第2話 晴れた日々で、気づくこと
次の日は、雨がやんで綺麗に晴れた。
どうにか目覚ましで6時に起きた夕湖は、顔を洗って髪をまとめてから、先に弁当を作った。大学生の姉は、弁当は持って行かないらしい。だから自分の分と、最近ダイエットしているという父の分だ。
冷蔵庫を開ければ、おかずがいくつか作り置きしてあった。微妙に足りないのは、卵焼きでも作るつもりなのだろう。
夕湖は、1人暮らしで作れるようになった、だし巻きの卵焼きを作った。
働きだしてからは、実家には年末年始とお盆くらいしか帰っていない。そのうえ、今年は仕事が忙しすぎてお盆に帰れず、スマホで近況を報告しただけだった。両親とも姉とも仲は悪くないのだが、どちらかというと放任主義の家族だから、連絡が密ではないのだ。
だから昨日の夜の味噌汁で泣きそうになったのだろう、と考えていると、父が起きてきた。父の白髪も記憶より少ない。
「おぉ?夕湖、早いな。いつもはギリギリなのに」
「たまには早く起きるわよ。ほら、お弁当」
布巾で包んだ弁当を見せると、途中から一緒に朝食を作っていた母が口を出した。
「卵焼きは、夕湖作よ!心して食べなさい」
「ちょっとお母さん……」
「えっ?!食べられる卵焼きか?」
「ちょっとお父さん……!?」
上げて下げるとは、両親は高度だ。
そんなことを考えていると、父は嬉しそうに笑った。
「嘘だよ。ありがとう、昼休みが楽しみだ」
たかが卵焼き一つでそんな風に言われ、照れてしまう。だからそれをごまかすために、夕湖は違うことを口にした。
「なによ、いつものお母さんのお弁当は楽しみじゃないの?」
「いやいや、
「やぁね、
仲が良いのは相変わらずらしい。
自宅の最寄り駅の改札で、駅員さんに挨拶をしていたことを思い出したので挨拶しておいた。中学生の頃、電車通学で駅員さんに挨拶をして顔を覚えられることに憧れがあったのだ。
何とか無事に登校できた。早く家を出た理由は、座席の確認のためだ。教卓に、座席表が貼ってあってのを思い出したのは僥倖だった。教室で迷子などという不名誉を避けられた。
教科書とお弁当と水筒の重みで肩に食い込む鞄を下ろし、教科書を取り出した。参考書や資料・辞書などの重い本は、廊下にあるロッカーに置いておくことが許されているけれど、それでも重い。朝、思わず体重計に鞄を置いて目をむいた。通学鞄が6キロを超えているなんて、一体何のトレーニングだ。
一通り準備を終えると、ぱらぱらと登校してくる級友たち。友人たちもやってきて、おはよう、と挨拶をした。
「夕湖ちゃん、昨日大丈夫だった?」
「アイちゃん、おはよう。うん、大丈夫。帰ってから部屋を片付けてたら、なんか治ったみたい」
「え、それで治ったの?」
藍は楽しそうに声を出して笑った。夕湖も、つられて笑った。
どうして忘れていたのか、いつからそうではなくなったのか、ちょっとしたことがおかしくて楽しくて笑える。そうして笑いあって、やっと収まったところへほかの友人がやってきた。
「どうしたの、朝から大笑いして」
学ラン姿の男子生徒が2人。
「うん、昨日夕湖ちゃんがね、調子悪そうで」
「え?吉野さん、大丈夫だったの?」
大ちゃんがこちらを見た。夕湖の苗字は吉野である。
大きくてごつい印象の畑中君も、口には出していないが心配そうだ。
「うん、大丈夫。帰って部屋を片付けてたら治ったの」
「へ?片付けたら治ったって、なにそれ」
そして大ちゃんも笑った。畑中君は、つられて少し笑ったようだが、どちらかというと心配そうな表情のままだった。そういえば、同じ友人のグループにはいたが、彼とはあまり話した記憶がない。割と無口な人だったんだろう。
クラス全体は、理系クラスの常で、男子生徒の方が多い。記憶によると、真冬には夕湖たちの1組だけが窓にスモークを作っていた。ほぼ男女同数の学年において、男女比驚異の4:1である。40人のクラスで、女子が8人しかいない。
1組は物理選択のみ、2組は、男子がほぼ物理選択で女子が生物選択の理系、3組は若干の男子が物理選択でほかは男女とも生物選択の理系、4・5組は主に日本史選択の文系、6組は日本史選択と世界史選択の文系、7組は世界史選択の文系だったはず。
1年のときは成績順で振り分けられていたようだったが、2年からは選択科目の都合でクラス分けされて、3年はそのまま持ち上がりだったと記憶している。
そして、2年のこれくらいの時期から、そこそこ成績格差が生まれてきて、うすぼんやりとではあるものの自分たちの将来が見えてきていた。それなりの進学校だったこの高校の中でも、大学を目指す組・浪人して大学を目指す組・短大や専門学校を目指す組に分かれて、ごくごく一部、数人だけが就職を目指していたと思う。
