第4話 眠れぬ夜に出会う

 ザリッ…と聞き慣れない音がして、達生は、ハッとして身を起こした。

 ズキンと身体のあちこちが痛む。

 つい、無理な体勢でうとうとしていた。

 一瞬最悪な危険を案じ、暗がりで勝を探した。四角いコンクリートに守られた空間で、すぐ近くでうずくまって眠っている弟を見つけて、安堵した。

 毎度毎度、心配で胸が痛くなる。

 それがしんどいから出来る事なら寝ないでいたいのだけれど、それは無理だった。

 不規則に音がする。

 昼間の事を思い出し、外に撒いた植木鉢の破片を踏む音だと気が付いた。

 奴らがいるのだ…そう思うとゾッとした。中に居る事はバレているのだろうか?

 明かりもなく、音もないのに。

 息を殺し、僅かな音で奴らの動きを把握しようと努めた。

 ザリッザリッ…と、音は不規則に聞こえて来る。

 一体か、数体居るのか…?

 入って来られはしない。そう思いながらも、ドキドキは止まらない。

 早く、去ってくれ。そう願うしか出来ない。

 もそっと動いた勝が、目をパッチリと開いて見上げてきた。唇に人差し指を当てて、静かに…と伝えると、弟は不安そうな表情で頷いた。

 勝だってこの生活が長い。物音には敏感になって居るし、こういう時音を立てちゃいけないことは分かっている。

 ドキドキしながらやり過ごす。そうやって生き延びて来たのだから。


 音が止んだ。

 それでも、しばらく暗がりで息を潜めていた。


 早く朝になれば良いのに…そういつも思う。それと、早く大きくなりたい…とも。

 達生が自分の為に無理をして居るのは知ってるから。ほとんど寝ていないのも。

 早く大きくなりたい…交代で眠れるように。いざという時に役に立てるように。

 だけど、自分の手は小さくて、足は遅くて、すぐ疲れて、すぐ眠ってしまう。

 そして、何より、怖い。奴らを前にしたら何も出来ずに蹲ってしまうだろう。

 そんな自分が悔しくて、悲しくて、泣いてしまいそうになるけど、そうしたら兄が心配することも、困ることもわかって居るから、せめて、泣かない…それだけ頑張っていた。

「眠っていろ」

 いざと言う時の為に…

 達生が囁くように言い、勝は頷いて、元の体勢に戻る。


 音を立てないように棚に登り、そっと窓から外を覗く。

 周囲は月明かりを頼りに廃墟の造形が見て取れる程度の視界で、その中で不規則に動いているモノが、影として認識出来た。

 奴らだ。数体。目的も無く、ゆらゆらと頼りなく歩いている。気付かれては居ない…そう感じて、ほっとした。

 勝は寝入ったようだが、達生は、もう眠れる気がしなかった。


 長い夜。窓の外で奴らは不規則に現れてゆっくり移動して行った。

 小屋の窓から見下ろす達生には気付かない。

 音は立ててないけど、耳は良いんだっけ?奴らはどうやって人間を見つけるんだろう…仲間を増やす為に生きてるのかな…あれ、そもそも生きているんだっけ?

