外伝・初顔合わせ(10)〜欠点を直すより長所を伸ばせ〜
「ここが天ノ宮部屋……」
「そうよ。さっ、入った入った」
言うが早く、天ノ宮は自ら木製の扉に手をかけて横に引き、自らが所属する──というか保有すると言ったほうが正しいのだろうか──部屋へと姫美依菜を招いた。
有無を言わせない招待の業前である。
「……、え、ええ。お邪魔いたします」
恐る恐る一礼しながら、相撲浴衣姿に長い黒髪を白い布で一つにまとめた姫美依菜は部屋の敷居をまたいだ。
鼻と肌に感じる空気が一気に変わった。宮殿のあまり嗅ぎなれない芳しい空気から、相撲部屋の馴染みのある空気へ。
玄関に並べられた草履は十足を遥かに超えていた。姫美依菜は部屋の賑わいを見て取った。
天ノ宮が部屋に上がったあと、自分も草履を脱いで上がる。そしてそのままついてゆく。
──部屋としてはかなり大きくて設備も充実してる。羨ましい。
姫美依菜は周りをざっと見てそう嘆息した。廊下の幅は広くてあんこ型の男力士でも余裕ですれ違えるし、廊下にダンボールなどの荷物が置かれているということもない。天井も高い。それだけ広々とした部屋なのだ。
廊下からちらっと厨房も見えたが、まるで高級レストランの厨房のように綺麗で、包丁などが綺麗に棚に並べられている。どちらかと言うと男の厨房に近い姫美依菜の相撲部屋や大学の相撲部の厨房とは大きくかけ離れていた。それにも彼女は溜息をつかざるを得なかった。
そういう間に、天ノ宮は突き当りの大きな青い布製の暖簾をくぐった。
「ただいまー」
天ノ宮がそう声をかけると。
「あらぁ〜、おかえりぃ〜、天ノ宮ちゃあん〜」
というのんきな、それでいて声はきれいな大人の女性の声が聞こえてきた。
「島村親方、只今戻りました」
「一番見てましたよぉ〜。今日も見事な勝ちっぷりでしたねえ〜。で、連れてきてるんでしょ? その対戦相手さんを」
「ええ、親方。……姫美依菜関ー」
そこで天ノ宮はもう一度暖簾をくぐると、姫美依菜を読んだ。
姫美依菜は二人の会話に複雑なものを感じながら、
「はい」
とだけ応えると、自分も暖簾をくぐった。
暖簾の向こうは、相撲部屋にはかならずある上がり畳の居間だった。対面は一段下がり、そこは土俵、つまり稽古場になっている。しかし、その規模が違っていた。
通常は一面が通例になっている土俵が二面あるのだ。周りも余裕があり、数十人単位で土俵の周りを人が囲めるようになっている。上がり畳の居間の方も、幅も奥行きも、それに見合った長さを持っていた。
中央付近に大きな卓袱台がいくつか置かれ、そこに幾人か──玄関先に置かれていた草履より少し少ない程度はいるかと思われる──の浴衣姿の女力士や着物姿などの女性が囲み、土俵とは反対の壁にある何かを見ていた。どうやら超大型表示機のようであった。そこから聞き慣れた相撲中継の声が聞こえてくる。
その中のひとり、着物姿で力士とは思えないスマートな体つきで、笑顔が似合う美人の、黒のボブカットで黒目の女性がこちらを見つめていた。
姫美依菜は彼女に見覚えがあった。元姫卯月、高千穂部屋所属だった島村親方だ。彼女は近年起きた、シンキョウ大相撲において一大スキャンダルの一つである八百長事件の「三矢事件」で引退させられたが、天ノ宮が幕下優勝して十両に昇進した場所に突如行われた再調査の結果、現役復帰の許可が女子大相撲横綱審議委員会から出された。それには内裏──皇室の意中があったという噂があった。