そんなことを思い出していたのは、久しぶりに数学の授業を受けたからだ。朧気にあったような気がしないでもない記憶を引っ張り出して、先生の話を聞いていたら、案外思い出せた。けれど、何かきっかけでも必要なのか、その先の授業内容はベールの向こうにあるようにぼんやりしている。単に忘れて思い出せないだけかもしれないが。
ともかく、授業については問題がなさそうだ。
「ほら、返事だって!」
「ありがとう、アイちゃん。私で最後?」
手渡されたのは、熊本県からやってきた手紙。こちらから出した手紙の返事である。今回の修学旅行は、誰のチョイスか分からないが熊本県になっている。全学年で牧場に行ったり夜行列車を1本チャーターしたりするらしい。そしてクラスごとに企画していることで1日使う。旅行の途中で、ある町にお邪魔するのだ。1泊、4~5人ずつに分かれて、農家のお家に泊めてもらう。そして、農作業のお手伝いをさせてもらったりご飯をいただいたりする。そこはどちらかというと内陸部の方にある町で、米農家の多い場所だった。そして、先に少しでも交流すべしということで、泊まるグループごとに手紙を書いて送ったのだ。その返事である。
「楽しみになってきたね~!来週だもんね!」
藍は楽しそうに言った。
夕湖たちは、4人のグループである。もちろん女子だけで構成されており、メンバーは藍のほかに、そこそこ仲の良い、
「うん、楽しみだね!いまだに宮城っていうチョイスが謎過ぎるんだけど」
「分かるー!先生のだれかが熊本出身とかなのかな?」
「ほかの学校は夏に沖縄とか、冬の長野でスキーとかなのにね」
きゃわきゃわと笑いながら話すのは、本当に楽しい。
昼休みは、7~8人で机を寄せ合って昼食を食べる。お弁当がほとんどだが、一部はコンビニなどで買ってきたものだ。食堂もあるが、あまり広くないので利用者は限られている。購買はあるものの、文房具などしか取り扱っておらず、食品は持ってくるしかないのだ。
人数が多いと、話がとっちらかる。
当時は夕湖も話に入って色々としゃべっていたが、今は皆を見ているのが面白くて、お弁当を食べながらいくつかの話を聞いていた。
すると、畑中君と目が合った。
少し離れたところで座っていた彼は、やはりしゃべるよりは聞き役に徹しているようだった。
口の中に卵焼き(予想通り美味しくできていた)が入っていることもあって、夕湖は、にぱっ、と笑顔を向けた。すると、畑中君からは照れたような小さな笑みが返ってきた。
(ん……?なに、あの可愛い反応)
大きくていかつい男の子が照れるとか、目の保養でしかない。
その表情を見て思い出したのは、来週行く予定の修学旅行先でのこと。
確か、牧場にに行った日だったように思う。どこかのお店に入ってお土産を見ていると、ぬいぐるみを持って来て「こんなのあった」と見せてくれた。確かそのときの夕湖は、「へぇ可愛いね」と言う程度の反応だったし、そういう可愛いものが好きなんて意外だな、くらいにしか思っていなかった。
しかし、一応三十路になって人生経験を積んできたから分かる。
(なぜ気づかなかった?!)
その日から、畑中君はもちろん、気を付けて回りの友人を観察してみた。そうすると、藍の片思いなどもうっかり看破してしまったが、きちんと気づいた。
畑中君と、もう1人、軽くて人あたりのいい
西口君は割と誰とでも仲良くなれるタイプの人で、夕湖も楽しくしゃべることの多い友人だった。それに、たまに電話して話すこともあった。
毎日学校で会うのに、わざわざ電話で。男女の垣根のないタイプなんだろう、と、夕湖は楽しく話していた。
それにしても。
(鈍すぎるでしょ私……)
しかし、確か西口君は3年生になったときに、1年生の女の子と知り合いになって付き合いだした。そのまま長く付き合って結婚し、子どもも2人いたはずだ。何より、男性として相対するのはちょっと違う気がする。単に好みでないという言い方もできるのだが、西口君には男性を感じないのだ。来年出会いがある人だし、ここは友人として普通に対応するのが正解だろう。
畑中君はといえば、言葉は少なめで、どちらかというと同じグループにいても男の子同士でしゃべっていることの多い人だった。それに、つるまず1人でいることもよくあり、マイペースな感じがした。
何となく、畑中君が何を考えているのか気になって、少しずつ話しかけてみた。
夕湖が思ったよりも彼はきちんと答えてくれて、みんなでいるときにも2人でしゃべることが増えていった。
高校の部活にはないから自宅の近所にある空手道場に通っているとか、やはり可愛いものが好きだとか、電気関係の仕事をしたいと思っていることとか。
しゃべるたびに、畑中君のことを知っていった。
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