外伝・初顔合わせ(35)〜風呂上がりに……。Part2〜
天ノ宮部屋十両以上浴場脱衣場には、しばらくドライヤーの二重奏が響き渡っていた。
風呂に入った天ノ宮と姫美依菜、二人の身体は温まっていたが、心は冷えていた、というか浴場で感じていた高ぶりは収まっていた。お互い内心で相手をライバルとして認め、お互いに勝つにはどうしたらいいか思案していたからだった。
お互いはお互いを好きでいた。けれども、私人としての「わたし」と相撲人としての「わたし」は別人であり、だからこそ恋愛と相撲の勝ち負けは区別しようと努めていた。
ドライヤーの送風口を黒色の、あるいは銀色の長い髪に当て、洗った髪を熱で乾かしてゆく。それは愛情で濡れた心を乾かしてゆく作業でもあった。それでもなお愛情と
その作業のさなか、姫美依菜は一席空けた席に座って背筋を伸ばし、自分の髪をドライヤーを片手で上へ下へと動かし、もう一方の手で櫛を持って髪を梳かしている天ノ宮の姿を横目で見ていた。
彼女の顔ではなく、彼女の後頭部から下へと伸びた、銀に光る河のように長い髪を。
姫美依菜はその銀髪を、おもちゃを欲しがるような子供のような目で見ていた。正確には、欲しいおもちゃを持っている別の子供を見つめているような子供のような目で。
その河というか滝のように真っすぐ下方へと伸びた銀の流れを目で上から下へ、下から上へと何度もぬめるように見渡し、一つ小さくため息を付いた。その後で自分の髪を手に取り、目の前へと持ってくる。
憎々しいほど黒色を持った艶のない髪だった。それは少し熱を帯びており、湿り気はなかった。
姫美依菜はその髪を見てもう一度短くため息を付き、その髪を投げ捨てるように後ろへと戻した。それからドライヤーを何度か上下させると、スイッチを切った。そして諦めのようにドライヤー台へと置いた。
そして未だにドライヤーで銀髪を優雅に乾かし、梳いている天ノ宮の方を今度ははっきりと首を向き、声をかけた。
「ねえ、天ノ宮関」
「なあに?」
「わたし、貴女のその髪が本当に羨ましい。妬いちゃうぐらいに」
「わたくしの、髪……?」
そう応えた天ノ宮の手が止まった。ドライヤーを動かす手も、髪を梳く手も。
それから首を小さく傾ける。同時に、ドライヤーの音が止まった。
何もわからないというような顔で、ゆっくりとドライヤーを台に置き、それから櫛も洗面台に置いた。そして相手の方を見た。その目は困惑の色をたたえていた。
その困惑の表情があまりにも可愛かったので、姫美依菜は笑みを増しながら優しい声で応えた。
「そうよ、貴女の髪が銀色なこと。それが私には羨ましいわ。貴女は皇室の皇統種で、その血で銀の髪を持って生まれた。でも、勘違いしないで。貴女が皇室の皇女様だから妬いているではなく、わたしが何の取り柄もない黒髪だから羨ましいの」
「貴女が、黒髪だから……」
「巻島家にだって、様々な髪の色を持って生まれた人間は多いけど、わたしは太祖の血が濃く出てしまったのね。だからこんな平凡な髪の色で生まれてしまった」
「……」
天ノ宮は異世界の人間の話を聞くような顔つきで姫美依菜を見ていた。
「……自分には相撲以外何も取り柄のない人間なのだと思い知らされるのよ。貴女のような美しい顔、美しい体、美しい銀の髪を見ると」
そう言うと笑みをさらに濃くし、姫美依菜は言葉を継いだ。
「だから、貴女が好きです。天ノ宮関。貴女にはわたしにないものを持っている。だから好き」
その告白を受け止めた瞬間、天ノ宮は大きく目を見開いた。しかし次の瞬間、姫美依菜のそれと同じ質を持った笑みを彼女に向ける。
「貴女がなにもない? そんなことないですよ。貴女だって、きれいな顔、きれいな体、きれいな黒髪を持ってるじゃないですか。そんなに自分を卑下すること、ないですよ」
「……そう?」
今度は姫美依菜が困惑したような顔つきになった。
「そうですよ」天ノ宮は立ち上がり、姫美依菜の方へと歩んでいった。「貴女がなにもないと言ってしまったら、他の人間には何があるんですか」
「……」
言葉を続けながら、天ノ宮は自分の手で姫美依菜の手を取る。そして、その手を引っ張る。なされるがまま、姫美依菜も立ち上がった。
二人は手を取り合ったままお互い見つめ合う。二人の女力士の頬が赤みを帯びた。
「……それに、貴女には魔法の才もあるじゃないですか。貴女が女力士でなければ、今頃は魔法関連の職業で活躍していましたよ。あの魔力の槍は、それだけのものを持っていました。だから」
そこで言葉を切ると、天ノ宮は真剣な、そして少しだけ寂しそうな表情で、こう告げた。
「だから『自分にはなにもない』なんて寂しいこと言わないでくださいよ。わたくしまで、寂しくなっちゃうから」
そう言って、自分の顔を姫美依菜の顔に寄せ……。
自分の唇を、相手の唇に、そっと重ねた。
「……!!」
姫美依菜は両目を大きく見開いた。
次の瞬間、天ノ宮は取り合っていた手を離し、残りの手と同様に姫美依菜の背中に回した。そして彼女の体を引き寄せる。
思わず、姫美依菜も相手の背中に両腕を回した。そして強く抱きしめる。
続けざまに天ノ宮が自分の舌を姫美依菜の口内へと差し入れてきた。姫美依菜はそれを迎え入れ、自分の舌も相手の口内へと差し入れた。
自然に、お互いの舌と舌を絡め、相手の舌を吸い合う。と同時に自分の両腕で相手の背中を、全身を撫で回す。
その愛撫に、
「……んっ!」
「……ううんっ!」
重ねた口の間から、くぐもった嬌声がお互いの喉の奥から漏れる。
湯から上がり、一度冷えたはずの二人の体が再び熱くなった。
そして、さらなる行為を二人が始めようとしたとき、
ぐ〜っ。
ぐぐ〜っ。
ほとんど同時に、二人の腹の奥底から、身体の活動エネルギーのための存在を要求する音が鳴り響いた。
そのアラームに二人ははっと我に返り、弾かれるように体を離すと、
「お腹、空いたね……」
「ええ、天ノ宮関……」
お互い言い合って恥ずかしそうな笑みを見せた。
それから姫美依菜が何かを楽しみにする笑みを見せて、言った。
「……じゃ、天ノ宮部屋のちゃんこ、いただくとしましょうか。楽しみにしておりますわよ」
「うん、存分に味わってくださいねっ」
天ノ宮もそう言葉を返した。彼女の笑みも、羞恥心から客をもてなす主人のそれへと変わっていた。
それから二人は自分の籠に置いてあった荷物を片手に取り、お互い微笑みを見せながら脱衣場の扉を開け、天ノ宮部屋へと二人並んで向かうのであった。
相撲人にしてはとても美しいお互いの手を、絡めるようにつなぎながら。
(続く)
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