生きるというコト


朝起きると、母さんから電話がかかってきた。

養母のことだ。

俺は、ベッドに横たわったまま電話に出た。


『ケンジくん、元気?』


「あ、はい。……元気です」


『ケンジくん、学校に行ってないの?今日、先生からお電話かかってきたの』


「あ、体調があまり優れなくて」

俺は口ごもった。


ヒナタが来てから、俺はただでさえ休みがちだった学校を2週間以上休んでいた。

学校には、自分で具合が悪いと連絡していた。


『4月から休みがちだって、おっしゃってたわ』


「課題の提出とテストは受けています」


『それも聞いたわ。まだ始まったばかりだから、ケンジくんの学力ならついていけるって。でも、これ以上休んでいたら、ついてこれなくなるとも、おっしゃってたわ』


「父さんは、なんて言ってますか?」


『お父様には、まだこのこと言ってないの。言ったら心配するでしょう。きっと一人暮らしさせたことが悪かったって思われると思うわ』


やばい。このままだと、ここを追い出されるかもしれない。

ヒナタのことが頭に浮かんだ。


俺のことはどうでも良かったが、このままだとヒナタまで追い出さなきゃいけなくなる。

俺は焦っていた。

なんとか、母さんを説得しなければ。

俺の心拍数は限界まで上がった。


『ケンジくん、このままなら、マンションを解約するわ。戻ってらっしゃい』


「いえ、真面目に学校へは通いますから、どうかこのままにして下さい。よろしくお願いします!」

咄嗟に、俺は叫んでいた。


『高校生にもなれば、学校だって面倒くさいこともあるかもしれないけど、そんなんじゃ医学部には入れないわよ』

普段は優しいだけの母さんの声が、厳しさを帯びた。


「…….はい。すいませんでした。ただ本当に、4月に風邪を引いてしまって、しばらく休んでから、体調が優れなくて。それに、クラスにあまり馴染めていなくて……」

いい加減な嘘をついた。


俺は医学部なんか行きたくないし、行くと言った覚えもない。

だが彼らには、医学部に行かないのなら俺を引き取った意味などないのだろう。

俺の意見なんて聞かれたこともない。

要するに、俺は金で病院の跡取りとして買われたようなものだ。


『そうなの?やっぱり一人だと体調管理が大変でしょう』


「いえ、一人の方が勉強に集中出来ますし、最近自炊も始めましたから」


『あら、それはすごいわね』


「はい。なんとか一人で自立した生活を送ってみたいんです。これからは、ちゃんと学校に通いますから、お願いします」


『わかったわ。ケンジくんがそこまで自分の意見を言うなんて初めてよね。それじゃあ、しばらく様子を見ましょうか』

母さんはそう言って、電話を切った。


顔を上げると、ヒナタが部屋の入り口に立って、心配そうな顔でベッドに横たわる俺のことを見下ろしていた。


「誰と話してたの?」


「母さんと」


「なんか、ずいぶん大きな声だったから。びっくりして」


「そっか。……学校に行ってないのがバレた」


「学校?ケンちゃんて、学校に通ってるの?」


ヒナタは驚いて目を丸くした。


「うん。本当はね」


「どうして行かないの?」


「くだらないから」


「くだらないなら入らなければ良かったのに」


ヒナタは俺の部屋に入ってきて、足元側のベッドの上に、ちょこんと腰掛けた。


「俺だって入りたくて入ったわけじゃねえし」


「どうして入りたくないのに入ったの?」


「どうしてだろうな。俺にもよくわからない。別にほかにやりたいこともなかったし」


「なんか羨ましいな」


「何が?」


「うん。学校に通いたかったの、私も」


「学校、通ったことないの?」


「うん。ない」


「どうして?」


「……入れないって言われたの」


「誰に?」


「お父さんに。……私のことはいいから、ケンちゃん、学校に行きなよ」


「うん。明日からは行かないと、ここを追い出すって言われたよ」


「え……」

ヒナタは不安そうな表情になった。


「心配すんな。明日からは、ちゃんと学校に行くことにしたから」


「そう。良かった」


「でも、一人で暇になっちゃうだろ?」


「そんなの、なんとでもなるし。ケンちゃんには、学校に行ってほしい」


「そっか」