しかし、島村親方は現役復帰を断り、そのまま親方として生きてゆく選択を選んだ。それを知った審議委員会は現役復帰の代わりとして、新設された天ノ宮部屋への配属を命じ、彼女はそれを了承した。──そういう経緯だと、姫美依菜は覚えていた。
「どうも、砂岡部屋所属、姫美依菜です。天ノ宮関に招待されて、ここにやってまいりました。よろしくお願いいたします」
「どうもぉ〜。あたし、島村親方。御笠親方などと一緒に、天ノ宮部屋で指導・管理しているわぁ〜。どうぞよろしくねぇ〜。……さっ、さっ、ここにでも座って座って。ゆっくりくつろいでねえ〜」
「はぁ……」
そのまま立っているのもなんなので、言われるがまま揚座敷の中に入り、適当な場所にあぐらをかいて座る。
天ノ宮は正座をして姫美依菜のとなりに座った。背筋をぴんと伸ばした佇まいが、高貴な人らしいなと、姫美依菜は横目で見ながら思った。
そう思う間もなく、周囲で人が畳に腰を下ろす音がいくつも聞こえた。付き人の女力士たちだろう。
「おかえりなさいませ姫様。その方が」
相撲中継を見ていた、小柄で黒髪、紫の目の女力士が正座の向きを変えてこちらを向きお辞儀をした。彼女の顔や体つきはどことなく中性的にも思えた。
「ただいま凜花。ええ、こちらが今日対戦した姫美依菜関。前に言っていた、わたくしにサインを求めてきた最初のファンよ」
「あなたが一昨年の全秋津洲女子相撲選手権の横綱ですね。はじめまして姫美依菜関。ボクは二段目所属の凜花。姫様の侍女筆頭も兼任しています。よろしくお願いいたします」
「……よろしく、凜花さん」
姫美依菜関もお辞儀を返した。しかしどうにも、居心地の悪さは拭いきれない。そもそも、なぜ天ノ宮が自分を彼女の部屋、というより宮殿艦に招いたのか、わからないからだ。
そんな姫美依菜を無視するかのように、凜花は自分の主人に対して、問いを投げかけた。
「姫様どうです? 対戦してみた感想は?」
「……ものすごい速攻力と突きの速さだわ。これで女子相撲選手権を制覇したのは納得できるかな。こちらの魔法盾防御が間に合わなければ危ないところだったし。ただ、接近戦と長期戦になると脆いところはあるかな」
「……」
天ノ宮の評価、特に最後の方の言葉に、姫美依菜はうつむいた。それは自分がよくわかっていることだったからだ。今回の初顔合わせは、それで惨敗したようなものだったからだ。
「ただね」天ノ宮は姫美依菜関を慮るように彼女を見ると続けた。「姫美依菜関は欠点を直すよりも長所を伸ばしていけば、番付も上がると思うわ。だからあまり気にすることはないわよ。姫美依菜関」
天ノ宮は微笑んだ。姫美依菜は年下の先輩力士の笑顔に、すこし泣きたくなった。
「姫美依菜関の速攻突きはー、天ノ宮ちゃんに盾の個有魔法がなければあっさり突き出されていただろうからねー。これなら天ノ宮ちゃんの求めていた条件に合うんじゃないですかねー?」
「そうですね島村親方。これなら姫様のアンマ(相撲稽古で技を掛ける相手。特訓相手)の相手として合格ですね」
島村親方と凜花のやり取りに、姫美依菜は、ん? と顔をしかめた。そして面を上げ、天ノ宮に問いただす。
「天ノ宮関、私にアンマって……?」
その問いを聞いて、天ノ宮は少し真剣な表情をして応えた。
「ええ、わたくしには倒したい相手がいるのです。そして姫美依菜関、あなたの能力が、その特訓相手として最適なのです」
「その相手って……」
姫美依菜が更に問いただすと、天ノ宮は魔王の名を語るようにその名を告げた。
「御津川部屋所属の十両、二代華です」
(続く)
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