外伝・初顔合わせ(17)〜寝たふりしてるなら起こす方法は一つ〜

 どこかから聞こえてくる声に誘われて、姫美依菜はふと目を覚ました。

 目をそろりそろりと開ける。まぶしい白光が目を刺す。

 その白光に目が慣れてくると、次第に固い木製の天井が見えてきた。

 と同時に、固い畳の感覚が背中越しに伝わってくる。

──ここは。

 と思いかけて記憶を蘇らせる。

──ここは天ノ宮部屋。天ノ宮こと依子姫の宮殿艦の中だ。私はここで天ノ宮関と三番稽古を取っていて──。

 思いながら起き上がる。

──天ノ宮関と殴り合いのような顔面の張り合いになって、お互いの強い一撃で気絶したんだっけ……。

 それから顔を触る。張り手の応酬の中で腫れ上がったはずの顔は元通りになっていた。血の味もない。

 おそらくは。

──部屋の誰かが治療系統の共通魔法で治してくれたんだ……。

 あたりを見渡す。

 大勢の相撲浴衣姿の女力士たちがこちらを見ていた。そのうちの一人がこちらにあわてて駆け寄ると、訊ねてきた。

「姫美依菜関、お気づきになられましたか? お怪我は──」

「大丈夫。それより天ノ宮関は……」

「あちらです」

 姫美依菜の問い返しに、幕下以下とおぼしき女力士は手で揚座敷のある一角を指した。

 そこには女力士たちが集まっていて、その奥にある一点を見つめている様子だった。

 回しに組衣姿の姫美依菜は立ち上がると小さく息を吐き、その女力士が集まっている方へ向かった。

「天ノ宮関は……」

「まだ目覚めてません」

 人の輪のもとにたどり着くなり、そこにいる一人に尋ねるとそういう応えが返ってきた。

 ちょっといい、と言いながらその輪の中へと入る。番付という階級差と彼女に起きたことへの申し訳なさもあるのだろうか、女力士たちはあっけなく隙間を開けてくれた。

 その空間に立ち、円の中心にいる女性を見る。

 天ノ宮関は、先程の激闘を微塵も感じさせない美貌で目を閉じ動かずにいた。おそらくは自分と同じく、部屋所属の女力士の誰かが治療系統魔法で治療させたのだろうと容易に想像できた。

 彼女のそばに、凜花、と天ノ宮が呼んでいた部屋所属の女力士が片膝をついて控えている。少し心配そうな表情にも伺えるが、それほど深刻そうではなかった。

「凜花さん」姫美依菜は宮殿の侍女筆頭に声をかけた。

「天ノ宮関の様子は」

「生命に別状はありません。ただ、どういうわけだがまだ目を覚ましていなくて……」

「そう」

 姫美依菜は応えると自分も天ノ宮のそばにひざまずいた。

 それから少し彼女の顔を見た。

 彼女はまるで伝説の眠り姫のようで。

 その柔らかい桃色の唇に触れてみたくなる。

 それも自分の手や指でなくて、自らの唇で。

 そういう衝動に襲われたけれども、それをぐっと抑えて、彼女の片手を取った。

 脈はあった。

 生きている、という確信に触れ、姫美依菜はほっとため息を吐いた。

 それから手を離し、二つの腕で彼女の体を抱き起こす。

 凜花がちょっとびっくりしたような顔を見せた。

 彼女の驚きに構わず、姫美依菜は天ノ宮の体を起こし、自分の顔を彼女の顔にゆっくりと近づけた。

 そして至近から、眠る姫君の顔をまじまじと見た。

 長くサラサラとした銀髪が、姫美依菜の腕にかかる。

 その触れた髪の心地よい感触に、姫美依菜の心は一段高まる。

 白い肌に、目尻の切れた細いアーモンド型の双孔、すっきりと高い鼻、口元が引き締まった淡い桃色の口、それらがゆるやかな輪郭を描いた小顔の適切な場所に収まっている。

 その眠り姫の表情を眺めると、姫美依菜の心はさらに一段高まる。

 その気持を少し抑えて、姫美依菜は優しい声で呼びかけた。

「……天ノ宮関」

「……」

 呼びかけて見たけれども、彼女は目覚める素振りを少しも見せない。

 どうしたのかしら、と思うと同時に、姫美依菜の天ノ宮に対するいけない気持ちが抑えられなくなってくる。

 心臓が早鐘を打つ。

 息が自然と荒くなる。

 そのことをそばにいる凜花や他の力士にさとられまいと、姫美依菜は呼びかけた。

「……天ノ宮関、天ノ宮関」

 そう呼びかけても、少しも動きは見られない。ただ、一定のリズムで胸や腹が上下し、口や鼻から息を吸ったり吐いたりするだけである。

 のであるが……。

 姫美依菜はその寝姿を見て、顔をしかめた。

──呼吸のリズムがわざとらしい。

 一定は一定なのだが、その呼吸のリズムが、本当に寝ている場合と、今の状態とではどこか違うような気がするのだ。

──これは。もしかして……。

 ……よしっ。

 姫美依菜は願望と実益を兼ねた行動を起こすことにした。

 うん、っと意を決した表情を見せると、姫美依菜は自分の瞳を閉じ唇を尖らせ、自分の顔をゆっくりと天ノ宮と近づけ、重ねようとした。

 その様子を見た凜花が、

「ちょ、ちょっと姫美依菜関!?」

 と叫び、制止しようとする。

 と同時に、周りで傍観していた女力士たちからも、

「えええええええええ!?」

 や、

「きゃーーーーーーーーーっ!!」

 といった、悲鳴や黄色い声が上がった。

 制止の声に構わず、姫美依菜はゆっくりと顔を近づける。

 彼女の唇が天ノ宮のそれに触れようか触れまいかした、その時。

「わっ!?」

 突然天ノ宮の双孔が大きく見開かれ、口から驚愕の声が漏れ出た。

 それから両腕で姫美依菜の体を押しのけながら慌てて起き上がる。

 起き上がってから何度か荒く息を吐き、それから金色の目で姫美依菜の方を見るなり、

「なっ、何よいきなり!?」

 と心の底から驚愕した表情で声を張り上げた。

 姫美依菜はうっとりとした表情で、

「だって、天ノ宮関がなかなか目覚めなかったものですから、つい……」

 と応えた。

 天ノ宮はその応えを聞いて、

──わたくしが寝ていたふりをしてたの知ってたでしょ!

 と叫びたくなり、姫美依菜をジト目で見たが、そのうっとりとした表情の中に、心の底から自分を心配してくれた表情も見え隠れしたのを見て、目を下に向けそむけた。

 姫美依菜も姫美依菜で、

──もう少しで天ノ宮さんにキスできたのに……。目覚めちゃうなんて、天ノ宮さんてば。

 とホッとしたのか残念なのかよくわからない思いを内心で吐き、同時にため息を一つつくと、下を向いた。


 その時だった。


「コラーーーーーーーーーっ!! 天ノ宮ーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 

 女性の怒声が、稽古場中に響き渡った。

                                (続く)


 

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