外伝・初顔合わせ(8)〜魔法ドリンク、それは翼をさずける〜

 空を飛ぶ車の車列は、そのままシンキョウ湾を西南へと向かっていた。

 姫美依菜が窓の外を見れば、そこには同じように空を飛ぶ車や、箒のようなものに乗った人、飛竜などの動物に乗る人、はたまた何も持たず乗らずに空を飛ぶ人など、様々な飛び方で空を行き交っていた。

 しかし、皆勝手気ままに飛んでいるわけではない。空には信号機が浮かび、道を示す浮標ブイも浮かんでいる。そして、車、箒、動物、人など、それぞれの飛び方に合わせて、高度が決められていた。

 それらの飛び方や高度などは、皇国や州・都などによって定められている交通法によって決められている。この世界にも法や秩序があり、軍や警察、騎士団などは、それぞれ定められた法律などを守るためだけに動いているのだ。

 それはともかく。

 天ノ宮と姫美依菜を載せた車は、法定速度(地上の車より早い)を守りつつ、付き人たちがの車たちとともに、空を往っていた。

 二人は表示窓ヒョウジ・ウィンドで女子大相撲中継を見ていたが、天ノ宮が何かに気がついた様子で、

「ねえ、飲み物でも飲む?」

 と、座席の前方を見やるとそこに手を伸ばし、取っ手に手をやり開けた。

 そこはかなり狭いながらも冷蔵庫だった。小さめの蓋付きコップに入った魔法ドリンクが数杯ほど入っている。

「……本格的なお茶は着いたら飲むとして、今ははいっ、これ」

「……いただきます」

 姫美依菜はそう応えて天ノ宮から缶を受け取ると蓋を空け、一気に飲む。

 爽やかで、すっきりとした味がした。体の疲れがじんわりと消えていくような感覚を姫美依菜は感じた。

 ──これは大相撲だけではなく、学生相撲など、アマチュア相撲界でも広く飲まれている魔法ドリンクね。

 姫美依菜はそう理解した。

 その飲みっぷりが気持ちよかったので、天ノ宮は目を丸くした。

「あら、結構景気いい飲み方するのね」

「大学ではいつもこういう飲み方をしてたので……」

「周りの影響ですね。わたくしはこう、出自が出自でしょう。つい丁寧に飲みそうになっちゃうけど……」

 言いながら、缶に口をつける。そして一気に飲む。

「天ノ宮関も景気いいじゃないですか」

「まあね。もういっぱい飲む?」

「ええ」

「じゃあコップを冷蔵庫に戻して。魔法で補充されるようになってるから」

 言われるがままコップを冷蔵庫に戻す。天ノ宮が閉じると、彼女の手が僅かに光った。魔力を供給しているのだ。すると隙間から青い光が漏れ、すぐに消えた。

 光が消えるのを確認すると、天ノ宮はすぐさま冷蔵庫を開ける。そしてコップを取り出し、姫美依菜へと渡す。彼女がコップの中身を見ると、わずかに青い液体がなみなみとコップを満たしていた。

 今度は一口だけ唇を潤すように飲むと、姫美依菜は窓の外を再び見た。

 下はあいかわらず青色の海であったが、陸地からは遠ざかり、大中小の船が行き交っていた。その中のなん隻かは、飛行用魔導エンジンやフローティングリングなどを展開し、空中へと浮き上がる準備をしている。

 その艦船たちの上を、飛空車などが飛び交っていたが数は減り、その車たちの多くは、海上に置かれた浮遊するドーム状などの建物──海上マンションや海上モールなどへと吸い込まれていく。

 ふいに轟音がしたので、そちらの方に目を向けると、上空を飛行機が飛んでいった。シンキョウ空港から飛行機が飛び立っているのだ。

 これらの乗り物は、搭載量や速度、燃料などのコストに合わせて使い分けがなされている。身分や職能による使い分けさえある。これはこの世界では当然のことであった。

「”停泊地”は?」

 もう一度コップに口をつけたあとで、姫美依菜は天ノ宮に尋ねた。

「もう少し先ね。飛空艇や飛行機などの航行ルートからは外れたところにあるから」

 天ノ宮がそう応えるなり、車がやや左へと動いた。「道」を曲がっているらしい。

「ほら」

 天ノ宮は更にそう言うと、表示窓の画面を切り替えた。車の前方画面を表示したのだ。

 前方を映し出した画面には、小山のようなものがいくつも映し出されていた。

「あれが……」

「そう、貴族などが住む屋敷艦群よ。あの一番奥に、わたくしの船「天ノ宮」以下の宮殿艦などが泊まっているの。そこに、わたくしの部屋、天ノ宮部屋があるっていうわけ」

 天ノ宮はそう言うといたずらっ子ぽく片目を一度つぶると、満面の笑みを見せた。

 彼女の笑顔に、姫美依菜はなぜか言いようのない不安に包まれるのであった。


                      *


 車列は陸地から遠く離れ、海岸線はとうに見えなくなっていた。

 陽光を反射して青々と輝く海の上には、あるものは巨大なドームに、カタツムリのようにつき出した棒状の物体の先に船が着いたもの、またあるものは、いくつもの空に浮かぶ巨大な船が連なったものなどが浮かんでいた。

