外伝・初顔合わせ(36)〜貴女が欲しい色・わたしが欲しい色〜

 天ノ宮部屋十両以上浴場脱衣場の三和土たたきで草履を履き、天ノ宮と姫美依菜の二人は脱衣場の扉を開け、片方の手に荷物の風呂敷を持ち、もう片方の手でお互いの手をつないで天ノ宮部屋の横幅のある廊下へと出た。

 木の幹色の壁に白い天井、木色の廊下に出ると少しひんやりした空気が肌を触る。染みるようで、姫美依菜は少し体をこわばらせた。部屋内、いや、宮殿艦内の空調は人が生きていくのに最適な温度に調整されているはずだが、少し長く風呂にいすぎたようだった。

 隣を歩いている天ノ宮を見ると、先程の転倒による体のしびれはすっかり取れたようで、何事もなく足を進めていた。

 ──かなりの回復力……。これが関取なのね……。見習わないと。

 姫美依菜は内心で感嘆すると、一つ息をちいさく吐いた。

 その吐息に目ざとく気がついた天ノ宮が、彼女に声をかけた。

「ねえ、美依菜ちゃん。どうしたの、ため息なんてついちゃって?」

「え、あ?」その問いに少しドキンとした顔を見せ、姫美依菜は、

「……天ノ宮関、お風呂で体が動けなかったのに、もうこんなに回復してるなんて、さすが関取ね、と思ったんです」

 正直に心中を吐露した。

 天ノ宮はその応えに苦笑した顔を見せ、返す。

 繋いだ手が一つ揺れる。足が止まった。

 姫美依菜もつられて足を止める。

「昔っからよく言われるんです、それ……。何番稽古をしてもすぐに回復するねって……。そんなの特に自慢できるようなものじゃないし……」

「そうかなぁ?」姫美依菜は謙遜気味に言った皇女力士に、心の底から何かを欲しがる表情で返した。「大学とかでトーナメント戦やリーグ戦をよく戦ってきたあたしには、本当に羨ましいけどなあ……。短時間で何番も続けざまに取らなきゃいけなかったし」

「ああ……。大学とかの大会って大体一日開催ですものね。それなら、ものすごいスタミナが必要でしょうし、体力回復魔法がどれだけあっても足りないでしょうね」

 姫美依菜が告げた理由に、天ノ宮はなるほど、という表情をして首を一つ縦に振った。

「それに……」姫美依菜はなにかを考えるような表情に顔を変えて言葉を続ける。「優勝決定戦で多人数になった場合、何番も連続で取らなきゃいけないし、五人以上の場合は巴戦で決着をつけなきゃいけないわ。そうなると必然的に連戦になるわね。そういうときは、連戦できるスタミナと回復力が必要になってくるでしょ?」

「え、ええ……」

 そこまで言われて、天ノ宮は姫美依菜が何を言いたいのか気がついた。

 今場所のことだ。

 自分──天ノ宮は今日の一番で姫美依菜に勝ち、七連勝中だ。しかしこれから二代華はもちろん、十両一両目の強豪と取り組まなければならない。それで全勝すればいいのだが、もし。

 一番でも負け、その時が千穐楽で、他に同じ勝ち星の女力士がいたとしたら。

 その時優勝決定戦が行われるのだ。

 ──姫美依菜はその可能性に賭けている。そして彼女は、自分がその時まで勝ち残りたいと思っている……。

 彼女の思考に気がつくと、天ノ宮は不敵な笑顔を見せ、

「その時は、また勝ちますわよ。美依菜さん。でもその前に、わたくしは全勝いたしますけれどね」

 そう返すと、つないでいる手を強く握った。

 その挑戦状に姫美依菜も同じように何者にも負けないというような笑みを作り、

「ええ、そうなるといいですけどね。天ノ宮関」

 自分の手で強く握り返した。

 お互いの握力に、物理的な圧力と強い意志を感じ、二人は笑い合うと握りしめた手を緩める。

 天ノ宮は再び歩き出そうとした瞬間、姫美依菜の視線に気がつく。

 自分の顔にではなく、その後ろを流れる、長い銀髪に。

 ──美依菜ちゃん、やっぱり髪の毛を気にしている……。

 ……この、何の魔法が欲しいのかな?

 天ノ宮は両目を細め、顔をわずかに傾けた。

 個有魔法、あるいは職能(魔法)などの保有者や種族などは、その保有している魔法や属している種族によって様々な身体的特徴を持っている。その中でも一番よく目立つ特徴は髪の毛の色だ。

 天ノ宮の属する皇統種は銀の髪を種族特徴の一つとしている。また、まだはっきりと言えないが、天ノ宮が姫美依菜との取り組みで見せた「赤髪」も、先程風呂場で見せた「水色の髪」もそれぞれその種族か職能(種)の持つ種族的特徴であるのだ。

 なので彼女が「染まりたい髪の毛の色」がわかれば、姫美依菜が何の魔法が、なんの職能が欲しいのかわかるのだ。

 ──ここは思い切って……。

 天ノ宮は決心すると、隣りにいる新十両女力士に尋ねてみた。

「ねえ、貴女が欲しい色は、何色?」

 突然の問いに、姫美依菜は一瞬キョトンとした顔を見せたが、すぐに先程のような不敵な笑みを浮かべ、

「元横綱月詠華のような、金光をまとった、白、かな……」

 そう返した。

「師匠の……」

 銀髪の姫力士は一言だけ返しながら瞬時に理解した。

 天ノ宮が入門した月詠部屋の親方である元女横綱月詠華の髪の色、金光をまとった白。

 それは。

 神人かみびと、神の力を得た人間、半神格かそれ以上の力を得た人間が染まる髪の色である。横綱の多くは様々な髪の色を経た上で、この白色に染まる。老いではなく、神の力を得た印として。

 つまりは、そういうことだった。

 天ノ宮は何もかもを理解した表情を見せると、

「そっか。美依菜ちゃんはなりたいんだ。横綱に」

 そう言って白い歯を見せた。

 姫美依菜は不敵な笑みのまま、

「できることなら、今この瞬間でも染まりたいんだけど……」

 そう言ってさらに笑みを深くした。

 天ノ宮はなぜだかわからず、眉間にシワを寄せ、

「なんで?」

 と問う。

 すると姫美依菜は、

「だって、貴女に勝ちたいから……」

 そう返してにこやかな顔を見せた。

 その瞬間、天ノ宮は理解した。

 ──美依菜ちゃん、わたくしの「魔法」の正体を知りかけてる……?

 いえ、もう既にその詳細を理解わかっているのかもしれない。

 だって、彼女は魔法の名家巻島家の貴娘きむすめだし……。

 これは、午後の稽古で出し惜しみしてもしょうがないですわね……。

 いっそのことすべてを見せて、美依菜ちゃんの心を折らせるしかないのかも……。


 やるしか、ないわね。


 そう心のなかで決心すると、その心中を隠した笑顔で、

「それでも負けませんわよ、美依菜ちゃん。……さっ、部屋に戻りましょう。美味しいちゃんこが待っているわよ」

 そう言うと、再び幅広の木が敷き詰められた廊下を歩み始めた。姫美依菜の手を引いて。

 急かす天ノ宮の姿に苦笑しながら姫美依菜は、

「どんなちゃんこか、期待してます。天ノ宮関」

 そう期待に満ちた声色で返しながら、自分も歩みだすのであった。


                               (続く)


 

 

 

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