外伝・初顔合わせ(11)〜褒められまくるというのも恥ずかしいもので〜

「二代華関って……」

 その言葉を聞いた途端、姫美依菜は顔をかしげた。

 聞き覚えのある四股名だったからだ。

「私達と同じ、十両一両目上位の女力士でしたよね?」

「ええ、そのとおりよ」天ノ宮は同意した。「わたくしと同じく今日まで六勝全勝力士よ。今頃取り組みがあったと思うけど、あの能力ちからだと多分今日も勝っているわね」

 この世界の(大)相撲人口は相撲が元あった世界よりも遥かに多く、幕下以下・十両・幕内以上がそれぞれ別の国技館で取り組みが行われている。元世界ではそれのみの段位であった十両は、この世界では細分化され、一両目・三両目・五両目・七両目・十両目と細分化されている。これは男女同じである。

 いわば一両目は十両の序の口、と言っていい。

「で、二代華関の能力って、たしか……」

「<魔法一時除去>能力。自分が触れた相手が持つ共通魔法や個有魔法を一時的に封じたり除去できたりできる、対(個有)魔法個有魔法よ」

 姫美依菜の問いに、天ノ宮は教師のような声で応えた。そして続ける。

「彼女が持つ能力は十両上位に行けばゴロゴロいるし、今のうちに対策を講じておかないと……。一度負け癖がつくとわたくし、なかなか取れないから……」

「そうなんですか……」

「ま、そのために特訓しないとね。そのアンマの相手に最適なのが、あなた、姫美依菜関の高速突きなわけ」

 そう言って天ノ宮は笑い、姫美依菜にウィンクをした。

 姫美依菜は年下の先輩女力士の言葉に、

──え、やった! 天ノ宮関にそんなこと頼まれてもいいんですか!?

 という喜びと、

──でも、そんなこと言われても、私にできるかどうか……。

 という困惑。

 その二つの感情が入り混じった表情を見せた。

 そんな彼女の顔を見た天ノ宮は、

「心配することはないわよ。特訓の分の報酬は、わたくしの財布から払いますから」

 とさらに笑みを大きくした。

「そ、そういうわけじゃないんですけど……」

 ピントのずれた応えに、姫美依菜は困惑の色を大きくする。

 そんな姫美依菜を安心させるような声で、天ノ宮は続けた。

「ま、それはともかくとして、二代華関とわたくしとの番付差と、これから予想される対戦相手からすると、彼女との対戦はおそらく十四日目か千穐楽。……全勝対決ね」

 男女ともこの世界の大相撲の十両の対戦方式は、七両目までは幕下以下と同じく、一番目から七番目までの取り組みは、勝ち星が同じ力士同士が対戦する方式だ。そして八番目以降は、横綱審議委員会の取り組み編成部の裁量で決定される。

 しかし基本的には番付が近く、勝ち星の数が似た力士同士の対戦となる。番付差が大きく離れた力士同士の対戦は、基本的にあとの方に組まれる。そのため、一両目下位の天ノ宮と、同じ一両目上位の二代華の対戦は、もし二人が勝ち続けたとすれば、終盤戦になるはずなのだ。

 そして、ここに一つ秋津州皇国の大相撲・女子大相撲(の十両七両目以下)における取り組み編成のポイントがある。六日目及び七日目終了時、全勝及び一敗(以上)力士がいる場合、他の全勝及び一敗差(及び同じ勝数)の力士とはできるだけ取り組みを行わないという暗黙の了解があるのだ。

 これがどういう事態を引き起こすかというと。

 千穐楽までの間に全勝力士が一敗するなどした場合、その時点で同じ勝数の力士がいやすくなるという事態を起こしやすくなるのだ。つまり、多人数による優勝決定戦が起きやすくなるのだ。

 これは横綱審議委員会によるちょっとした観客などへのサービスと言えるが、相撲を取っている力士・女力士達にとってはたまったものではないものであった。

 それはともかく。

「というわけで、まだ一週間程度は余裕があるはずよ。その間に稽古を積んで、二代華関対策を完成させておかないとね」

「あのー、質問なんですが」姫美依菜が手を上げて問う。「それなら、この部屋の力士で稽古を積めばいいのでは?」

 もっともな質問である。

 その質問に、天ノ宮はすぐに応えた。

「残念ながら、わたくしの天ノ宮部屋に、二代華関並の突っ張りの速さと彼女に似た能力を持った女力士はいないのよ。復帰力士のみなさんも、全盛期の速さを持ってないし。ま、能力に置いては、作ればいいだけですけどね」

