外伝・初顔合わせ(22)〜カノジョの事情・天ノ宮編〜
「では、貴女の話を聞いた以上、わたくしも自分がどうして相撲を始めたのか、話さなければいけませんね。礼儀として」
天ノ宮部屋の十両以上浴場の浴槽の中、なみなみと入った湯に肩まで浸かりながら、天ノ宮は隣りにいる姫美依菜にそう言うと、前を向き、母親が物語を語るように語り始めた。
「……わたくしが四歳のときに、皇室の方々で天覧女子大相撲を見に行ったんです。そこで、相撲が面白いと思いまして。特に、当時横綱だった月読華に感銘を受けまして。いつかあんな横綱になりたい。幼い私はそう思ったんです」
「月読華って……月読部屋の親方ですよね?」
「そうです。わたくしの師匠です」天ノ宮は姫美依菜の問いに首を縦に振った。それから物語の続きを紡ぐ。「で、わたくしは親たち《皇太子一家》やおじいさま《皇王陛下》に相撲を始めたいと懇願したんです。でも最初は皆猛反対で」
そう言って天ノ宮は姫美依菜の方を向くと苦笑した。「わたくしがしつこくやる! やる! と暴れたら、そのうち家族の中にも賛成者が出てきて、ついには兄たちのうちの一人も相撲を始めると言い出したんです。それで最後まで反対していた母上も折れて、相撲を始めることを許してくれたんです。母上は、そのうち飽きるだろうと思っていたようですが」
「……その一緒に始めてくれた兄上って、今……」
「十両力士の天ヶ峰です。最近は十両で大分苦戦しているようですが」
再びの問いに天ノ宮はもう一度苦笑した。その苦笑気味には、お兄ちゃん、だらしないなあ、というような意味が含まれているように姫美依菜には思えた。
そんな姫美依菜の目つきを無視するかのように天ノ宮は物語を続ける。
「で、宮中に部屋一式を作って、稽古して、いろいろな相撲大会に出たんです。知っているでしょう? わたくしの大会荒らしっぷりは?」
天ノ宮は意地の悪い顔を見せた。そんな彼女に姫美依菜はしょうがないわね、というような顔をしながら、
「ええ、大きなものだけでも秋津洲小中学生女子相撲選手権体重別で6年連続制覇。その他に秋津洲各地の大中小様々な大会で優勝を挙げるなど、本当に優秀な成績をあげられたじゃないですか。忖度だ八百長だという人も多かったようですが?」
「……まああれ、おじいさまが実行委員会などに『孫娘にはきびしくやってくれ』と逆に色々口出しとかしたんですけどねっ。その御蔭でトーナメント戦の組み合わせとかがほんっとうに厳しかったんですけどっ」
天ノ宮の口調が荒立ち、浴槽内の湯が大きく揺れたのを見て、姫美依菜はあ、彼女本当に恨めしそうだわ、と思った。姫美依菜はそれがどこか可愛く見え、小さく微笑した。
ちなみに「きびしくやってくれ」の内容を具体的に言うと、組み合わせで決勝まで彼女より体重が重い相手になるように組み合わせが決めさせられたり、勝敗の判定が何故か取り直しになったりすることであった。
……もっともそのおかげで、彼女はどんな重い相手でも寄って押せる体を持ち、土俵際に追い込まれても諦めず、うっちゃって勝つような相撲を取れるようになったのだが。
天ノ宮は怒気を上げるとしばらくだまり、何かを整える顔をした。それから、
「まあ、そのおかげで月読親方に『うちの部屋に来ないか』と誘われたんですけどねっ。で、中学卒業して部屋に入って、女子大相撲力士として相撲を取ることになったんです。自分の身分は隠して」
と語り終え、
「これがわたくしの力士になるまでの話。……でも、力士になったのはそれだけじゃない」
そう言って顔の表情をさらに整えた。彼女の顔に真剣さが戻った。
その言葉に姫美依菜は不思議そうな顔を見せる。
「相撲をやりながら、いろいろな人と触れ合ううちに、わたくしは、
「親元にいるのが嫌だったと……」
姫美依菜の感想とも問いとも言える言葉に、天ノ宮は再び首を縦に振った。
同時に、水面がもう一度大きく揺れた。
「ええ。言ったら、親たちは猛反対しました。特に母上は。でも、おじいさまが一番に賛成してくださって、家族のみんなを説得してくださって、結局は角界入りを許してくださったんです。……おじいさまには、感謝しかありません」
そう言うと、天ノ宮は揺れが収まりつつある水面を見て、そのまま押し黙った。
姫美依菜は彼女の顔を見ながら、それってただのわがままじゃないの? 理由はちゃんとしてるけど……。でも、私も似たようなものね。そう内心で苦笑した。
しかし、すぐに水中で拳を握る。
姫美依菜は天ノ宮の顔つきと言葉に疑問をいだいていたからだ。
それだけだろうか。それだけの感謝なのだろうか。
事実、この天ノ宮部屋が併設されている宮殿艦や随伴艦は天ノ宮の祖父──皇王陛下が建造し、十両に上がり、正体がばれた天ノ宮に贈ったものだ。
それに対する感謝はないのだろうか。
実は天ノ宮は皇王陛下に対して感謝していないのではないか。未だに厳しくされたりした恨みを抱いているのではないか。宮殿艦などを贈られたのも余計なお世話だと思っていないだろうか。姫美依菜は一瞬そう思った。
しかし、彼女の顔と口調を見たり聞いたりしていて、それに対する引っ掛かりがどこかにあった。恨みつらみはあるが、反面どこか助けられたと思っているような。そんな口調と顔つきだった。
ではその助けられた時、というのはいつなのか。今の発言の口調では、感謝は角界入りのときに援護射撃をしてくれたことに対してのものに思えた。
それならば、宮殿艦を贈られたことによる「感謝」はあるのだろうか。それにより助けられたことは何で、いつのことだろうか。それは今の天ノ宮の言葉からは見えてこなかった。
それらの疑問について姫美依菜が問おうとしたその時、天ノ宮が口を開いた。先程とは打って変わり、満開の桜のような明るい笑顔で。
「……ねえ姫美依菜関、頭や体を洗いっこしませんか?」
「え゛?」
長くきれいな黒髪を後頭部でまとめた姫美依菜は、同じようにきれいで長い髪を後頭部でまとめた銀髪の姫力士の突然の提案に、両目を大きく見開き口をあんぐりと開けると同時に、全身が固まってしまった。
(続く)
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