外伝・初顔合わせ(27)〜お風呂で……(2)〜

 頬にかかった水しぶきで、ん、と姫美依菜は気がついた。

 背中になにかの感触がある。

 ゆっくり目を開けると、背中から二つの手が伸びていて、そのうちの片方がシャワーヘッドを手にしていて、自分の体に湯を優しくかけているところだった。

 ──あたし、天ノ宮さんに洗われて……。

 そう思いながら両腕の中で体を一つ動かすと、

「……姫美依菜関、どしたの?」

 耳元で聞き慣れた声がした。

 振り向くと、直ぐ側に天ノ宮のいたずらっ子ぽい笑みがそこにあった。

 金の双眼のまぶたが一瞬細くなり、それからまた広がった。

「ええ、ちょっとぼおっとしちゃいました……」

 それから自分の背中の感触がなにか気づく。

 天ノ宮のたわわに実った胸であった。それを彼女は故意なのか、はたまた偶然なのか、巻島の魔道士姫の背中に押し付けているのであった。

 稽古でも実戦でも実生活でも、女の胸に触れることは慣れていたから、姫美依菜は特に驚くこともなく、身を天ノ宮の胸から静かに離した。

 天ノ宮はシャワーを持つ腕をくまなく動かし、全身にまだついているボディソーブの泡を落とし、

「さっ、洗ってあげたわよ。次は美依菜関、お願いねっ」

 それから一度シャワーヘッドを丸い石油樹脂製の風呂桶に落とし、空いた手を栓に伸ばすと、それを動かして湯を止めた。

「は、はいっ」

 彼女の言葉に弾かれるように姫美依菜は立ち上がって天ノ宮の体から離れた。そして、天ノ宮の後ろへと回る。

 そいて、姫君に対する侍女のように、風呂椅子を少し前に出した。

 姫美依菜はそれに応えうなずくと、天ノ宮に呼びかけた。

「天ノ宮関ー。じゃあ、髪ほどきますよー」

「いいわよー」

 天ノ宮は屈託のない声でそう返した。

 姫美依菜は天ノ宮の後頭部でまとめた銀髪に結び目に手をかけた。風呂に入る前にまとめたものだけあって、まとめ方は簡易なものであり、姫美依菜にもわかりやすいものであった。さっと結び目をほどく。

 ほどかれた銀の毛がぱあっと広がり、下へと落ちてゆく。そのさまは芸術作品のようであり、一流の工芸品のようでもあった。

 思わずその様子を見とれていた姫美依菜だったが、いけないいけない、と我に返るとすぐさま体を動かし、備え付けのシャンプーを手に取りポンプを押して中身を出す。

 手のひらに十分に乗っているドロリとした透明で青い液体を目の前にいる力士姫の背中中程まである銀髪に塗りつけ、染み込ませる。

 それから頭に指をたて、ゆっくりと爪を立てて、洗い出した。

 姫美依菜は幕下付け出しで角界入りし、一場所で十両昇進したので、部屋ではさほど先輩女力士の世話をしたことはない、しかし、学生時代、先輩などの世話を朝から晩までしていたので、他の女子の髪を洗うことなど、慣れたものであった。

「痒くないですか? 天ノ宮関?」

 頭部を洗いながら姫美依菜が呼びかけると、

「うん、かゆくないよっ」

 天ノ宮が言って小さくうなずいた。

 じゃ、続けるね。そう言って姫美依菜は洗髪を続けた。自分の女性にしては太い方の指を髪の間に通しながら、きれいな髪ね、と内心でため息をつく。

 きらきらと輝いて、まるで風みたい。そう思える。この髪が、虹のように様々な色に変化するのだから、本当に魔法ね。

 この輝く髪を見ていると、自分の平凡な黒髪が嫌になってくる。妬けてくる。

 小さく目を細めながら、彼女は梳くように指を銀髪の間に通し、優しく洗うのであった……。


                   *


 そうこうしているうちに、姫美依菜は天ノ宮の髪をシャンプーで洗い、湯で流し、それからリンスやトリートメント、コンディショナーを施し、湯で丁寧に流し終えたのであった。

 その間、二人は他愛のない話をした。ほぼ相撲の話である。今の幕内の話、横綱、三役陣の話。注目の女力士の話。まさに床屋漫談と言った話である。

 相撲は二人の共通の話題であり、ずっと話していても飽きないものであった。その話を(表面上は)仲良く話し合っている二人は、仲の良い友だちにも見えた。

 しかし、その楽しい時間は短く、姫美依菜はシャワーでその時間を惜しむように、姫君の銀髪を洗い流し、覚悟を決めるように湯を止めると、喜楽のこもった声色で天ノ宮に呼びかけた。


「さて天ノ宮関。体、洗いましょうか?」



                                  (続く)

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