 天ノ宮の最後の言葉に、訝しげな顔をしながら、姫美依菜は、

「だ、大体わかりました……」

 と軽くうなずいた。

「というわけで」そう言いながら天ノ宮は立ち上がった。「さっそく特訓を始めましょ。まずは、準備運動からしましょ」

 言いながら天ノ宮は自分の相撲浴衣に手をかけた。

「あの……」何かを思い出して姫美依菜は問う。「私、取り組み用の組衣と本回ししか持ってきてないけど、稽古は……」

「本回しでいいでしょ」天ノ宮は自分のしこ名の湯文字が入った浴衣の帯を解きながら、平然と応えた。「幕下のときは同じ回しで稽古も相撲もしていたんだし、そもそも、十両になったら稽古と取り組みは別って、単なる相撲があった元の世界で言い伝えられているしきたりに過ぎないでしょ?」

 そう言い終わると同時に帯が解け、浴衣がはだけた。

 浴衣の間から天ノ宮の白い肌が見え、二つの丸いものが弾けてはみ出た。まったく、見事なまでに豊かな双丘であった。

 姫美依菜はそれを直視して、胸がドキンとした。それは男が女のそれを観た時に感じる感情そのものであったが、男のように直接顔に出しはしなかった。彼女は女性であり、また女力士であったから、そのような女性の裸身を見るのは常であったからだ。

「え、ええ……」姫美依菜は天ノ宮の発言の方に驚きながらも、自分も立ち上がった。「天ノ宮関って、結構革新的なお方なんですね……」

「みんなそう言うけど、それにももう慣れちゃった。みんな、わたくしがどんな人間という公的なイメージが、頭の中に刷り込まれてますしね」

「確かに……」

 応えながら自分も帯を解き始める。自分の体を見たら、天ノ宮関はどんなことを思うだろうかと考えながら。


                     *


 天ノ宮部屋の揚座敷で姫美依菜も浴衣を脱ぎ、天ノ宮の付き人に持ってきてもらった風呂敷に包んであった、黒地に私立秋津洲大学の校章と、全秋津洲女子相撲選手権の横綱のみに許される、注連縄と一つの星を組み合わせた紋章を縫い付けた組衣を着て、黒鋼色の廻しを締めた。

 廻しを締めてくれたのは無論天ノ宮で、締めている時に一言、

「あなた、体つきいいじゃない。さすがあの鋭い立ち会いができるだけあるわ」

 と褒めてくれた。そのお褒めの言葉をいただき、姫美依菜は、

「あの……、その……。どうも、です」

 としどろもどろに返すことしかできなかった。

 その時、天ノ宮が、くす、と笑ったような気がしたが、姫美依菜には聞き返せなかった。

 それはともかく、二人は本割と同じ組衣と締め込みで天ノ宮部屋の土俵に降りた。黒土が足の裏にべっとりとつく。姫美依菜にとってそれは気分が高揚する感触であった。性的興奮にも似ていた。憧れの先輩、天ノ宮関とともに稽古できると言えば、なおさらであった。

 二人で準備体操をする。その間も姫美依菜は天ノ宮の一挙一動から目を離すまいとしていた。事実、彼女の動作から学ぶことは多かった。例えば、四股の高さと、頂点で止める時間の長さ、振り落とす足の力強さなど。それを真似しようとしてみるが、自分ではなかなか難しいものだと思ってしまう。

 しかし、姫美依菜の四股を見ていた天ノ宮が、

「あなた、四股がよく踏めてるじゃない。そこまで足を高く上げられるのは、そうはいないわよ」

 と褒めてくれる。

 そうでもないですよ、とはにかんで言い返しながら、姫美依菜は嬉しくて更に足を高く上げ、力強く四股を踏む。その様に天ノ宮は笑い返し、自分も強く四股を踏む。

 そうして四股などの準備運動を終え、すり足の運動を行う。腰を低く構え、腕を何かを押すような構図で構え、土俵の端から端まですり足で駆け抜け、端に着くと同時に、蹲踞をし、息を吐き出す。

