外伝・初顔合わせ(16)〜殴り合い、土俵〜

 土俵の仕切り線の前に戻りながら、姫美依菜は悟ってしまった。

──天ノ宮関、やはり突きが苦手だ。

 魔導や個有魔法、異能などによる強化や補佐なしの素の「相撲」では、これほど人の得意不得意が出てしまうものなのかと。

 眼の前に立つ姫力士の顔は、苦虫を噛み潰したような顔だった。

 先に勝ったときのような、満面の笑みは見られない。

 ここは負けておくべきか……。

 姫美依菜の顔にも迷いの色が現れていた。

 しかし、ここで手を抜くのも相手に失礼だ。二代華対策の練習相手として選ばれた以上、ここは毅然とした態度で稽古に臨み、天ノ宮に事実を示しておいたほうが良いのではないか。

 けれども。

 天ノ宮は、気づいている。自分が突きを苦手としていることに。先の一番で、それを自分自身に突きつけられたのだ。そのことを知った顔をしている。今の天ノ宮の顔は。

 ならば、どうすれば。

 姫美依菜は迷いを続けながらも一つ大きく息を吐くと腰を下ろす。

 同じく腰を下ろした天ノ宮の顔を見る。

 眉毛の端が大きく上がっていた。眉間にシワが寄っている。額に血管が浮かんでいる。

──これは。

 姫美依菜の背中に冷たいものが一筋走った。

 稽古をやめようかと思った。

 しかし、やめるわけにもいかない。

 震えながら手を土俵につける。

 天ノ宮が乱暴に片手を土俵につける。

 姫美依菜はそれに促されるがまま、残る手もすぐさまつける。

 天ノ宮が、ちょんと、残る手をつけた。

 立ち合った。

 二人はほぼ同時に立ち合った。

 そして、姫美依菜が何かをしようとした瞬間。

 

 バシッ!

 頬に、激痛が走った。


──!!!!

 一瞬の後、天ノ宮の手が直ぐ側を飛んでいった。

 そしてその手の奥で、天ノ宮の怒りの目があった。

 それだけで姫美依菜が理解するには十分だった。

──天ノ宮さんが、顔に張った。

──……!

 姫美依菜の頭へ瞬時に血が上った。

 瞬間的に片腕を出し、天ノ宮の頬を張る。お返しに。

 叩いた頬が赤く染まる。


 バシッ!


 即座に天ノ宮も反対の手で反対の頬を叩く。


 バシッ!


 もう一度痛みが頬を貫く。

 それでも姫美依菜は顔への張り手をやめず、応戦する。

 怒りというか、意地だ。やってくるならやりかえす。そういう力士としての矜持が、彼女を、そして天ノ宮を突き動かす。


 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!


 天ノ宮と姫美依菜が顔に張り合うたび、お互いの頬が、顔が歪み、肌が赤く染まる。張り手がもたらす痛みとは別の痛みが口の中や鼻のあたりから感じ、液体がそれぞれの中を満たし、呼吸が苦しくなるが、構わない。

 ともかく張り手をやめ、足を下げてしまったら負けなのだ。これは力士としての意地の張り合い。天ノ宮は自分の不甲斐なさに怒りを感じ、その怒りを自分にぶつけた。その不条理を叱りつけるため、自分もやり返さなければいけないのだ。

 どこからか大きな声が聞こえてくるが、それを無視して相手に張り手を続ける。


 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!


 なんだか頬が大きくなってきたような気もするが、それでも姫美依菜は足を止め、天ノ宮と張り手合戦を続ける。

 時折、口や鼻から血や唾液や鼻水などが混じったものを、強く息を吐いたりして強制的に吹き出し、それでなんとか呼吸を維持する。それでも痛みと呼吸困難で気が遠くなりそうになるが、女力士の矜持で意識を保ち、なおも姫美依菜、そして天ノ宮は相手の顔への張り手を続けた。


バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!

バシッ!


 意識が遠のき、腕を止めたくなるがもうここまで来たら意地を超えた何かで、自分を保ち続ける。

 眼の前の相手も、視線が定まらなくなってきているように思えて、おそらく自分と同様なのだろうと、姫美依菜は頭が回らなくなりながらも考える。

 ならば、決着はもうすぐだ。

 こうなったら。


 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!

 バシッ!


 幾度かやりあったあとで、姫美依菜は引いた腕の力をため、一気に力を入れて相手の頬を張った。


 バシイッ!!


 手に強い衝撃があった。

 手応えを感じた。

 相手の体が僅かに傾くのが見えた気がした。


 その瞬間。


 ゴオンッ!!

 

 頭が揺さぶられるような衝撃が来て、眼の前が真っ暗になった。

 衝撃を受けながら、姫美依菜はなぜかホッとした気分になった。

──姫様も、同じこと考えてたんだ。

 こ、れ、で……。


 そう思いながら、姫美依菜の意識は闇の中へ溶けていった。


                       (続く)           




 

 

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