだけど、1週間で終わった。どうしても、夕湖を忘れられないってことを自覚しただけだった。もうこれは仕方ないと思って、忘れることを諦めてた」

「わ、私は」

「聞きたくない」

「え、聞いてよ」

「嫌だ。ほかの男の話なんて聞かない」

「だから――」

「嫌だっ!」

「んっ!」

口を、塞がれた。

健二の唇で。


胸がぎゅっとなって、ベッドに座る夕湖に負担をかけないように閉じ込める腕にすがった。唇をノックされて受け入れたが、深いキスも初めてで、呼吸すらままならない。

息が切れる。

仕事柄か、高校生の頃から大きくて体格の良かった健二は、そのまま成長したたくましい腕で夕湖を支えていた。

もはや胸がきゅんきゅんしてしまい、涙目で健二を見上げた。

「はぁ……これ以上は、俺がやばい。病院だし。まだ、夕湖は治ってないもんな」

「うぅ、は」

「ん?」

「初めてなのぉ」

「……っ!!」

健二は、真っ赤な夕湖を見下ろして瞠目した。

「付き合った人、いないの!この年で恥ずかしいけど、全部まっさらよ!売れ残りよ!なんならファーストキスよ!」

(あ、しまった)

あけすけに言い過ぎた、と思ったが出た言葉はなかったことにならない。開き直って健二を睨みつけると、見下ろす彼の瞳にはどろりとした欲がよぎった。

「それは、美味しく召し上がれってことでいい?」

もう一度降ってきたキスに応えるように、夕湖も健二の方へと顔を寄せた。


さすがに、その先は我慢してくれた。

「でも、退院したら覚悟しとけよ」

「……ん、健二も、ね」

「っえ、今、呼ぶ?」

「だめ?」

「いや、いい。いいんだけど、辛い」

健二は、夕湖の手をキュッと握った。大きな職人の手だ。高校生のときより大きくなっている気がする。

泣きそうな健二の目を見上げて、夕湖は首を傾げた。

「辛い?」

「このまま帰るのが、辛い」

「大丈夫、夢じゃないから」

ちゃんと、明日は来るから。

もう一度名残惜し気にキスをして、健二は帰っていった。






結局、あの夢のような過去は何だったのか、さっぱり分からなかった。

ほかの友人にも連絡を取ってみたが、入院したと聞いて雷の影響を心配されただけだった。夕湖が経験した過去は、健二だけが共有していた。

「なんだったんだろう、あれ」

「さあ。ありえた過去の一つがこっちに入り込んだとかかも?」

無事に退院してから、お互いの部屋を行き来する仲になった。面倒なので、2人で住める部屋を探しているところだ。健二は、スマホを覗きながら生返事だった。

「気にならないの?」

「んー、少しは気になるけど」

「けど?」

「今、ここに」

「うん」

健二は、足の間に座らせている夕湖をぎゅっと抱きしめた。

「夕湖がいるのが現実で、それだけで十分」

「……そっか」

健二に背中を預けた夕湖は、それについて考えるのを終わることにした。

タイムスリップして、過去を変えたら健二をつかまえたのだ。それだけでいい。



今日も、窓の外には雨が降っていた。

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切ない雨の日には、タイムスリップでも 相有 枝緖 @aiu_ewo

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