外伝・初顔合わせ(30)〜お風呂で……(4)〜

 次の瞬間、天ノ宮は温かいような、冷たいような肌の感触を得て、気がついた。

 ぼんやりと、

「ここは……?」

 と言葉を発する。

 開いた目からぼやけた景色が見え、焦点が合う。

 背中に肌の感触を感じた。

 未だに姫美依菜に抱かれているのだと認識した。

「気がつきましたか?」耳元で聞き慣れた年上の女性の声が聞こえてきた。「まだ風呂場よ。天ノ宮関あなた、転んじゃって気絶したのよ……」

「は、恥ずかしい……」

 その言葉を体現した声色でもじもじしながら応える。

 姫美依菜は、

「頭は大丈夫なようですね。よかった……」

 安堵と笑みのこもった声で応えた。

 自分が風呂場に寝ているのに気が付きヨロヨロと立ち上がる。浴場のタイルに立った途端。

「あっ」

 足に力が入らず、滑ってしまう。

「おっと」

 滑って転倒してしまう前に、背中から抱きとめられた。

「危ないですよ、天ノ宮関」

 心臓が一つドキンと鳴り、振り向くと姫美依菜の、自分に似た、しかし、目や髪は黒色の端整で美人な大人の顔がそこにはあった。

「力が入らないなんて……」

 天ノ宮は信じられないという顔をした。

 同時に、深い溜め息をつく。

 姫美依菜はそのため息を聞いて、苦笑した様子で、

「頭を打った影響がまだ残っているのね……」

「すいません……」

 ……ともかく、立たなきゃ。

 頭を幾度か横に降って立とうとする。しかし、足に、というか全身にさえ力が入らず、生まれたての四足動物のようにうまく立つことができない。

 その時だった。

「天ノ宮関、無理しないで」

 姫美依菜の少し困ったような声がした。

 背中で動く気配がした。

 膝の下に片腕が入った。

 そのまま視界が動く。

 背中から倒れていく。

 そのまま倒れるかと思ったが──。

 突然止まった。

 背中に別の感触を感じた。

 姫美依菜に抱きかかえられたのだ。

 そして、やや斜め上から彼女の顔が覗き込んだ。

 その顔は女神のような笑みであった。

「美依菜さん!?」

 思わず本名で呼んでしまう。

「大丈夫ですってば!」

 そう抗議してみても、

「大丈夫じゃないでしょっ。まだ足震えているんだから」

 そう言われて自分の下の方を見た。

 そしてようやく彼女は気がついた。

 自分の両の足がびくびくと震えていることに。

 足だけではない。

 腰も。腕も。体も。

「からだが……、ふるえてる……」

 天ノ宮は自分の体を自分のものではないような表情で見ていた。驚き、いや、驚愕、という言葉が正しいような表情で。

「でしょ?」姫美依菜が苦笑気味に彼女を覗き込むと一つため息を付いた。「頭を打ったせいで体にも影響が出ているのね……。だから、あたしが風呂まで運んであげる。風呂でも抱いてあげるから、安心しなさい、天ノ宮関」

 そう言って一つ片目を瞑り開くと、そのまま立ち上がる。両の腕で天ノ宮の体を抱いているにも関わらず、それを感じさせない力強さと安定感でその場に立つ。

 そして、揺るぎない歩みで、風呂場の埋め込まれた浴槽へと向かう。

(美依菜さん、こんなに力が強いんだ……)

 天ノ宮は赤ん坊のように姫美依菜に運ばれながら、内心で驚きを隠せなかった。考えてみれば女子大相撲選手だから当然のことかもしれないが、この体格で、自分の同じくらいの大きさの女性を軽々とお姫様抱っこして運ぶというのは、普通の人からしてみれば驚きかもしれない。

「は、はい……」

 天ノ宮はそう言われ、小さく頷くしかなかった。

 そんな様子の彼女を見る姫美依菜の顔は、とてもうれしそうだった。


                                (続く)





 

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