 奴らの事は分からない。誰も教えてくれなかった。突然現れ、増えた。最初の1人も人間だったのかな…

 分からないけど、生きる為に賢くなった。

 …いや、勝を生かす為に。


 窓の外で、突然、音も無く状況が変わった。

 ぼんやりと見つめていた達生は一瞬状況が飲み込めず、恐怖に支配されかけた。

 一斉に奴らが振り返り、こちらに向かって来たのだ。

 気付かれたのか?どうして…?勝を隠さなきゃ…入って来るのか⁉︎

 兎に角、勝の所に行かないと…なのに足が震えて動かない。

 最初の一体が、達生たちが居る小屋の壁に手をかけた。

 ひっ…と思った横から、踏み台にするように、次々と重なり乗り越え、壁を覆って行く。どうする気だ…もう無理なのか…?せめて勝を…

 今度こそ気合を入れて棚から降りようとした所で、

「うわっ!来るな〜」

 そんな声が聞こえた。

 人間⁉︎思わず窓に近付いたが、外に張り付いている奴らに見つかりそうで、思わず伏せた。

 何かが落ちた…と思ったら、奴らの腕や頭だった。

「上に誰か居るんだ」

 奴らに見つかった訳じゃなかった…とホッとしたけど、直ぐに上にいる人間を思って暗い気持ちになった。

 いつからいたんだろう…外は危険なのに。そんな所にいるから奴らに見つかるんだ。

 自分が悪いんだ。そう言うのを、自業自得って言うんだ。

 そう思うんだけど、背中にツツ…と嫌な汗が流れた。

 また、何か落ちて来た。まだ頑張ってるんだ…だけど…どうしようもないんだ。ドアを開ける訳にはいかないし。僕は、勝を守らないといけないんだから。

 頑張ったって、無理なんだ。奴らに見つかったらもう、ダメなんだ。


 それなのに…


 突然、奴らがバラバラと崩れ落ちて来た。

「何…?」

 思わず窓に顔を近付ける。

「兄ちゃん?」

 下から不安そうな勝の声がして、シッ…と唇に人差し指を当てて黙らせ、下に降りて棚の上に押し上げた。

 不思議そうに窓の外を眺める勝の目の前で、奴らがまたバラバラに落ちて行く。

「何で…?」

 と問う勝の後ろから覗いていた達生の目に、暗がりで跳ねる何かが見えた。

「誰か居る」

「人間?」

「多分」

 長い棒がキラリと月に反射した。

 それを奴らに突き立て、そのまま小屋に沿って走り、なぎ倒して行く。

 足を取られ、もげ、絡まり、落ちた奴らを、踏み潰す。

 奴らも死ぬんだ…と思った。じゃあやっぱり生きていたのか?

 それを繰り返して、奴らを全部動けなくした。それを確認した後、彼は達生たちの居る窓を見た。…気がした。

 彼はマントフードをすっぽり被っていて、顔が見えなかった。体まですっぽり覆われていた。

 でもやっぱり見ていたんだ。

「降りて大丈夫だよ」

 そう、上に向かって言った後、窓から姿が見えなくなり、ドアがノックされた。

「今なら開けても大丈夫だから、入れてあげて」

 そう声がして、数秒後、どたん!と音がして

「誰か居るんか⁉︎開けてくれや‼︎」

 そう、声がした。さっき上から聞こえた声だ。

「何も居ない?」

「居ない居ない!動いてるのはおらんから!」

「静かに!」

 肩で息をし、勝は棚の上に上げたままにして、そっとドアを開けた。

 くたびれたおじさんが、滑り込むように入り込んできた。

「ああ〜助かった〜」

 おじさんが転がり込んで直ぐ、チラッと外に視線を走らせてからドアを固く閉めた。

「西に進むと、人間たちが避難している場所がある。朝になったら向かうと良い」

 誰も居なかったのに、ドアの外から声がした。

「あなたは…?」

「棚をズラして土を掘ったら水がある。持って行って良い。ライターも有るから、ネズミを焼くのに使え。必要なものは持っていけ。チビを守ってやれよ」

 答える変わりにそう言った。

 全部、見ていたのか…?

「あなたは誰?」

 もう一度聞いたけど、答えは返ってこなかった。

「いや〜命拾いしたで」

 おじさんは、途端くつろいで、肩にかけた荷物を下ろしてどかりと座った。

「何で、外に居たのさ」

「コレの上に非常食が有るって聞いて来て。プチトマト、久しぶりに食べた。美味しかったなぁ…こんなに美味しい物だったんやなぁ〜って、感動してたら、気が抜けて眠り込んでもうた」

 そう言って豪快に笑った。

「誰に聞いたの?」

「さっきの子やで。彼は何者?君たちのツレ?」

 そう言われ、首を横に振った。

「ここは彼の隠れ家だったのかな?」

 勝が、達生を見上げて言った。

 そうかも知れない。彼は外で大丈夫なんだろうか…?

「仲間じゃ無いんか。小さいのに強くて頼もしいのになぁ…」

 おじさんは残念そうだ。

「小さい?子供なの?」

「あぁ、君くらいかなぁ?」

 達生を指して言う。

「兄ちゃんは達生って言うんだよ。僕は勝。おじさんは?」

 他人が珍しい勝は無邪気に言う。他人との交流が新鮮だから。

「おっちゃんはじん。宜しく頼むで」

 ジンは勝の頭を乱暴に撫でた。

 そんな扱いをされたことがない勝は戸惑いながら笑った。

 信用出来るだろうか?するしか無いか…

 生き残っている人間自体が少ない。

 隠れて寄り添って眠るしか無いのだから。


 翌朝、棚をずらして出て来た地面に、達生は自分のチェックの甘さを痛感した。

 奴らが隠れていたかも知れないのだ。

「棚があったら奴らも出て来られへんで?」

 棚を動かして息の上がったジンが、息を切らしながらそう慰めてくれたけど、気分は重い。

 中からは、フードの彼が言った通りに、水や薬や靴やロープ等、色々な物が出てきた。勿論ライターも。

「うぉう、靴や!履き替えたろ」

 ジンは靴底が剥がれ、布でぐるぐる巻きにされた靴を脱ぎ捨てた。

 達生は勝に痛みに効く薬を飲ませ、足を消毒し包帯を巻いた。

「歩けるか?」

「うん」

 仮に無理でも、うんと答えるくせに…と達生は顔を歪めた。

「どれ、おっちゃんがおぶったる。兄ちゃんは荷物を頼むで。ごっつ重いけど」

「良いよ」

「何、遠慮すなや。変わりにおっちゃんが疲れたらおぶって貰うさかい」

「遠慮なく置いてく」

「殺生やな!ショウ君の兄ちゃんはエラい薄情やで」

「あははは」

 声を上げて笑う勝を初めて見た。

 それだけで、凄く心が軽くなる。

「行こう」

 心強かった、コンクリートの小屋を出て歩き出した。1人連れが増え、西に向かって。

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