外伝・初顔合わせ(41)〜みんなで食べるちゃんこは美味しいもの(3)〜

「えっ、わたしそんなに幸せそうな顔をしてましたか?」

 天ノ宮部屋の上がり畳で、昼飯のちゃんこ鍋や料理などが並べられたちゃぶ台の前に座った十両一枚目に上がったばかりの新十両女力士姫美依菜は、目の前にいる先輩関取、奥瑠依那の問いに少し顔を傾けると、苦笑した。

 後ろに流した長い黒髪も、サラリと揺れる。

「そうさ、とっても幸せそうな顔をしてたぜ」

 そう言いながら女子大相撲幕内に復帰したばかりの女関取、奥瑠依那はニヤリと笑みを見せて、持っていた魔法パイプで彼女を指した。

「幸せって言うよりは、羨ましい、という顔のようにも思えたがな」

 追い打ちのように投げかけられた言葉で、姫美依菜の胸はどきりとした。

 図星であった。

 これほどまで人がいて、これほどまで食が充実した部屋は今まで聞いたことがなかった。まだできたばかりの部屋ではあるが、畳に座って談笑しているもの、その間を縫って食事の皿などを配膳しているもの、皆一様に楽しそうに思えた。

 これだけの女力士などが集まり、これだけ楽しそうに生活しているのは、ひとえに、隣に座っているこの部屋の事実上の主人の人柄であるようにも思えた。

 ただの権力に惹かれたというのもありそうだが、それだけではないように思えた。

「ええ……」対面に座っている奥瑠依那の言葉に、姫美依菜はもう一度苦笑の顔を見せると、静かに首を縦に振った。「羨ましいです。これだけの女力士の方がおられて、これだけたくさんの食事が食べられて。わたしの砂岡部屋もかなり充実していますけど、これほどには……」

「だったら、後で部屋や宮殿を姫様に案内してもらうといい。ますます気にいると思うぜ。稽古場だけでなく、いろいろなものがある。楽しんでいくといい。あいにく、オレはこの後取り組みなんて、ちゃんこを喰ったら国技館にいかなきゃならんが。案内できなくて残念だ」

「奥瑠依那関、今日は……」

「若いものとの対戦だ。馬力では負けるが、経験では勝ってる。まあ勝っても負けても、相撲が取れるのは大変ありがたいことだ。姫様には本当に感謝している」

 そう言うと奥瑠依那は紫の髪の頭を静かに下げた。

 その仕草に、姫美依菜の隣りにいた天ノ宮は少し苦笑した声で、

「そんな何度も言ったことをここでも言わないでくださいよ。わたくしは、わたくしのために相撲を取っているだけですよ……」

「いやいや、その自分だけのために取った相撲で、あたしも助けられてる。本当に感謝してますよ、姫様、いや、天ノ宮関」

 奥瑠依那の隣りに座ってちゃんこの支度を待っていた彩華姫が、栗色の長い髪を揺らして同じように頭を下げた。そして顔を上げると、心の底から感謝しているというような笑顔を見せた。

