雲の上の二人


「ケンちゃん、ケンちゃんどうしたの?」

ヒナタの声で、我に返った。


体中汗がびっしりと吹き出していて、洋服が体にねっとりと張り付いていた。


「顔色が悪いよ?どうしたの?」


「別に……何でもないよ」


「休んで行こうか?」


「いいよ。それより、そのワンピース、買うの?」


「うん。私はステキだなって思うけど、どう思う?」


「うん。似合ってるよ。予想外に。そのまま着ていけば?」


「そんなことしていいの?」


「お金を払うんだから、問題ないよ」


その会話を聞いていた店員が、

「じゃ、そちらの白いワンピースのほうお包みしちゃいますねぇ」と言うと、ヒナタは「はい!」と元気いっぱいに答えた。


ヒナタは初めての体験なのか、とても嬉しそうにルンルンと回って見せた。

俺たちは、そのお店を出て、ほかの店でも店員がすすめるままに何着か買って、109を出た。


「なんかいっぱい買っちゃったね」


「いいよ。俺の金じゃねーし。ほかにどっか行きたいとこないの?」


「でも、ケンちゃん、具合悪そうだよ?休まなくて大丈夫?」


ヒナタは右手を俺のおでこにあてて、左手で俺の手首を握ってきた。

ヒナタの手はひんやりと冷たくて気持ちがよかった。


「熱は無いみたいだね。脈拍が少し乱れてるけど。さっきすごく汗をかいてたから、ちょっと脱水症状になってるかもしれない。どこか飲み物や屋さんに入ろう」

確かに、だんだんと目眩がひどくなっていた。


「じゃ、この前のカフェに行く?」

ヒナタが提案してきた。


「いいよ。俺はどこでも」

左手は握ったまま、歩き出した。


目眩と強い日差しで、視界はとても幻想的だった。

ふわふわと、雲の上に連れていかれるような気分だった。

俺の腐った魂を清めに、ヒナタはヒラヒラと飛んでいく天使だ。


カフェに着いて、今度は俺もクランベリージュースを頼んだ。

ジュースが来る前に、店員が持ってきた水を一気に飲み干した。


体にすうっとと染み入るようだった。

本当に脱水症状を起こしていたのかもしれない。


「ケンちゃん、もうおうち帰ろっか?」


「いいよ。少し休んだら良くなるよ」


くたくたになるまで遊びまわりたい気分だった。このまま帰ったら、また俺の腐った魂が思い出したくない記憶たちを思い出しそうだった。


「今日は、二人でたくさん遊んで帰ろう。どこか行きたいとこある?」


「行きたいとこっていわれてもわかんない」


「そうだなぁ。じゃあ、俺のお気に入りの場所に連れていってあげるよ」


俺たちは昼ご飯を食べ終わると、カフェを後にして近くのゲーセンに向かった。


「ここが俺がいつも時間を潰してるゲーセンだよ」


ここのゲーセンは1階にプリントシールとクレーンゲーム、2階に通信型アーケードゲームが並んでいて、3階がコインゲームという具合だった。

最近は、2階の通信型アーケードゲームをやることが多い。


「これは、何をする場所なの?」


「ゲーセン、来たことないの?」


「ゲーセン?」

ヒナタは、いつもの訝しげな顔をした。


「ゲームセンター。ゲームをするところ」


「ゲーム……チェスみたいなゲーム?」


「ゲーセンに来たことないの?」


「多分ないと思う。でもお父さんとチェスをしたことならある。そういうゲームじゃ、ない?」


「うん、まあそうなんだけど。いいよ。とにかくやればわかる。行こ!」

今度は俺が、ヒナタの手を掴んでぐんぐんと進んだ。


2階はあまり女はいなくて、殆どいつも男しかいない。だから、ヒナタは少し浮いていたが、男たちがちらちらとヒナタを捉える視線に悪い気はしなかった。


さっきから気がついていたことだが、ヒナタと歩いていると、通り過ぎる男が必ずと言っていいほどヒナタを振り返った。


