外伝・初顔合わせ(15)〜相手が傷ついても謝るな〜
土俵に引かれた白い仕切り線の前へと戻ると、姫美依菜は少し呼吸を整える。
そして、思索を巡らせる。
──天ノ宮関には明らかに欠点がある。
短い時間の相撲は苦手だし、突きも得意ではない方だと、幾番か取ってみて彼女はそう感じていた。突きの回転が良い相撲もあったが、それは彼女にとってはできが良い方だったのだろう。
間合いもそう長くはないほうだ。それを高身長が持つ長い手足でカバーし、積極的に飛び込むことで補っているが、魔法無しでの間合いは思ったより大きくはない。
──となれば。
真一文字に口を作りながら腰を下ろし、蹲踞の姿勢を取る。
天ノ宮も誘われるように蹲踞する。
──突きあるのみ。
しかし、注意すべきことが一つあった。先程の一番で天ノ宮が見せた立ち合いからの肘打ちからのまわし取りだ。あれを見せられたことで、姫美依菜には選択肢が一つ増え、どれを選ぶかを強いられることになる。
──でも。
姫美依菜は片手を土俵に下ろしながら思う。
──先に立つことができれば!
天ノ宮が両手を下ろした。
それを見て、姫美依菜は焦らすように地面へと静かに下ろし……。
「はっ!」
そう掛け声を発すると、勢いよく立ち合う!
立つと同時に、右腕を前へと突き出す。
何かが腕の下に当たる。
天ノ宮の右腕がLの字に突き出されていた。
それを押さえるように姫美依菜の突きが天ノ宮の体を突いていた。
「!」
天ノ宮の顔になにかの表情が浮かんだ。
それに構わず、姫美依菜は次の突きを左腕で行う。
その突きは、天ノ宮の右腕を跳ね上げる。
天ノ宮もほぼ同時に左腕で突いてくるが、遅い。
その間に、姫美依菜は引いた右腕でもう一度天ノ宮の体を突く。
天ノ宮の体が下る。
肘打ちを弾き飛ばされた天ノ宮だったが、右腕を大きく縦に一周させると、そのまま突いてくる。
そのあたりはさすが十五から職業女相撲を取っているだけはあった。
天ノ宮は姫美依菜の突きに一度は下がったものの、自分の距離に入ろうとして猛然と飛び込んでくる。
──いいわ、勝負してあげる!
姫美依菜はそう応えると、自分も回転のいい突きで応戦する。
バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ!
バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ! バシッ!
小気味の良い肉を打つ二つの音が重なり交差する。
姫美依菜と天ノ宮の胸、腹、首、そして時折顔に、相手の突っ張りが入り、その部位が大きく歪み、赤くなる。
お互い足を止め、殴り合いに近い状態だ。
見た目は互角に見えた二人の戦いであったが、
「姫様、分が悪いっすね……」
揚座敷で観戦している部屋所属の女力士の一人が、つぶやいた。
天ノ宮は近づいて組むための突きを使っているのに対して、姫美依菜はある程度距離を取っての突きを使っている。足運びもそうだ。天ノ宮は前に出ようとする相撲に対し、姫美依菜は自分の足を使い、前後左右に足を運んでいるのだ。
それが何を意味するかと言うと。
バシッ! スカッ! バシッ!
時折、天ノ宮の突きが空振りするか、突きが当たっても突きが弱くなってしまうのだ。これは姫美依菜がうまく腕を使い、天ノ宮の突きを時折いなしているためでもある。
腕から伝わる感触を感じ取ったのか、天ノ宮の表情が少しずつ曇っていく。
──早く捕まえないと。
そういう心の声さえ感じた、その時だった。
天ノ宮が、動いた。
「はっ!」
姿勢を低く構える。足の歩幅を大きく開ける。そして、勢いをつけ、姫美依菜の懐へと飛び込んできた。
──!
姫美依菜はそれを待っていた。
両腕を上げる。飛び込んできた天ノ宮の背中を強く叩く。それから右へと体を動かし、突進してくる天ノ宮の体を避ける。
「!!」
天ノ宮はしまった、という顔で、つんのめった体を足で踏ん張って止めようとした。しかし姿勢は崩れ、たたらを踏むように一歩前進した後、
バシィッ!
回り込んだ姫美依菜に背中から押され、そのまま土俵外へ突き出される。
ドスンっ!
土俵外へ突き飛ばされた天ノ宮は顔面から場外の地面に叩きつけられた。
彼女はピクリとも動かない。
「あ」
その様に熱くなっていた頭が一気に醒めると、姫美依菜は天ノ宮に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
そう言って体を揺さぶると、
「……!」
何かを叫びながら天ノ宮はその手を振り払い、猛烈な勢いで起き上がった。
その唇と眉間は悔しさで歪み、二つの目のはしには水の玉が分泌されていた。
ごめんなさい、と言いかけて、姫美依菜は言うのをやめる。
自分の部屋の稽古や出稽古で、相手が傷ついても謝るな、と親方や先輩力士からよく言われていた。みんな傷つく覚悟で相撲を取っているし、自分も傷つくのだから、と。
その言葉に出かけた言葉を飲み込み、静かに立ち上がって距離を取る。
天ノ宮はすぐに立ち、涙を拭き体に付いた土を払うとすぐに自分の仕切り線の前へと戻っていった。
彼女の様を見て、島村親方は静かにうなずいた。
姫美依菜も一つ息を吐くと、自分の仕切り線の前へと戻る。
その間に、彼女は思案する。
──やっぱり、天ノ宮関は突きが苦手だ。
彼女の相撲はやはり組む相撲だ。突きは組むための一つの流れに過ぎない。
相撲のジンクスとして、横綱は組む相撲、四つ相撲の力士が多いとされる。そこから四つ相撲を「横綱相撲」と呼ぶことも多い。
それに従うなら天ノ宮は横綱にふさわしい取り口を取るということになるのだが、それでも流れとして突く相撲はあるわけで、突きが苦手というのは少し気になる。
しかも、今問題としている相手の二代華関は突きが得意な女力士なわけで、この弱点を克服しないことには相手に勝てないのだ。
──それを解決するのは天ノ宮関。私じゃないわ。
でも……。
少し顔を傾け、それからもう一度もとに戻すと、姫美依菜は天ノ宮と向き合うのであった。
(続く)
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