 何十ぺんもそれを終えたあと、一息つく。姫美依菜が荒い息を吐きながら、膝に手を当て休んでいると、天ノ宮が隣に並び、

「ものすごく早いすり足ね……。突き押しの速さについて行けるだけの足運びね。わたくしも見習わないと」

 また褒めてくれた。

 いつもやっていることをやっただけです。そう謙遜してはみたけれども、やっぱり嬉しくて、顔がにやけそうになる。体の一部が火照る。

 その気持ちを抑えながらすり足を終えたあと、いよいよ三番稽古、実際に相撲を取る稽古を行うことになった。

 相撲部屋の左側の土俵の左右にお互い分かれ、天ノ宮が東、姫美依菜が西の徳俵前に立つ。

 天ノ宮が、姫美依菜へ呼びかけた。

「ここでは、能力無しで申し合い、三番稽古をやりましょう。あなたの素の実力を見てみたいし。とりあえず十番ぐらいはやりましょう。あらためて姫美依菜関、よろしくお願いいたします」

 彼女が礼をしながら挨拶をするのを聞いて、姫美依菜はわずかに首を傾げた。

 ──「ここでは」「能力無しで」……。では「ここではない場所」で、「能力ありで」、三番稽古をまたやるってこと?

 そう思いながらも、姫美依菜はすかさず、

「こちらこそあらためてよろしくお願いいたします。天ノ宮関」

 挨拶を返した。

「じゃ、始めましょっか」

 言いながら天ノ宮は仕切り線前まで歩を進める。

「はい」

 姫美依菜も仕切り線前に立つ。

 そうしてお互い向き合う。姫美依菜の心に、つい先程、天ノ宮と対戦したときのあの緊張感が蘇ってきた。

 ──今度は負けない。

 自分に言い聞かせながら、蹲踞をする。前傾姿勢になり、手を片手だけ土俵につける。天ノ宮も蹲踞し、両手を土俵につけた。

 お互いにらみ合う。先程まで褒めあっていた仲の良さはどこかに消えていた。

 呼吸を整える。静かに、残した手を土俵につける。

 ──ノコッタ!

 内心でそう叫びながら、勢いよく弾けるように立ち上がる。痛みなどかまうこともなく、天ノ宮の体へとぶちかます。

 揚座敷でその様子を見ていた島村親方たちからの視点から見ると、天ノ宮も勢いよく、低く立ち合っていた。

 体と体がぶつかりあう快音が、一つ聞こえた。

 しかし、姫美依菜の立ち合いはそれ以上に低く、速かった。

 頭と同時に、手が天ノ宮の体につく。続けざまに天ノ宮の体を突く。

 天ノ宮の体が急激に起き上がり、と同時に身体が後退する。

 両足で踏ん張るが、それでもこらえきれない。

 天ノ宮も突き返すが、手が遠く姫美依菜の体を突ききれない。

 そうする間に、回転の良い姫美依菜の突っ張りが天ノ宮の体を突く。

 天ノ宮はずるずると後退し、あっという間に土俵際へと押し込まれる。

 彼女は足を前後に大きく広げ、俵際で踏ん張ろうとするが。

 姫美依菜の神速の突きはその踏ん張りを凌駕し、天ノ宮を突き倒した。

 どうっ、と天ノ宮の体が地面へと倒れ、天ノ宮の口から空気が抜ける音がした。

 うう、といううめき声が天ノ宮から漏れるのを見て、姫美依菜は彼女に駆け寄り、彼女の顔を覗き込んだ。

 彼女の敗色を味わった顔は、どことなくつややかに見えた。姫美依菜は姫力士の顔を見て、心臓が一つ高鳴った。

 自分の気持ちをさとられまいと思いながら、彼女を助け起こす。姫美依菜の手を握りながら、突き倒された姫君は、

「……その突っ張り、さすがね。魔法なしだと立ち合いも含めてこんなに強烈だなんて。これなら全秋津洲女子相撲選手権横綱というのも、納得がいくわね」

 その褒め言葉に姫美依菜は、ありがとうございます、と礼を返そうとしたが、それより先に、

「でも、まだ一本取られただけ。さっ、申し合いは始まったばかりよ。その調子で、かかってきなさい」

 天ノ宮は、挑戦的な笑みを返してきた。

 次も勝ちます。そう不敵に微笑み返して姫美依菜は天ノ宮を助け起こした後、土俵の左右に再び分かれた。

 

 天ノ宮が言う通り、二人の申し合いは、まだまだ始まったばかりであった。


                                  (続く)


  


 




 

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