ヒナタは背が低い。155センチほどだろうか。

しかし、スカートの丈が短いせいもあるかもしれないが、今日はヒールを履いていてスタイルが驚くほど美しく見えた。

顔も、贔屓を抜きにしても可愛い方だと思う。

俺でも、もしかしたら今日のヒナタを見かけたら振り返るかもしれない。

可愛い女を連れ歩きたいという悪趣味な願望を抱いたことはなかったが、優越感を感じずにはいられなかった。


俺たちは、まずガンシューティングをした。

ゾンビやら怪物やらがうじゃうじゃ出てきて、それをガンコントローラで撃ち殺していくゲームだ。

俺は、一時期これにはまって、今までいくら使ったかわからない。


「これ、出てこないよね?」


「ゾンビが?ゾンビが画面から出てきたら怖くてゲームどころじゃないだろ。ホラー映画じゃあるまいし」


ヒナタは、たまに本当に子供みたいなことを聞いてくる。

なんだかそれが無性に可愛くて、笑えた。


ヒナタは思っていたより、ゲームが上手だった。

二人してワーワー騒ぎながら、ゾンビに向かって撃ちまくった。

ヒナタがこんなに笑っているのを、初めて見た気がする。

きっと、お父さんの死を、ヒナタも引きずっていたんだろう。


30分間ゲームを続けていたので、俺は腕が痛くなってしまったのだが、ヒナタは予想外にへっちゃらだった。細く見えるが、意外と筋力があるんだなと思った。


次は俺がいつもやっているオンラインアーケードゲームをやることにした。

これは、いろんなゲーセンにあるアーケードゲーム機のプレイヤーが、同時にオンラインでプレイするRPGゲームだ。

最初にスタートパックという、500円くらいのゲームに必要なカード類がセットになったものを購入しなきゃいけない。


プレイしていくと、カードがゲーム機から新たに貰える仕組みになっている。

他のプレイヤーと一緒に戦うも良し、一人でガンガンやるも良し。

ちょっと初心者では難しいかなと思ったが、ヒナタに見本を見せてみたら、真剣に見入っていた。


「ケンちゃん、これ説明書ないの?」


「あぁ、確かあったと思うよ。スタートパック自販機の近くに置いてあるんじゃねーかな」

ヒナタはタタタッと走って説明書を持ってきた。


「これ、やってみていい?」


「あ、うん。初心者用のチュートリアルがあるから、やってみ」


ヒナタがゲームをやり始めて、ちょっと驚いた。説明書を短時間で頭に入れていたようで、かなりスムーズにゲームを進めていた。やっぱりヒナタは、ゲームが恐ろしく得意だ。


ゲーム機から出てくる青白い光を顔一面に受けて、真剣な眼差しで鮮やかにタッチパネルを操るヒナタは、どこか機械的で、美しかった。

俺はしばらく、そんなヒナタに見とれていた。


「じっと見ないで、恥ずかしいから」

ヒナタは顔をこちらに向けずに言った。


とっさに俺は、自分のゲーム機に視線を戻した。


「見てねーよ」


「うそ」


「意外と自信過剰なんだな」


「自信過剰て、あまり良い言葉じゃないよね?」


「誉めてやったんだよ」


「ヒドイ。悪口言ったんだ。私だってそれくらいわかる」

ヒナタは頬を子供みたいにぷくっと膨らませて見せた。


「ヒナタ、ゲーム得意なんだなぁ。知らなかったよ」


「うん、得意。お父さんも得意だったし」


「そっか、遺伝だな。じゃ、次はクレーンゲームをやりに行こうぜ。俺、得意なんだ」

そう言うと俺たちは、1階に降りていった。


「入ってる人形をクレーンで掴んで取るゲームだよ」


「やりたい!」


ヒナタは慎重にやり始めた。

さすがのヒナタも、最初は難しそうだった。

クレーンが降りてきて、ぬいぐるみをくしゃっと掴んで、ゆらゆらと上に上がっていく。


「あのコ、掴まれて痛くないのかな」


「ぬいぐるみが痛いわけねーだろ。人形なんだから」

なんだか可愛い質問だったから、俺はまた笑顔になった。


