第7話 蝉の音がしない街で

「咲ちゃん!」

 茉穂蕗に揺すられ、咲はパッと身構えた。

 夢の中では大合唱していたセミの声が消えた。

「天気が崩れそうだ。暗くなるのが早いかも。早めに隠れよう」

 春陽がそう言って、皆の荷物をまとめた。

「厄介やなぁ」

 甲士が空を見上げてうんざりした声で呟いた。

 今日の戦利品…廃墟から掻き集めた日用品や食料は、4人で分ける程でもない量で、春陽は唇を噛んだ。

 咲は夢の中の平和な世界への名残を振り払うように頭を振ると、素早く髪と着衣の乱れを直し、粗末な寝具を丸めて背負った。

 春陽に手を差し出したが、大丈夫。と言う風に頷かれた。

 西から天気が崩れている。

 雨と一緒に、奴らを運んで来そうな影が近付いて来る。

「厄介やなぁ」

 もう一度甲士が言った。

 厄介じゃ無い事なんて一つも無いじゃない。…と咲は思った。

 が、それは黙って

「急ごう」

 そう言って皆を促した。


 4人が隠れ家にしているのは3階建ての小さなマンションの一室で、2DKの部屋が各階に5部屋有る。

 それぞれの部屋は調査済みで、奴らは居ない。

 勿論、人間も。

 流れ着いて直ぐに全ての部屋を物色し、必要な物は202号室に運んだ。

 どの部屋を拠点にするかは最初皆で頭を悩ましたが、一階は怖いし、いざと言う時に窓から逃げるルートを取るには、二階が限界だろう…と言う事。角部屋は窓から侵入される確率が上がるから…と外し、残り3部屋から無駄な物が少なく必要な物が有る202号室を選んだ。合鍵が室内に残っていたのも決定的だった。


 茉穂蕗は201号室の新婚夫婦らしい可愛らしい部屋を気に入っていたが、

「そこの窓にびっしり奴らが貼りついてるの想像してみて」

 と言う咲の言葉に震え上がった。


 以来、此処を拠点に少しずつ足を伸ばして食糧を集めては持ち帰り食いつないでいる。


「そろそろ、ここも限界かもね…」

 春陽の横に付けて、咲は呟く。

 茉穂蕗に聞かれたくない。また、不安定になるから。

「あぁ…」

 春陽は曖昧に応えた。

 分かっている。分かってはいるけど、じゃあ、どこに行ったら良い?

 考えたら憂鬱になる。

「茉穂蕗は嫌がるだろうな」

「それはね…」

 2人でチラりと茉穂蕗を見る。

 踏ん張って、歩いている。時々甲士に引っ張ってもらいながら。

 可愛くふふふ…と笑いながら。

 その笑顔は消えるだろうな…と思うと、変化は避けたいと思った。


 明るい内に出て、明るい内に戻ったから、問題はないとは思うけど、確認は怠らない。

 出る時には、最後の人間が均等に砂を撒く。

 何かが通ったら分かるように。

 意外と甲士が適任だった。

「練習後のな、グランド整備にはコツがあって…マウンドに向かって…」

 …と、説明が入るので、称賛は口にしないけど。

 それでも、ドアを開ける瞬間は緊張する。

 誰もがドアノブに手を掛けるのを躊躇するので、春陽が手を伸ばした。


「おかえり!」

 靴を脱ぐ間も与えず、リビングから競って駆けてくる弟妹。

「あのね!悟が、舞の描いた絵をぐしゃぐしゃにしたの!」

「ちがうし!舞がね、兄ちゃん!舞が悪いんだよ!」

「ちょっ、待て、お前ら、靴くらい脱がせて。悟、お前体当たりはよせ!舞!くっつく前に鼻ふけ!コラ!」

 両親が留守がちで、双子の弟妹は寂しさを紛らわすように競って春陽にまとわり付いた。

「母さんは?」

「大学に行った」

「また、病気の人見つかったって」

 2人はべたべたと春陽にまとわり付きながら一緒にリビングまでの廊下を歩く。

 さっき、出来るだけ早く帰れる?って連絡が来てだからそうだろうと思った。

 2人が不安がるからTVはつけず、ネットニュースを見ると、新たな感染者が見つかった…と言う見出しが飛び込んできた。

 父さんはもう随分帰って来てない。

 最近は、病院の近くのホテルに寝泊まりしているらしい。

「お母さん、カレー作ってくれたよ」

「でも、お肉が入ってないの。無いんだって!」 

 嬉しそうな舞と不服そうな悟。

 2人の頭を撫で、冷蔵庫を覗いて、

「じゃあ、ウインナー焼いてやるよ。なら良いだろ?」

 と言うと、悟はやった〜と飛び跳ねた。

「舞、のり持って来て」

 そう言って、テーブルの上のぐしゃっとした紙を手に取って裏返しシワを伸ばす。

「舞、上手に塗れる?」

「塗れる!」

「悟、水の空段ボールある?」

「あるよ!」

 2人は春陽に頼まれると張り切る。

 悟が持ってきた段ボールをカッターで切り、舞の絵を貼り付けた。

「周りにシール貼って」

 と言うと、舞は張り切ってシール帳を引っ張り出した。

「俺は⁉︎」

 と悟がワクワクしているので、もう一枚切って渡し、クレヨンで落書き始めるのを横目に、フライパンでウインナーを焼きながら、カレーを温める。

 ご飯はもう炊けている。

 母親は、料理は得意じゃ無かった。

 元々両親共大学病院の医者だったけど、双子が産まれてからは、現場を離れて研究室に入った。

 医者を続けるより時間が読めるから。

 それでも忙しかった。特に今みたいに新種のウイルスなんかが出たら。


 2人の作品をリビングの壁に貼り付けてやり、3人で夕食を食べる。


 いつまでこんな日々かな…

 ウイルスの特性が解明され、薬が出来るまでかな…って思っていた。

 2度と戻って来ないなんて、思わなかった。


 春陽は、そっと手を重ねられ、ハッとした。

 咲が、ドアノブを握ったままの春陽の手を上から握り、こちらを見つめていた。

「何?何か変なの?」

 後ろで、茉穂蕗が不安そうな声を上げた

「ごめん、ぼ〜っとした」

 慌てて言い訳をした春陽を

「疲れとんねん」

 甲士が押し退けてドアを開けた。

 靴は脱がずにずかずか入って行く。

 皆それに続き、ドアを閉めてからそっと外を伺う。それも日課だった。

 リビングに敷いたカーペットの所で初めて靴を脱ぐ。

 遠足の時のレジャーシートみたいだった。

「新しい靴、無かったね」

 茉穂蕗が足をさすりながら咲きを見る。

「また探そう」

 2人ともすり減った靴を履いている。

 食糧の次に大きな問題だった。

 合わない靴では歩き回れない。

 最初は可愛くないから履きたくない…と言っていた茉穂蕗も、いつからか機能重視になった。

 ペディキュアで飾られていた足は見る影もない。咲の足を枕に休んでいる。

 咲は、困った子…と言う顔をして茉穂蕗の頭を撫でていた。




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