外伝・初顔合わせ(14)〜土俵際でも気を抜くな〜

 次の一番を取る前に、二人は水分補給を取った。

 それぞれ他の女力士から手渡されたペットボトル入りの水を飲む。

 一口水を飲んだあと、天ノ宮が口を開いた。

「……思考加速も位置未来予測もなきゃ、わたくしの実力もこんなものですわね」

 自嘲気味に笑った天ノ宮の言葉に、姫美依菜は首を傾けた。

「思考加速に、未来予測って……? 魔導化ですか?」

 魔導化というのは別世界の言葉で言うなら電脳化と義体化をあわせたのようなものだ。魔法と科学を合わせた技術により、人間の脳や体に魔法で動く(微小)演算器や機械などを組み込み、人間の能力を向上させるものだ。

「そうよ。あなたもわたくしと対戦して味わったはずよ。位置未来予測は」

「そう言えば……」

 銀髪の姫君にそう言われて、姫美依菜は納得の表情を見せた。

──あれは占術ではなく、魔導化による演算による位置の未来予測だったのね。

 人間の体が動く位置、距離、方向などは加速魔法などがない限りは、例えば一秒後の位置などはおおよそ動ける場所などは決まってくる。その体や手足などの動く方向、速度、距離などを演算機に入力し、超高速演算することで相手の次の位置を予測する。それが位置未来予測(演算)だ。

 この魔導技術を使うことにより、占術による未来予測を行わなくても相手の位置を予測できるのだ。

──他にも魔導技術はいろいろ使われているのですか?

 と姫美依菜は尋ねようかとも思ったが、それを訊くのは野暮というような気もして、彼女は口を開くのを押し留めた。

「さて」天ノ宮はペットボトルを付き人に手渡しながら姫美依菜の方を向いた。「一番取るわよ」

 彼女の言葉には、次こそ負けないという強い矜持の心が含まれていた。こう何度も負けては、彼女も立つ瀬がないのだ。

「はい」

 姫美依菜は静かに、しかし力強く一つうなずいた。


 東西に再び分かれ、仕切り線の前に立つ。足を大きく開いて腰を下ろし、股を割り蹲踞の姿勢を取る。背をピンと伸ばし、相手の目を見据える。

 こうすることで、気分が高揚する。姫美依菜にとってはそうだし、目の前にいる天ノ宮にとってもそのはずだった。

 姫美依菜は先に右手を静かに土俵へと下ろした。それに合わせて天ノ宮も右手を土俵につける。

──できるだけ強く早い立ち合いを……。

 そう暗記するように念じながらどうするか考える。

 結果、今度は先に残る手も土俵につけた。全身に力を込める。

 ややあったあと、天ノ宮も残る手を土俵につける──というより触れた。

「フンッ!」

「ハッ!」

 お互い掛け声をかけながら、二人は勢いよく立ち合った。

 その時。

 天ノ宮は意外な手を打ってきた。

 相手を突くことも組むこともせず、右腕を曲げて前に突き出すと、その下腕で姫美依菜の体を受け止めたのだ。

 そしてそのままぶちかましてきた。

──!?

 驚く間もなく、衝撃が体に伝わる。一瞬息が止まる。

 と同時に、天ノ宮は残る左手で姫美依菜の右前回し、いわゆる前みつを取った。

──こんな手を打ってくるなんて!

 この技術は片腕で体を受け止め、同時に廻しを取るというものだ。これにより本来はぶつかってから回しを取る、という二段階の手順を経る従来のやり方よりも効率的なのだ。しかしその分当たりは弱くなるという欠点もあり、一長一短だ。

 それでも立ち合いの力が十分強ければ、それも相殺できる。天ノ宮はそれに賭けたのだ。

──ぐっ!

 姫美依菜はとっさに天ノ宮の左腕を右腕で抱え、左手で天ノ宮の右回しを掴んだ。

ぶちかましの衝撃で数歩後退するも、両足を前後に開いてこらえる。

 天ノ宮も右腕で姫美依菜の左腕を抱える。相四つの状態だ。

 そのまま強い圧力で押し合う。

「……くっ!」

「くっ!」

 二人の口から強い息が漏れる。

 天ノ宮は姫美依菜の前みつを取っているのに対し、姫美依菜の位置は相手の右横位置だ。力を入れられて有利なのは姫美依菜の方だ。

──このまま押し込められれば!

 姫美依菜はそう思いながら圧力を強める。天ノ宮の体がじりっ、じりっと後退していく。

 彼女の押しに対し、天ノ宮は抱えた姫美依菜の左腕を腕と体で強く挟む。その極められた痛みが腕を通して姫美依菜の脳へと伝わる。

──つぅっ!