「そう、人形は痛みを感じないんだよね。なんでだろう……」

それに引き換え、ヒナタは真剣な顔をしていた。


「なんでって、人形は生きてないからに決まってるだろ」


「そっかぁ。……生きてるってどういうことなんだろうね。人間は生きてて、脈があって、脳があって、脈も脳も心臓もないモノは生きていない。そういうことなんだよね?」


ヒナタは、何故か泣きそうな顔をしていた。

ヒナタは自分の父親のことを思い出しているのかもしれなかった。

ガタンとぬいぐるみが取り出し口に落ちてきた。

可愛いキャラクターのぬいぐるみを取り出すと、ヒナタはにこっと笑顔を見せた。


「なんかお腹が空いたなぁ」

俺はその笑顔に少し安堵して呟いた。


「ケンちゃんは、おうちでご飯作らないよね?どうして?」


「道具もないし、料理が出来ないから」


「ケンちゃん、私、作ってあげよっか?」


「え?料理なんて出来るの?」


「もちろん。女の子だよ?」


「だって、ガスコンロも見たこと無かったんだろ?」

心底驚いてヒナタの顔をじっと見つめた。


「それはそうだけど、使い方は聞いたし、この前一緒に本屋に行ったときに、料理の作り方は覚えたから。出来ると思う」


「それ、立ち読みしただけだろ?怖えーなぁ。でも、たまにはいっか。俺が教えてやるよ」


「だって、出来ないんでしょ?」


「多分、ヒナタよりはマシだよ」

俺たちは笑い合った。


帰りにヒナタがプリントシールをやりたいと言ったので、1枚だけ撮って帰った。


高円寺に着くと、近くのスーパーで、フライパンやらボールやら材料やら大量に買い込んで家に帰った。


「メニューは何でしょうか。お嬢様」


「うん。リコッタチーズとフルーツトマトのパスタと、ルッコラとベーコンのピザ」


「えー、ちょっと最初からハードル高すぎない?」

俺は不安を隠すことなく顔に出しながら言った。


「だって、こないだ食べたばかりだから味覚えてるし、本屋とインターネットで調べたから完璧だと思う」


「まあ、いいや、やってみるしかねーな」


俺たちは、さきほど買ってきたばかりの色違いのエプロンをして、料理を始めた。

ヒナタは調べただけあって、なかなか手際は悪くはなかったが、それでも、初めての本格的な料理とあって、かなり二人にとっては大変だった。


ピザ生地を作る時は、台所が一面粉だらけになってしまったが、なんだか幼稚園の粘土遊びをしているような感じで、すごく楽しかった。


出来上がると、見た目はちょっとお店のように綺麗にはできなかったが、味はすごく美味しかった。最初に受けた印象より、ずっとヒナタは賢い。


「美味い!」


「やったね!私って天才かな」


ヒナタは得意そうに腰に手を当てて笑っている。


「はは。本当に自信過剰だな」


「だって本当だもん」


「わかったわかった。ヒナタ様は天才ですよ」


「明日から、毎日作ってあげるよ」


「マジで?後片付けの方が大変そうだけど」

二人で悲惨な状態の台所を見て失笑した。


「私、このくらいしか役に立てないし。後片付けもちゃんとやるから、いいよね?」


「俺は嬉しいけど、毎日手作りの方が」


「じゃ、決まりね」


こんなに楽しい1日は本当に久しぶりだった。

ヒナタといると緊張したり興奮したりもするけど、どこか安心が出来る部分もあった。


寝る前に昼間撮ったプリントシールを見ると、俺は今までに見たこともないほどの笑顔で写っていた。


ヒナタは本当に不思議な子だ。一緒にいると幸せを感じられた。


今までに感じたことのない、存在すら信じていなかった『幸せ』。

これが幸せなのだと、感じることができた。

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