外伝・初顔合わせ(28)〜お風呂で……(3)〜

「さて天ノ宮関。体、洗いましょうか?」


 天ノ宮部屋の十両以上用浴場にて。

 新十両姫美依菜の朗らかな声を聞いた瞬間。

 部屋所属十両天ノ宮の背中に、なぜか冷たい悪寒がぞっ、と一筋走った。

 彼女の背中が一瞬ビクッと動いたのを見て姫美依菜は、

「ん? どうしたのかな、天ノ宮関?」

 と相変わらずの微笑みをしながら顔を傾ける。

 天ノ宮は小さく首を横に振り、

「ううん、なんでもないよ。洗ってもいいよ」

 と苦笑しながら応えた。

 その様子を見て、ふーん、というような顔つきを見せたあと、姫美依菜は、じゃ、洗うねっ、と言い、それから鏡の前に置いてあるボディソープと自分のタオルを手に取る。

 ボディソープのポンプをぎゅうっと押し、中身を出してからタオルに染み込ませて混ぜ、泡立たせる。それから姫美依菜は無言で天ノ宮の背中に周り、泡だらけのタオルを背中につける。

 タオルが背中に付けられた瞬間、天ノ宮は何故かわからないが、言いようのない恐怖を感じた。しかし次に背中から下に引き下ろされたタオルの感触は優しく、痛いとかそういう感覚はない。

 ──気のせいかな……。

 天ノ宮は内心冷や汗をかきながらもされるままにする。

 少し強めにこすられながらも、あっという間に背中を洗い終え、姫美依菜は天ノ宮の右前側へと回る。

「じゃ、右腕と右足洗うからね。楽にしてねっ」

 姫美依菜はそう言いながら天ノ宮の右腕を有無を言わせないうちに手に取り、すぐさま洗い出す。

 それから足へと。

 天ノ宮の右腕と右足が、あっという間に白い泡に包まれていく。

 その様を見ながら、天ノ宮は未だに謎の恐怖感に包まれていた。

 ──このままで、終われば、良いけど……。

 そんな不安な表情をわずかに見せる天ノ宮をよそに、先程の天ノ宮が姫美依菜を洗ったときとは段違いの速度で右腕と右足を洗った姫美依菜は、手早く左腕と左足に移り、タオルで腕と足を泡に包んでゆく。

 ──なんでこんなに緊張するんだろう……。

 胸の高鳴りを感じるがまま、天ノ宮は姫美依菜になされるがまま左の腕と足を洗われていった。

 そして。

 残るは体だけとなった。

「じゃあ、体洗うから。……何そんなに肩張ってるのよ。もうっ、楽にして」

 左正面から姫美依菜に声をかけられる。その顔は苦笑気味であった。

「は、はい……」

 攻守逆転というように、今度は天ノ宮が頬を赤く染めて小さく首を縦に振った。

 そして、天ノ宮は目をつぶった。

 体のあちこちに手やタオルが触れる感触。

 それを味わいながら、いつの間にか天ノ宮はウトウトし始めていた。

 もう少しで眠りに落ちそうなその時であった。

「……ぜき、あまのみやぜき?」

 耳元で声がした。

 その突然の呼びかけに、はっと弾かれるように、天ノ宮は後ろを振り向いた。

 とっさに返すと、姫美依菜が困ったような顔で、

「体洗いましたよ。じゃ、立ちましょうか。シャワーかけますっ」

 と告げたので、天ノ宮が自分の体を見ると、いつの間にか、胸も腹も泡だらけになっていた。

 ──いつの間に……。洗われている感じがしなかった……。気持ちよかったからかな……?

 首をひねりながらも立ち上がり、シャワーの前に立つ。

 それを見て姫美依菜も立ち上がり、シャワーフックに腕を伸ばし、シャワーヘッドを手に取る。それから残る手で栓を押し、熱湯を出す。

 湯の温度を確かめ、それから天ノ宮の体へ湯気の立つ熱湯をかけた。

 その瞬間何故か天ノ宮の体から脳へ向かって電流が走った。

「ひゃんっ!」

 その電流に驚いて天ノ宮は小さく声を上げ、少しだけ飛び上がる。

 姫美依菜はその様子に少し驚いた顔を見せ、問いかける。

「どうしたの天ノ宮関? 染みた?」

「ううん、だいじょうぶ。続けて……」

 目尻に丸いものが浮かびながらも天ノ宮はこらえ、そう応えた。

 そう。それだけ返すと姫美依菜は何も知らないというような顔で、天ノ宮に熱湯をかけ続けた。

 二人の周りに湯気が上がり、彼女らの体を覆い隠す。

 その湯けむりに包まれながら、天ノ宮はじっとされるがまま、湯を浴び続けた。

 姫美依菜は無言のまま天ノ宮に湯をかけ続けた。

 天ノ宮も黙ってシャワーを浴び続けていた。

 シャワーの小さな滝のような音。

 上がり続ける湯気が僅かにたてる音。

 わずかに聞こえる、二人の呼気。

 それ以外は無音の世界。

 ピンと張り詰めた緊張の糸が、浴場中に張り巡らされていた。

 そして、不意にシャワーの音が途切れた。

 天ノ宮にかけられていた熱湯も止まった。

 二人を包んでいた湯気も消え、二人の裸身が、顕になる。

 姫美依菜はシャワーの栓を止め、シャワーヘッドをフックに掛けると、洗われてその場に立っている天ノ宮の前に同じように立った。

 そして、彼女の姿を上から下までなめるように眺めた。

 ──天ノ宮関、やっぱりいい体つきしてる。軽量級から中量級の美少女系力士なら、かなり体格の良いほうね。

 そう思うと、内心で小さくほほえんだ。

 そして、満面の笑みで、

「じゃあ、お風呂にまた入りましょっか?」

「えっ、ええ」

 お互いそう言い交わすと、浴槽に向かって歩き出そうとしたときである。

 それまで、何かある、何かあると緊張していて、何事もなく体を洗い終わったので、安心して、油断したせいなのかもしれない。

 天ノ宮がほっと溜息をつきながら歩き出したとき。

 つるっと、彼女の足が滑った。

「あっ!?」

 天ノ宮はふんばろうとしたが、摩擦係数の低さで、彼女の足は滑り、歩き出した勢いのまま体も滑り──。

 転倒した。

 そして、受け身も取れず、頭を打った。


 ゴツン!!

 

 耳元で盛大に痛打音が鳴り響くと、天ノ宮の視界は真っ暗になった。

 遠いどこかで、

「天ノ宮さん!?」

 と姫美依菜が呼ぶ声がしたような気がするが、それを確かめる暇もなく、天ノ宮の意識は深い闇の中へと落ちていった……。



                                  (続く)



 

 

 


 

 



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