「もうっ、そう言われると恥ずかしくなるじゃないですかっ……」

 言いながら天ノ宮は顔を下げて高い背を縮こまってしまった。

 姫美依菜はその様を見て、可愛いわね、というような笑みを見せた。

 そんな天ノ宮を無視するかのように、彩華姫は奥瑠依那の方を向いた。しかし視線は彼女ではなく、その隣りにいる島村親方でもなく、

「なあ、お前も同じだろ、貴真火星たかまかほ?」

 と、ちゃぶ台の一番遠いところに座っている相撲浴衣ではなく、赤い袴の巫女装束を着て正座している黒と茶の混じった髪の女子に声をかけた。

 貴真火星と呼ばれた黒い目の、ボーイッシュな美少女とも言える顔立ちの彼女は、何を思っていたのかはわからないが、突然呼ばれ、少しの間の後、慌てた様子で、

「えっ、えっ? あたし? あたしは……、まあ、姫様には感謝しておりますけど……」

 と言い、何突然話題振るんですかというような顔で、彩華姫を睨みつけた。

 そのさまを見て、彩華姫はおどけたような顔を見せて笑うと、あることを口に出した。

「だって真火星は鬼金剛とまた付き合いたくて姫様を十両に上げるのに協力したじゃんかよ。おかげで元カレと会えたんだし、感謝してないと言うと嘘になるだろ?」

「……そんな事ないですっ!! あたしは月詠が頭を下げたから協力したんですっ!! あの女が頭を下げるのってよほどだよ!!」

 怒り声でそう言いながらぷいと貴真火星は顔を背ける。

 それから顔を背けたまま、

「また鬼吉に会えたのは、うれしかったけどさ……」

 独り言をつぶやくように返す。そして、そのままうつむいた。

「ほーらやっぱりそうじゃないか……」

 彩華姫は苦笑気味に顔をしかめた。

 貴真火星か。

 姫美依菜は自らの脳内検索機構をフル回転させて彼女の情報を思い出す。

 貴真火星。小柄ながら圧倒的な身体能力と相撲センスで勝ち抜いてきた彼女は、相撲の名家、野間埼家に生まれた女力士だ。

 天ノ宮が十両に上がる際に指導した元男子大相撲大関、鬼金剛と同じ年齢で、鬼金剛と同時期に現役の女力士であり、同じ秋津洲大学の相撲部に所属していたという。

 つまりは姫美依菜の先輩だ。

 二人は大学時代から大相撲時代を通じて稽古相手をし、夜の相手もするなど、公私に渡って良きパートナーだったという。が、三矢事件で彼女も角界を追放され、一人とある神の神殿の門前街で奉仕をしていたという。

 追放される前は、月詠親方や奥瑠依那などをライバル視しており、彼女らと鬼金剛を取り合っていたことは、女子角界では知られていた。

 もし月詠親方(月詠華)がいなければ、三矢事件がなければ、彼女が鬼金剛の正妻になっていただろうと言われていたのは事実である。

「そんなことがあったんですか……」

 そんな彼女が月詠親方の頼みで天ノ宮の十両昇進に協力していたとは。

 姫美依菜にとっては初耳であった。

 ……彼女がいなければ。

 そう思うと、姫美依菜は姿勢を正し、貴真火星の方を向くと、うつむいている彼女に声をかけた。

「貴真火星関」

「なあに?」

「天ノ宮関の昇進に協力して頂き、本当にありがとうございました……」

 そう言って姫美依菜は深々と一礼をした。

 彼女の声で首を戻し、彼女のお辞儀を見た貴真火星は、少し慌てた表情を見せ、両手を目の前で振ってみせる。

「ちょっ、なに唐突にそんなことっ!? あたしはただ、鬼吉に……」

 戸惑う彼女に、姫美依菜は顔を上げながら、

「貴女がいなければ、こうして天ノ宮関と対戦することもなく、こうして部屋で稽古して、ちゃんこを一緒に食べることもなかったかもしれません。そう思うと、貴女には感謝の念でいっぱいです。心から御礼を申し上げます」

 そう言って言葉通りの感謝の笑みを見せた。

 姫美依菜の笑みを見た貴真火星は、少しの間その笑みと、そばに寄り添う天ノ宮の姿を交互に見ると、何かを確認した様子で、

「……、そう、貴女って、姫様に対してそうなのね。わたしと鬼吉と同じね。……だったら、わたしが姫様に教えを施したのも、意味があったというものね」

 そう応えると、今日はじめてほんとうの意味での嬉しい気持ちからの笑みを、貴真火星は姫美依菜に見せた。

 その笑みのまま、貴真火星は姫美依菜に問いを投げかける。

「ねえ、貴女一両目よね? わたしも一両目よ。勝ち星はそんなに離れてないから、これから対戦があるかもね? その時はよろしくね?」

 言いながら挑戦的な目つきまで投げかける。

 決闘の申し込みにも思えた。

 ──投げられたものは受け止めないとね。

 典型的な女相撲人である姫美依菜はそう思うと、自らも決闘の手袋を投げるような顔つきになって、ずいと貴真火星の方へと体を傾ける。

「ええ、こちらこそその時はよろしくお願いいたしますね、貴真火星関?」

 そして、にんまりと笑みを見せて、貴真火星と視線を合わせた。

 そのまま無言で、お互い見合う。

 土俵上の、仕切りでお互いにらみ合うように。

 視線と視線がぶつかり合う。

 そのさまを見て、周りの幕下以下の部屋所属の女力士たちの視線が集まり、動きが一瞬止まった。皆、息が止まる。

 その様子を見ていた天ノ宮を始めとする十両以上の関取たちは、

 ──もう、困ったものだなあ。ふたりとも。

 と、ただただ苦笑するのみであった。

 そんな土俵上の立ち会い前にも似た、緊迫した空気を破ったのは。


 ぱんっ、ぱんっ。


 手のひらを打ち鳴らすことで起きる破裂音二回であった。

 そして続けざま、その立ち会い前の空気には似合わない、のんびりのほほんとした声が、二人の間に割って入った。


「さて〜。配膳も終わったようですし〜。そろそろいただきますの挨拶をしましょうか〜?」


 島村親方の声だった。


                               (続く)

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