ヒナタは意外としっかりしてると思うところが増えてきた。

なんだか、日々ものすごい速さで成長してるかのようだった。そんなはずはないのだが。


次の日から、俺は真面目に学校に通いだした。

もともと夜行性の俺は、朝が苦手だったが、ヒナタが起こしてくれるようになり、遅刻もすっかり無くなった。

ヒナタはヒナタで、『一人でお留守番』も楽しんでいるようだった。


「おい。ケンジ、お前、2週間も来ねぇなんて、どーかしたのか?」

そう話しかけてきたのは、君高ショウマ。

学校で、俺が会話する数少ない人間のうちの一人だ。


別に友達だと思ったことはなかったが、何故か向こうから俺にやたらと懐いてきていた。

ほかのクラスメイトは、休みがちで渋谷に入り浸ってる俺なんかとは、関わりたくないといった雰囲気だ。

ショウマ自体は、ほかの連中とも仲は良い。ただ表面的に、ワルぶりたいだけの人間だ。


俺は常に学年上位の成績をキープしていて、恐らく養父母は相当な寄付金を寄付していたので、先生からもあまり厳しく注意されることがなかった。


大半のクラスメイトは、そんな俺を奇怪な存在と気持ち悪がっていたに違いない。

そして残った少数は、思春期にありがちな、履き違えた『自由への憧れ』の対象として、俺のことを見ていた。

要するに、とにかく俺は学校で浮いていた。


「別に、体調が悪かっただけだよ」


「ほんとかよー」

ショウマはにやにや気持ち悪い笑みを浮かべて俺の耳元に顔を近づけた。


「こないだ見たぜ。すんげー美人と渋谷で歩いてただろ?」


すぐにヒナタのことだと直感した。


「そうだったかな。覚えてねぇよ」


「いいよなー。あんな美人、俺だったら一生忘れられないけどな。モテる男はちげえよな」


こいつはいつも、理想のケンジ像を俺に押し付けて、意味もなく羨ましがる。

こんなムサい男子校で、俺がいつモテたことがあるのか聞き返してやりたかったが、それはそれで面倒くさいとこになりそうだから、ただいつもどおりに受け流すことにした。


「なぁ、覚えてんだろ?本当は。まさか彼女じゃねーだろ?」


悪いやつじゃないが、こいつは放っとくといくらでもあることないことを言って回る困ったくんだ。

要は俺を餌にクラスメイトの気を引きたいだけだろう。

小さい男だ。

このまま放っとくと、ヒナタが俺の『すんげー美人な彼女』になりかねない。


「しつけーなぁ。親戚の子だよ。あんま変なこと言って回んじゃねーぞ」


「やっぱり覚えてんじゃん。なぁ、あのコ紹介してくんね?」


「やだよ。お前みてーなのに紹介したら、何されるかわかんねーし」


「ひでぇなぁ。俺たちブラザーだろ?」


俺がいつお前のアニキになったんだよ?と言い返す代わりに、ショウマを思いっきり睨んでやった。


「ちっ、つまんねぇのー」


学校なんて心底くそくらえだ。こういう馬鹿の相手も、うんざりする。

女のこと以外考えられない下等な人間と、俺を一緒にされることにも吐き気がする。


許されることなら、ここにいるやつらをみんなゾンビみたいにガンガン撃ち殺せたら、どれだけサッパリするだろう。

俺は、実の母親を焼き殺した殺人鬼なのだから、怖いものは何もない。

いっそのこと、そうやって少年Aになってしまおうか。


イライラして頭が張ちきれそうだ。

何度も何度も同じ妄想がぐるぐると頭の中を回っていた。


あぁ、ぜんぶ下らねえ。


神様は、なんであの時、俺を生かしたんだ。

俺みたいなクズは、あの時母さんと一緒に焼き死んでおけば良かったのに。死んでしまいたい。

もうこんなことは、終わりにしてしまいたい。


チャイムの音で気がつくと、すでに昼休みになっていた。

休み時間は屋上で過ごすのが俺の日常だ。

空はもう夏の装いで、もくもくと膨れ上がった雲がまばらにあり、空はとても高かった。

ここから飛び降りて死んでしまおうと、何度も思った。

その度、あの声が俺の中から聞こえてくる。


『ケンちゃん、生きるのよ』


母さん、アナタは死んでからもなお、俺を苦しめるんだ。


これは俺が、一生背負って行かなければならない十字架なんだね。


お母さん、お母さんは僕を、いつ許してくれるの?

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