外伝・初顔合わせ(42)〜みんなで食べるちゃんこは美味しいもの(4)〜
「さて〜。配膳も終わったようですし〜。そろそろいただきますの挨拶をしましょうか〜?」
天ノ宮部屋の稽古場、土俵に面した上がり畳の奥まったところにあるちゃぶ台の前で立ち上がった部屋の親方である島村親方はやおら立ち上がると、あたりを見渡して温和な笑顔で言った。
ちゃぶ台を挟んで貴真火星と優しく睨み合った姫美依菜だったが、その気の抜けた声に、は、はい。と思わず声を上げてしまう。
──さっきもこんなことあったなあ……。
そんなことを思っていると、
上がり畳で座っていた女力士たちが一斉に立ち上がった。
そして、ある一つの方向へと体を向ける。
部屋に設置された神棚──秋津洲皇国の
神事である女子相撲は、朝の挨拶や夕方の稽古終わりなどに、この神棚に礼をし、自らの無事を感謝するなどする。
それは、姫美依菜の所属する砂岡部屋でも同様であった。
だから、自然と皆にならい、彼女も立ち上がり、神棚の方を向く。
「拝礼ーっ」
島村親方が相変わらずのんびりした声でいうと、
天ノ宮も、部屋の女力士たちも、そして姫美依菜も、
深々と神棚に向かってお辞儀をした。
そして、体を上げて、もう一度お辞儀をする。
それから、体を上げると、今度は両手で、
ぱんっ、ぱんっ。
と二度手を打ち鳴らせた。
そして、もう一度深々と、感謝の意をこめてお辞儀をする。
二礼二拍手一礼。
これが秋津洲皇国における神々への拝礼の仕方であった。
それを済ませると、女力士たちが待ちきれないというように一斉にちゃぶ台の前へとしゃがみ込む。
どすん、という大きな音がして、畳がたわんだ。
その中で一人だけ立っていた島村親方は皆を見渡すと、大軍団の大将軍が突撃を命じるかのような、あるいは優しい学校の女教師のような口調で、
「いただきます〜」
と言った。
その言葉にあわせて、
「いただきまーす」
と、女力士たちは手をあわせたりあわせなかったり、お辞儀をしたりしなかったり、個性はまちまちながら、一斉に声を上げ、箸を手に取る。
待ちかねた、ちゃんこの時間の始まりであった。
「待ちかねましたね」
「ええ」
隣で座り合っていた天ノ宮と姫美依菜はお互いに笑顔を交わし合いながら、箸を持った。
その時、姫美依菜の脳内に疑問、いや、思い出したことがあった。
それを、座ったばかりの島村親方へ投げかける。
「あの、御笠親方は……」
姫美依菜と天ノ宮の稽古中、自分の不甲斐なさに切れた天ノ宮を叱った部屋付き親方の御笠親方のことだった。手をあげようとした御笠親方に姫美依菜が切れ、体当りした上、逆に叱りつけ、御笠親方を呆然自失の状態に追い込んだことが、姫美依菜には気にかかっていた。
「ああ〜、みかっちのことね〜」
島村親方は苦笑して姫美依菜の方を向きながら言った。
「今は自室にいるわよ〜。自己反省中みたいね〜。ちゃんこはちゃんこ番が運ばせたから大丈夫よ〜。様子を聞いたら、だいぶ落ち込んでいるみたいだけどね〜」
と相変わらずのんびりした口調で応え、それから天ノ宮の方を向いて、
「天ノ宮ちゃあ〜ん。稽古が終わったら、反省会ですからねえ〜」
と、そこだけふふふ、と怖みを含んだ口調で告げた。
その怖い美少女人形みたいな笑顔の迫力に天ノ宮は、
「はぁい……」
と肩をすくめ、そう応えるだけだった。
趣味は悪いが、そのさまを見て、満足したのであろうか、島村親方は元の温和な笑顔に戻ると、
「さあさあ、ちゃんこを食べましょうか〜」
二人に向かってそう告げた。
「はーい」
「はあい……」
姫美依菜と天ノ宮はめいめいそう応えると、ようやくのことで箸を持った。
さて、天ノ宮部屋のちゃんこがどんな感じなのか、味わってみますか。
姫美依菜は目の前に置かれた三つの大きな鍋を見た。それぞれ、醤油、味噌、塩のちゃんこ鍋だ。
どれから味わおうかな……。
姫美依菜が目まぐるしく三つの鍋を眺めていると。
突然、目の前に三つのお椀が順繰りに置かれた。その三つのお椀から、醤油の旨味、味噌の芳香な香り、塩のしょっぱい香りが流れてきた。
「はいっ、姫美依菜関。ちゃんこ鍋をお取りしておきましたっ」
可愛く元気のある声が左から飛んできた。
見れば、口から八重歯が覗く、可愛げのある、少し女力士とは思えない顔立ちの少女がそばで姫美依菜の配膳をしていた。ただし、体つきは、この部屋で激しい稽古を積み、大量のちゃんこを食べているせいか、体つきはそれなりにふくよかで、筋肉もついている。後ろに束ねた髪で幕下以下だと見て取れたが、なかなか有望そうだと姫美依菜は感想を抱いた。
