第2話 夜になったら目を覚ます
僕は檻の中に居る。
でもね、腕に繋がれていた鎖は外された。
脚はまだ繋がれている。
腰が引けて僕に近づけない鍵を持った警備員に代わって、ずっと僕に話し掛けていた白衣を着たおじさんが外してくれた。
お医者さんかな?僕を治してくれるのかな?パパとママも?
「何があったか話してくれるかい?」
僕の腕を自由にしながら川上と名乗ったそのお医者さんは、僕の手首を握ったまましげしげと眺め、ひっくり返してまた元に戻し、じっと僕を見つめながら、そう言った。
僕は川上先生を見上げ、やっぱりあまり良く見えないな、と思った。
「ママとパパは?」
恐る恐る聞いてみる。僕と同じようにどこかに囚われている?と期待したけど、川上先生は、首を横に振った。
「特別じゃ無かったんだね…」
だから、死んだんだね?
「感染してしまったら、どうしようもないんだ。…普通は」
最後にそう付け加えた。僕の事だね。
だけど、僕に話すことなんてそう多くない。両親と歩いていたら暗闇からゾンビが現れ、パパが、ママが、噛まれてゾンビになり、そして僕も噛まれてゾンビになったんだ。ただそれだけ。
どうして、僕は僕のまま…記憶も心も僕のままなのかは、僕には分からないし、川上先生も、分からないと言った。だから、少し調べるのに協力してくれるかい?と。
勿論、断る気にはならなかった。
僕が一番知りたかったし、ここに居られなかったら、どこに行ったら良いか分からないし、誰を頼れば良い?だって僕はゾンビなんだよ?だから、そう。瑠璃ちゃんにも、会えないんだ。
そう思うと、激しく心が暴れた。ギューって萎みそうな気持ちの周りで、何かが暴れてて、僕には見えない何かを壊しているみたいだ。
僕は急いでぎゅっと胸に手を当てた。
何かが暴れて瑠璃ちゃんを怖がらせているかも知れない。
そう思うと怖くなった。
瑠璃ちゃんに会いたいなぁ。
川上先生は、僕を檻から出し、地下室に冷蔵機能の付いた部屋を作ってくれた。地下牢と言おうと思えば言えそうだけど、そこは地面が土で気持ち良い。
僕が側にいると落ち着かない人がたくさんいたし、部屋が明るいのが辛かったから、薄暗い地下は快適だった。そして僕は死んでいるんだから、涼しい方が良い。
僕は昼間は部屋の箱や机の脇で埋もれるように眠り、夜になる頃起き出して、研究室に連れて行かれる。それで毎日同じ検査をして、同じ質問をされる。
体の方は分からないけど、質問の答えは、気分によって変わる。例えば、「今何が食べたい?」と言う質問。
機嫌が良い時は、ソーダ味のアイスかなぁ。とか。でも時には、何も食べないの、知っているでしょ。って拗ねたくなるし、人間って答えさせたいの⁉︎と怒りたくもなる。でも、川上先生はなんと答えても、うんうん頷いていた。記録係のお姉さんはビクッとしたり、悲しい顔をしたりするけど。
だけど、ある日そのお姉さんも居なくなって、先生が自分で記録して居た。
「お姉さんは?」
と聞くと、先生は困った顔をして、
「外はますます感染者が増えて居て…彼女も、やられたんだ」
そう言ってため息をついた。
「死んじゃったの?」
「いつか治せるかと地下室に閉じ込めたんだけど、他の職員の感染者と…その…喧嘩したみたいで」
「死んじゃったんだ…」
僕はどうだろう…ゾンビ同士は友達になれないのかな…?群れて動くんじゃないのかな?
「集団で動くのは、たまたま隠れやすい場所に集まっているからだろうね。狭い所に一緒にしておくと、お互いを認識しないから潰し合うこともある」
「どうして人間を襲うんだろう…」
そう言うと、先生は困ったように笑った。
「君にそれを聞かれて僕が教えられるとは思えないよ」
そりゃそうだ。僕はゾンビで、先生は人間だ。
でも…
「何も食べなくても平気なのに、わざわざ危険なのに人間のそばに来るの、変なの」
そう言うと、先生もそうだね…と言った。
記憶も無くて、心も無いのに、何で人を襲って食べないのに噛み付くの?あれ?食べるんだっけ?
でも僕は何も食べてない。実験で、何回か食べ物…ハンバーグとかバナナとか咀嚼してみたけど、それだけ。飲み込むに至らなかった。ソーダも飲んでみたけど、液体が体内に入った…って感じ。僕のお腹は消化とか出来るのかな…?でも怪我したら痛く無いけど、治りもしない。皮がむけたらそのままずっとむけてる。
「食べる必要ないんだと思う」
僕は自分の変わり果てた、白っぽい灰色の腕を見てため息をついた。
「空腹は感じない?」
うん…と頷く。
「一度も?」
もう一度頷く。
何だろう。それはすごく重要なことなのかな?
僕たちゾンビは、お腹は空かない。食べる必要も無い。怪我しても治らない。でも痛みは感じない。明るいのは苦手で、だから昼間は物陰で蹲っている。眠っているわけじゃ無い。多分睡眠も必要ない。そして、暗くなったら…夜になったら目を覚ましたように動き出す。何を求めて…?生きて、動いている人間を求めて。
それは何?焦燥?嫌悪?憎悪?憐憫?難しい言葉を並べてみたけど、意味はよく分からない。
僕は?パパもママももう会えない。友達には会いたい。でもきっと怖がるよね。瑠璃ちゃんには会えないけど…会っちゃいけないけど…会いに行くとしたら、この気持ちは何かな。何と呼んだら良いのかな…?
研究室から地下室に戻る途中の窓から、昔よりずっと少なくなった灯りが微かに見えた。
瑠璃ちゃんは、まだ無事で居るのかな…
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