外伝・初顔合わせ(31)〜花々を渡り歩く蝶々のように〜
「よっこらせっ、と」
姫美依菜は天ノ宮をお姫様抱っこしながら天ノ宮部屋の十両以上浴場に埋め込まれた浴槽の中へと足を差し入れた。
抱えている銀髪の姫力士の顔が湯の中に入らないように体を動かし、彼女の体を持つ両腕を上げ、慎重に湯の中に入ると蹲踞した。
そして笑顔をまだ頭部への打撃で体が身動きできない様子の天ノ宮に向けて、
「大丈夫?」
と問いかける。
天ノ宮はまだ火照りの残る顔で、
「う、うん」
小さくうなずく。
姫美依菜は年上のお姉さんというよりかは、母親味あふれる笑顔で、
「じゃあ、体が動くようになるまでこうしてあげるね」
といい、天ノ宮をお姫様抱っこしたまま蹲踞の姿勢を取った。
蹲踞だけでも大変だろうに、こんなに重いわたくしをお姫様抱っこしても平気だなんて、やっぱり、美依菜ちゃんは相当鍛えているのね。
湯に半分浸かり、姫美依菜の顔を見上げ、見つめながら(というかそうするしかできないのだが)、天ノ宮は心の中で驚嘆した。
しばらくそのままで湯に浸かる。じんじんとしていた頭部の痛みも、和らいできた。
──こうやって抱かれていると、気持ちがいい。
という快楽で股間の大事な部分がうずいた。そしてそのうずきが、ぱあっと全身へと広がっていく。
それは痛みではなく、明らかにあの相撲を取っているときの感覚であった。
天ノ宮はその感覚に埋もれ、身を委ねてはうっとりする。
けれども、その土の中から起き上がるように意識を確かにすると、自分の中にあった疑問を思い起こす。
──姫美依菜関、こういうのに慣れているのかしら……?
そう思考を巡らせると意識を確かにするように首を数回横に振り、それから問いかけの言葉を発した。
「……ねえ、姫美依菜関、貴女は交わりの経験はあるの?」
「ええ」姫美依菜は即答した。「ちょっと長くなるけど、あたしの話を聞く?」
「……聞いて、みたいです」
天ノ宮は今度は首を小さく縦に振った。
すると姫美依菜は天ノ宮から視線を外し、どこか遠くを見る目をした。
そして、語りだした。いや、まずは問いかけだった。
「天ノ宮関、貴女、勉学院大学中等部卒よね?」
「え、ええ……」
勉学院大学というのは秋津洲皇国の帝都新京に存在する大学のことで、主に皇族や貴族などが通う大学だ。そして勉学院大学は幼稚園から大学まで一通りの学校を備えていた。天ノ宮はそこの中等部を卒業したあと、角界入りしたのだ。
「じゃあそこの相撲部は男女別々だったわね。それに、当時はあなたは正体を明かしていたのでしたから、周りに気を使われていたのかもしれませんね」
何が言いたいのよ、というように目を細めた天ノ宮の心の中を読むように、姫美依菜は言葉を続ける。
「……天ノ宮関は知らないでしょうけれども、男と女って、一緒にいれば恋心が生まれるものでね、それが高まると、付き合い始めるの。そして、体を重ねるの。つまりは、セックスするのよ」
「……」
平然とそう語った姫美依菜に、天ノ宮は何も言えなかった。
自分は何も知らないのだという気分に落ち込んでしまう。
そんな彼女をよそに、巻島家の姫力士は言葉を紡ぎ続ける。
「でも、それだけじゃない。男も女も、性欲を武器に他人に取り入り、成り上がろうとすることもある。相手もそれを知っていて、様々な権利や望みなどと引き換えに体を求めることも」
「……」
「あたしの通っていた秋津洲大学の中等部の相撲部に入部したときからそうだった。入るなり、男の主将が『俺の世話をしろ。そうすれば稽古をつけてやる』と言ってきた。あたしは言われるがまま世話をしていたら、彼は体を求めてきたわ。何も知らなかったあたしはなされるままだった。……それがあたしの初体験」
「……それって」
天ノ宮は姫美依菜の言葉を聞いて大きく目を見開いた。
どこか遠くで水滴が水面に落ちる音がした。
姫美依菜は相手の言葉に構わず、話を続ける。
「そうしたら、主将がよく稽古をつけてくれるようになった。そうしたら今度は女子の主将が同じようなことを言ってきた。体育会系の部活において、先輩後輩の上下関係は絶対。だから、彼女にもされるがままだった。そうしたら彼女も稽古をつけてくれて、みるみる強くなって、コーチの覚えも良くなって、一年の早い時期から大きな大会に出られた。それがあたしには嬉しくて……。だから、他の人にも積極的になったの」
「……」
天ノ宮にとって、彼女の話にただただ呆然とするだけだった。想像もできないことだった。
相撲部や部屋での上下関係は身にしみてわかっていたけど、先輩に取り入るためにそんなことをするなんて。
天ノ宮には姫美依菜の顔が、先程よりもずっと大人で艶かしく見えた。
姫美依菜はそんな思いを巡らせる天ノ宮のことを知ってか知らずか、言葉をさらに続ける。
「そして体を交えるごとにその快感を体が覚え、忘れられなくなって『飢え』まで覚えるようになってしまったわ。だから……。主将だけでなく、相撲部の女子男子や、学校のスクールメイトまで求めるようになったの。そうすることが処世術だと気がついたこともあるから」
「……」
「そして学年が上がり、学校が上がり、いろいろな変化があるため、あたしは求められ、求めた。あるときは主将に、またあるときはコーチに、別のあるときは先輩に、今度は後輩に、それから男子に、次に女子に、そして中性・無性者に……」
「……」
「蝶が蜜を求めて花々を飛んで渡り歩くように、男子や女子の間を渡り歩いたわ。そうすることで、人間関係を潤滑にしてきたし、稽古も充実できて、おかげで全秋津洲女子相撲選手権も制覇できた。そして貴女に出会えた。……それが、わたしの経験」
そう言って姫美依菜は天ノ宮を見つめ、小さく微笑んだ。
その微笑みに、天ノ宮の心の臓が、一つ、早鐘を打った。
その時だった。
「天ノ宮ちゃーん? 姫美依菜ぜきー? のぼせてないー?」
脱衣場の方から、女性の声がした。
(続く)
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