第5話 育てる

 兄ちゃんじゃない。

 でも、誰かが居る…微かな音と気配がする。怖くて身体が動かない。

 外は、明るい。まだ夜じゃない。

 だけど暗い小屋の中だ。奴らかも知れない…目を開けるのが怖い。喉はひりついて声も出ない。

「痛かっただろう…良く頑張ったね…」

 そう囁くのが聞こえた。奴らじゃない…?どっと緊張が解れて気が付いた。

 腫れた足がひんやりと冷やされている。

「君は誰?」

 目をうっすら開けた勝に

「大丈夫。眠っていて」

 それは割れていたけど少年の声だった。

 手袋をした手の人差し指をマスクの下にある唇に当てる仕草。

「特別の薬をつけるから、楽になるよ。だけど、君のお兄さんには内緒だよ」

「どうして?」

「君のお兄さんは凄く頑張ってる。くたくただけど、きっと頑張るのをやめないだろ?ここに僕が居る事に気付かず君を置いて行ったことを知ったら、きっと凄く自分を責めるんだ」

「うん」

「だから、内緒にしよう。出来る?」

「うん。出来るよ」

 熱を持った足に、冷たい薬が塗られるのは、気持ち良かった。

「君は生きているから、少しで良い」

「?」

 外でドスンと音がした。すっと彼が離れ、戻って来ると

「お兄さんが落ちたみたいだ。怪我は無いよ。でも、疲れてそのまま気を失ったみたい。そのまま少し休ませてあげよう。大丈夫。僕が見張るし、暗くなる前に起こすよ。君は安心して眠るんだ」

「僕は、いつも寝ているんだ。眠っていても、音や声がしているの。起きろって言われたら、すぐ起きられるように。眠れって言われたらすぐ眠れるように」

「君は特別なんだね」

 それから、眠って…と言って、彼は出て行った。長いマントとフードを頭から被っている背中を、眠りに落ちながら見送った。


 夢じゃなかったと思う。

 兄ちゃんが戻って来たのはそれから随分後だし、足は痛みがマシになっていた。


 だけど、約束だ。彼の事は内緒だ。


 新たに加わったジンの背中で、勝は音を感じていた。

 乾いた地面を踏みしめる音。

 ジンの息遣い。

 達生の肩で揺れて荷がぶつかり合う音。

 昨日までは聞こえなかった、聞く余裕が無かった音が、眠っている耳に、頭に、流れ込んで来ていた。


 太陽が真上に登った頃達生が足を止め、ジンもそれに従った。勝はもぞもぞとジンの背中から降り立った。

「ありがとう」

 ジンの袖口を掴んでそう言うと、

「寝とって良かったのに」

 そう言って大きな掌を勝の頭の上に置いて、グリグリと撫でた。

 その度勝は身体事揺すられ、目を丸くして踏ん張った。

「次は兄ちゃんおぶったろか?」

 突然そう言われて、達生はたじろいだ。

 なんだかムズムズした気持ちになり、何だろう…と思う。

「要らない」

 不貞腐れたようにそう言うと、布袋に手を突っ込んで、プチトマトを数個掴んだ。

 更に潰れて液体化している。

 後何日もつかな…

 達生がプチトマトを掴んだ手を伸ばすと、勝は条件反射のように手をお皿にする。

 勝は小さな掌に、プチトマトを5個乗せ、ジンの方に手を伸ばすと、勝に習って手をお皿にした。

 とりあえず3個乗せ、もう一度袋に手を突っ込み、更に四個取り出して渡そうとしたら

「ちゃんと自分の分はあるんか?」

 そう聞かれた。

 見透かされたような気がして、思わず俯いてしまった。

「大丈夫。まだあるから」

 そう言ってジンの手に押し付けると、もう一度袋に手を突っ込み、触れた個体をかき集めて取り出した。

「ほら」

 ちょっと潰れかけたのも有ったけど、5個握られていた。

 ジンは、綺麗な1つを達生に渡そうとしたけど、

「ジンは大人だから沢山食べるでしょ」

 そう言って断った。

 すると、オデコをツン…とつつかれた。

「沢山食べて大きくならんとあかん。子供が気ぃ使わんでよろし」

 そう言って、1つを自分の口に放り込んでから、次の1つを達生の口に押し込んだ。 

 びっくりしてジンを見つめながら、さっきの変な気持ちの正体に何となく気が付いた。

 子供扱いされるのは、いつぶりなんだろう。

 勿論、大人が生きていた時ぶりだ。

 そう気が付いて、胸がどくん…と悲しい音を立てた。

 そんな気持ちを誤魔化すように、

「そうだ!」

 と、柄に無い頓狂な声を上げて背中に括り付けていた袋に手を突っ込み、土ごと包み込むようにプチトマトの苗を慎重に取り出した。

「何?」

 勝が覗き込む。

「おお、賢いなぁ。根っこごと持って来たんかい」

 ジンはそう言ってからキョロキョロしてから、いつから転がっていたか判らないボコボコにひしゃげた缶を拾い上げると勝に持たせ、更にぽっきり折れて落ちていた何かの鉄棒でその辺の地面をガリガリとかきむしり、何とかすくい取れた土をその中に入れて行く。

「堆肥になるかも知れん」

 そう言って、潰れたプチトマトのカスを足し、棒切れてぐるぐる混ぜ込んだ。

「ほれ」

 そう、達生をうながし、プチトマトの苗と勝が両手で抱えている缶を交互に指差す。

 達生が覗き込むと、土の中央が窪んでいる。

 そっとその中に根っこを下ろしていく。

 更に土をかぶせて根っこが見えなくなると、

「日い差す場所に置いや」

 と地面を指差し、勝が従うと、次に水筒を持たせ、かけるよう促した。

 勝が確認するように達生を見たが、達生は黙って頷いた。

 プチトマトなんて育てた事ない。

 だけど、大人が言うんだから、そうなんだろう。

 勝がプチトマトの缶にかけた水は、穴の開いた缶のあちこちからこぼれ出た。

「それで良えんよ」

 ジンは満足そうにそう言って笑った。

「ジンは、…農業?の人?」

 考えながら達生は言った。

「ん?農家って事かいな。いやいや、そんな本格的なもんちゃう。家庭菜園ってやつやな」

 ジンの答えを聞いて、ポカンとした顔をした勝が達生を見上げた。

「本格的じゃ無いけど作ってたって事?」

 達生も首を傾げた。

 野菜なんて、冷蔵庫の引き出しと、スーパーでしか見た事なかった。

「そうそう。親が息抜きにね。ベランダに植木鉢でな、こんなの色々並べとった」

 そう言って、プチトマトを指差した。


 短い休憩が終わり、缶ごと袋に入れて勝が持った。

「重いだろう」

 と達生は言ったが、

「大丈夫」

 そう言って勝はにっこり笑った。

 昨日から、勝は良く笑う。

 …いや、そうじゃない。勝は良く笑う子だった。

 達生の後をくっついて来て、振り返るといつも嬉しそうに笑った。

 両手を口に当てて、こぼれ出す笑いを掬い取るように。

 そんなに昔の事じゃない。

 だけど、忘れていた。

 そんな余裕が無かった。

 しっかり抱えた勝の前で、プチトマトはキラキラ揺れていた。

 なんだろう。空は青くて、勝が笑っているのに、どうして泣けて来るんだろう。

 ぼんやりと眺める、表情の無い達生の視界は、涙で滲んでいた。









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