「あっ、ありがとうございます……」
と思わず口にしながら、これで良かったのかと姫美依菜は迷う。自分は角界入りしてすぐさま上がったとはいえ、関取なのだ。幕下以下には堂々とした態度を取るべきではないのか。それは中学生以降の相撲部でも先輩後輩や、主力選手とそうでない選手での関係はそうであったし。
とは思いながらも、内心をさとられないようにすぐさま自分の中に湧いた疑問を口にする。
「貴女は……」
「
秋津洲の女子大相撲の部屋では、関取がいる場合、その世話を幕下以下の女力士がすることが慣例となっている。だから食事の配膳も当たり前なのだ。
それは大学や高校の相撲部や市井の相撲道場でも同じようなことで、年上や強者に、年下や弱者などが世話をすることになっている。だからそういうこと自体には姫美依菜も慣れていた。
すぐ右を見れば、天ノ宮にはさっき話していた、凜花、という女力士が配膳をしながら天ノ宮と仲良さそうに言葉を交わし合っていた。前に視線を向けると、ちゃぶ台を挟んで島村親方も部屋の幕下以下力士がそばにいるし、彩華姫も奥瑠依那も貴真火星も、それぞれ部屋の女力士がそばについてあれこれ配膳してもらったりしている。
「さあさあ、早くお食べになってくださいっ、姫美依菜関」
安珠猫は屈託のない笑顔でそう勧めてきた。
「じゃあ、遠慮なくいただくわねっ」
そう言ってお椀の中の醤油ちゃんこに箸を伸ばそうとしたときである。
「
対面で、彩華姫と貴真火星の世話をしている二人の女力士に、天ノ宮が声をかけた。一人はふっくらとした顔の優しい大柄の女性、もうひとりは男勝りの顔立ちをした小柄な女子だ。
彩華姫にご飯をよそっていた、月希世乃と呼ばれた大柄の女子は嬉しそうな顔で、
「勝ちましたわよー」
と応えた。
島村親方と奥瑠依那を挟んで、貴真火星の世話をしていた南珠と呼ばれた小柄な女力士は残念そうな顔で、
「負けちゃった……」
とうつむいた。
「まあまあ、稽古をして相手の対策をして、次頑張ろっ。南珠」
そう苦笑気味に天ノ宮が言うと、隣にいた凜花が膳をよそおいながら、
「今度の相手は小柄ですし、ボクがアンマしてあげましょうか?」
とにこやかに声をかけると、
「ライバルのお前に助けられたくないよ!」
南珠はぷいと横を向いてしまった。
そのさまを見ては、月希世乃が困り果てた顔で、
「そんなこと言って、結局凜花ちゃんに助けを乞うんでしょー。わかってるんだからー」
とツッコミを入れた。
さらに、
「そうだぞ、お前最近成績不振なんだから、もっと色々相手と稽古したほうがいいぞ。天ノ宮みたいに、出稽古行ったり相手を呼んだりしてさ。オレも稽古もんでやるからさ」
と、口にものを入れながら、隣の貴真火星がニンマリとしながらがっくりとしている南珠に声をかけた。
すると南珠は慌てた表情で顔を上げると、顔をブンブンと激しく横に振った。
「ちょ、ちょっとまってくださいよ、貴真火星関に稽古付き合ってもらうのは……」
「午・後・つ・き・あっ・て・も・いいんだぞ?」
すごみのある顔で貴真火星に睨まれた南珠は、シュンとしてしまった。相当貴真火星との稽古は堪えるようである。
「まあまあまかほ関……。そんなに稽古したいなら、午後の姫美依菜関との稽古に付き合います?」
南珠に助け舟を出すかのように、天ノ宮が割って入った。
その言葉に、え、と貴真火星が驚いた顔で顔を上げる。
「え、向こうでやるの!?」
「ええ、向こうでやります。……彩華姫関もどうかしら?」
にこやかな笑みを保ちながら天ノ宮が彩華姫にも顔を向けると、
「え、いいんですか、本当に?」
と箸を止め、驚きの表情を見せて応えた。
「いいなぁふたりとも。あたいはこれから取り組みだしさ。まっ、楽しんでくるがいいさ」
奥瑠依那は羨ましそうな顔でそう言うと、お椀の中の味噌ちゃんこを一気にかき込んだ。
……天ノ宮関の「向こう側」って、そんなにすごい稽古場なのかしら?
皆が驚く様子を見ながら内心疑問に思いながら、
まっ、まずは目の前のちゃんこを味わうことね。
そう思うと、姫美依菜は醤油ちゃんこの具と汁がなみなみと入ったお椀を手に取り、箸で具をつまむと、口内に放り込み、よく噛んだ。
すると……。
(続く)
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