外伝・初顔合わせ(34)〜風呂上がりに……。SIDE:天ノ宮〜


 天ノ宮部屋の十両以上浴場脱衣場で姫美依菜がそんなことを考えていた同じ時。


 天ノ宮も、あれこれ考えていた。

 深刻な問題が勃発したからだ。


 魔法なしの素での相撲の弱さである。

 いや、天ノ宮は弱いというわけではない。体格に比べると筋肉は十分すぎる、というか異常なまでについていると言えたし、腰の重さも同じ体格の力士で比べるなら十分相手を上回るほどだったからだ。事実、彼女の個有魔法<白き石板タブラ・ルサ>の存在がわからなかった幕下以下の時代はそのフィジカルの強さで勝ち上がってきたのは事実だからだ。

 

 ──でも。


 スポーツブラジャーとパンツ、それに自分の名入りの浴衣が折りたたまれて入っている籠を前にして天ノ宮は目を細め、唇を閉じた。その表情は険しさを秘めていた。

 いつものように、タブラ・ルサを起動させ、<見えない従者アンシーン・サーヴァント>の魔法を発動しようとして、


 ──いけない。まだ美依菜ちゃんがいる前では魔法を発動させちゃいけないか……。


 と思いとどまり、自分でスポーツブラジャーを手に取り、腕に紐をかける。

 

 それはともかく、十両以上の関取の体の強さには驚かされるものがあった。

「あの事件」が起きるまで十両の相撲を何場所か取ってきたが、幕下とは比較にならない体の強さがどの相手にもあった。あの散々苦戦させられた野須ノ姫が十両に上がってもすぐに跳ね返されたというのも納得が行くものだった。

 事実、天ノ宮が十両に上がって最初の場所は八勝七敗とかろうじての勝ち越しであった。そのうちの何番かは自分の不注意からの負けであったが、その多くは実力差からの負けであった。

 とにかく、力も魔法も幕下以下とは段違いなのだ。全く違う相撲と言えた。ユニークな個有魔法、タブラ・ルサがあってもこの結果なのだ。


 ──自分にはまだまだ足りないものがある……。


 関取になった直後の場所でも、姫美依菜と三番稽古を取った直後の今でも、天ノ宮はそう思いを強く抱いていた。


 天ノ宮はその思いを胸にいだきながら、今度はスポーツパンツに足を通す。


 それ以降の場所は試行錯誤しながら稽古を重ね、体を更に強くしながら相撲を取った。それで勝ち星を重ね、番付を徐々に上げていった。タブラ・ルサに使う個有魔法も、相撲の技も、稽古を重ねながら得てきた。それを経て自分で強くなったという実感があった。勝ち星も大きく先行できるようになった。

 その矢先であった。


「あの事件」が起きた。


 その予兆は以前からあったが、何が原因かわからなかったし、そのときは実害もなかったので放っておくことにいた。

 しかし徐々に「なにか」はひどくなり、それに耐えきれなくなりそうなときもあった。しかし相撲というのは耐える武道であったし、女性特有のものに似た「なにか」であったから、薬と魔法で我慢することにした。


 しかしついにその限界が来た。その時が来たとき、自分は終わりかも、と天ノ宮は思った。自分の、人生が。


 しかしそうはならなかった。自分の父と祖父、そして神々がそれを予期して「贈り物」を用意していたのだ。その「贈り物」のおかげで自分はこの世に再び戻ってくることができた。あまりにも大きな力も得て。この「家」もその力の一部だ。


 ──その「力」のおかげで今場所はここまで勝ち続けることができた……。


 素っ気ない黒いスポーツブラジャーとパンツを身につけ、今度は紫の相撲文字で自分の四股名が一面に書かれた白い浴衣を広げ、袖を通しながら天ノ宮は思い返す。


 怪我の功名、と言うにはあまりにも痛すぎる「怪我」であったし、得た「功名」もあまりにも大きすぎるものであった。その「力」の範囲は端は見えないほど広く、その底がしれないほど深く、その高さが伺えないほど高いものであったからだ。

 今場所の姫美依菜との本割を含めての今までの七番は、すべて手探りでの相撲だった。他の「わたしたち」の助けがなければとても御するものではなかったし、勝てなかっただろう。これから予測される二代華との一番もそうだろうし、残り七番の相撲も手探りを重ねながらの相撲になるだろう。


 ──そのための美依菜ちゃんとの稽古、だったのだけれども。


 太い浴衣の紐を結びながら天ノ宮は頭を振る。


 やっぱり十両の強さを思い知らされることとなった。本割では勝てたけど、それは自分の相撲に持ち込めたのと「力」があってこそ、だった。三番稽古では立ち会いで遅れることが多かった。自分に足りないものを思い知らされた。それで自分を不甲斐なく思い、怒りを爆発させてしまったのだ。


 ──美依菜ちゃんには申し訳、ない……。

 

 これでは二代華には勝てないだろう。そのためにも午後からも稽古を重ねるのだ。今度は「力」ありでの相撲で。


 そこで天ノ宮は姫美依菜のことが気になった。振り返り、彼女が動いていった洗面台の方を見る。


 姫美依菜が洗面台の前で鬼のような顔をしていた。


 両目端が細く閉じられ、唇がきつく締められている。

 彼女が何を考えているか天ノ宮にはわからなかったが、何かを真剣に思案しているように思えた。

 その真剣さが、天ノ宮には怖かった。

 自分の中にある恐怖を表に出すまいと、笑みを作りながら彼女に問いかける。


「姫美依菜関、なんか怖い顔してるよー? どしたのー?」


 その問いにハッと弾かれた様子で、洗面台の前の椅子に座った姫美依菜がこちらの方を振り返って笑みを見せ、


「ううん、なんでもないわよ」


 そう言って頭を振り、目の前にある備え付けのドライヤーに手を伸ばした。

 その顔は再び真剣に何かを考えている表情に戻っていた。 


 ──美依菜ちゃん……。


 目の前にいる美女力士の現実を突きつけられ、天ノ宮は一人立ち尽くした。

 彼女とは仲良くなれた。仲良くなれたが、それでも相撲を取る相手、ライバル力士の一人なのだ。溝は深いと言えた。


 ──彼女も、わたくしに勝とうと考えているのよね……。


 うつむきながら洗面台の一つへと向かう。姫美依菜の席から一つ空いた洗面台の席に腰をかける。彼女の隣の席へ行く気にはなれなかった。

 鏡を覗き、自分の顔を見る。ひどく情けない顔に思えた。これが十両一両目で初日から七連勝しているような女力士なのだろうか。


 ──そうよ、天ノ宮、貴女はもっと自信を持っていいのよ。


 両手でそれぞれの頬を一つ張り、両目を大きく見開いて息を強く一つ吐く。それから自慢の長い銀髪を乾かそうとタブラ・ルサを発動させて、熱系と風系の個有魔法、もしくは「力」を呼び出だしかけて、隣の気配にはっとなる。


 ──いけないいけない。「力」を見せるのは、稽古のときね。まあ、本割のときでも見せちゃっているけど、「種明かし」はもう少し先でいいわ。


 天ノ宮は内心で舌を出すと、洗面台に置かれたドライヤーに手を伸ばすのであった。


                              <続く>

 




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