 強い姫美依菜の押しが弱まる。天ノ宮の後退が止まった。

 そこでどうするか姫美依菜は考える。

──前みつを切らなきゃ!

 即座に彼女は判断し、実行した。抱えていた左手を離し、右手で今度は天ノ宮の右手首を掴む。そのまま下へと下ろそうとする。つまりは前みつから手を離す。切ろうというのだ。

 前みつは掴んでいても、その手首を逆に掴まれるとどうしても離れやすいという欠点を持つ。姫美依菜はその性質を利用したのだ。

 強い抵抗があったものの、手は切れた。

──やった!

 思った瞬間、自分の体が動くのを感じた。

──!?

 姫美依菜が天ノ宮の右手首を切るとほぼ同時に、天ノ宮が姫美依菜の右腕を極めていた左腕で投げを打ってきたのだ。その強烈な投げにより、左手が離れ、体が開く。

──まずい!

 とっさに姫美依菜は腰を下ろし足で踏ん張る。そのおかげで体勢が完全に崩れることはなかった。

 しかし、その踏ん張った隙を突いて天ノ宮は姫美依菜の懐に飛び込み、今度は右回しの奥深くを取った。今度は天ノ宮の方が体勢有利となった。

 姫美依菜は相手の左回しを取ろうとするが、天ノ宮の下手の使い方が上手く、回しに手が届かない。再び極められた右腕に対する圧力も強く、彼女はかろうじて廻しをつかみ続けた。

──……今はこのままこらえなきゃ!

 そう思うと、姫美依菜は腰を下ろしその位置で圧力をかけ続けながら休むことを選択した。天ノ宮も同じ選択をしたらしく、動きが止まった。

「……ハァ、ハァ」

「ハァ、ハァ……」

 お互いの呼吸の音がお互いの耳に響き、その音が稽古場全体へと響き渡る。

 揚座敷にいる親方や弟子たちは、取り組みの様子をかたずを飲んで見守っている。

 女弟子の一人、安珠猫あずにゃんはそのさまを見ながら思った。

──姫様、これからどうなさるおつもりなのだろう?

 彼女の両拳は強く握られていた。

 二人が動きを止めてから一分程度が過ぎた。二人は相変わらず荒い呼吸を吐きながら動きを止め、膠着状態を続けている。

 しかし、実のところは状況は大きく動いていた。姫美依菜の極められた右腕の感覚がなくなってきたのだ。

──くっ、右手が……! こうなったら!

 姫美依菜は賭けに出た。右腕を強引に力を入れ、右下手投げを打つ。同時に体も大きく動かし、掴まれている左回しを切る動きに出る。

 それに対し天ノ宮は腰で踏ん張るが、姫美依菜の強い意志を持った投げにこらえきれず、左回しを切られてしまう。

 今度はお返しとばかりに姫美依菜が左手で廻しを掴み、十分な四つとなる。そして、その勢いで前に出る。土俵際まで迫る勢いだ。

──このまま寄り切れば!

 姫美依菜は勝ちを確信した。

 しかし。土俵際で突然相手の体が止まった。どうやら天ノ宮は俵で足を止めたらしい。逆に自分の体に圧力がかかる。

──さすがにこらえるわね!

 そう驚嘆しながらも体を前後に動かし、がぶる。お互いの体が立ち上がり、密着する。

 姫美依菜はがぶって天ノ宮を寄り切ろうとするが、なかなか土俵を割らない。

──この! しつこい!

 と姫美依菜が内心歯噛みしたときだった。彼女は失念していた。自分の体が立ち上がっていたことを。そして、天ノ宮が再び左回しを掴んでいたことを。

 ふいに、体が浮き上がるのを感じた。

──!?

 姫美依菜はそこで悟った。天ノ宮は姫美依菜が寄って来て腰と体が高くなるこの時を待っていたのだと。

 彼女が足をばたつかせて抵抗するのも構わず、天ノ宮は自分の体をくるりと半回転させて、姫美依菜の体を土俵外へ出し、そのまま吊り出して土俵外へと下ろした。

 逆転のうっちゃり。天ノ宮はこれを得意としていたことを失念していた。

 姫美依菜は大きく一つ息を吐くと、うつむき両拳を握った。

 対して天ノ宮は先程より明るい表情で前を見ると、ほっ、と小さく息を二・三度つくと、両肩から力を抜いた。

 そして姫美依菜は足取りは重く、天ノ宮は足早に、自分の仕切り線の前へと戻っていくのであった。


                                  (続く)


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