 ただ浮いているだけではない。その「船」の吃水線には、下の海面とは別の海面が現れ、「船」はその中に吃水線下を沈めていた。

 これは、空間に海を生み出す創造魔法の一種だ。これを使うことにより、空中に浮かぶ巨大な「船」の吃水線下は別の空間に「沈む」ことになり、その吃水線下を、別の飛空艇や飛行機などが通れるようになっているのだ。

 屋敷艦や宮殿艦などよりもっと巨大な「都市艦」などは、大きさが十数km以上はゆうにあり、それよりやや小さめの付属艦などが何十隻も連なっていることが多い。その大きさゆえ、吃水線下も数km単位であり、停泊の際は単純に海などの中に浮かべるわけにもいかない。海底などに打ち当たって、高さがその分海上に出て、飛行機や飛空艇などの飛行の邪魔になるからだ。

 というわけで、ある程度の大きさの「飛空艦」は、創海魔法を使って空中に浮くことが、法律によって定められている。

 それはともかく。

 姫美依菜と天ノ宮の二人を乗せた黒塗りの高級乗用車は、付き人たちの乗る護衛車を伴い、空に海を生み出して浮かぶ屋敷艦などの間を飛んでいた。

「これだけ近くだと壮観なものですね……。都市艦はこれよりももっと大きいんんですよねえ……」

「行ったことはあるでしょ?」姫美依菜のため息に、天ノ宮は微笑んで応えた。

「ええ、大会とかで。元をたどれば、神々が人々を載せてこの世界にやってきた船が元といいますけど」

「まあそうね。そう言えば、お祖父様──皇王陛下が、わたくしに領地として都市艦を与えようとか言う話を小耳に挟んだけど、わたくしには領地なんて必要ないのに……。宮殿艦などだけでもう十分。それで自立してやっていけますわ」

 天ノ宮は珍しく憂鬱な顔をして大きなため息を吐いた。

 彼女のため息を見て、姫美依菜は困惑気味に微笑んだ。

「陛下はそれだけ姫様のことを大事に思っていらっしゃるんですよ」

「……そうだといいんですけどね。ただの過保護にも思えるんですけど。わたくしにはっ」

 言い捨てた天ノ宮に、姫美依菜はおや、と思った。怒りにも近い感情を顕にする天ノ宮は、表の場では珍しい気がしたからだ。

 ──私、本当に貴重なものを見ているのかもしれない。

 姫美依菜は思うと、身を固くした。彼女の姿を知ると、天ノ宮はあら、という顔をして謝り、笑った。

「ごめんなさい、ついはしたないことをして……。甘えたいのかしらね、わたくし」

「甘えたい?」

「ええ、わたくしは、自分一人で立とうと決めて、女角界に入りましたから。でも、本当は、誰かに寄りかかっていたい。甘えていたい。そう、思ってしまうのかも」

「……」

 姫美依菜は彼女の言葉に、しばらく黙っていたが、やがて、優しく笑うと、

「甘えても、いいと思いますよ」言って相手に手を重ねた。「天ノ宮関が甘えたい相手ひとなら」

 彼女の言葉に、天ノ宮は大きく目を見開き、言葉を失った様子でしばらく姫美依菜の顔を見つめていたが、やがて、押し出すように言葉を吐いた。

「……あなたがいいと言うなら、そうさせてもらうわ。でも、少しだけ。やっぱりわたくしは、一人で立っていたいもの」

 天ノ宮の返答に、姫美依菜は、

──しっかりしたお方ね。

 と思いながらも、

──やっぱり少し壁があるのかしら、私に対して。

 もう一方ではそう思っていた。

 そしてその二つの異なる思いを隠して、笑顔ですぐさま応える。

「天ノ宮関って、頑固なんですね」

「ふふ。一族みんなにも、よく言われます」

 二人は言い合って、笑いあった。

 しかし天ノ宮の顔に、このひとには理解して《わかって》もらえるのでしょうか、という表情がわずかに浮かんだのを、姫美依菜は見て取った。

 その時、二人を乗せた車を中心とした車列は、屋敷艦群の間を抜け、停泊地一番奥へと進んでいった。

 停泊地奥には、ひときわ大きな、ピラミッドをいくつか集めたような形の船、クジラ状に上部が透明になった形状の船、工場と倉庫を集めたような形状の船、そしてドーム状の船などが何隻も魔法の海の上に浮かんでいた。

 船船の形容を見た姫美依菜は、息を呑んで天ノ宮に問いただした。

「あれが……」

「そう。あれがわたくしの宮殿。宮殿艦『天ノ宮』とその付属艦。まとめて、『天ノ宮船団』よ」

 天ノ宮は、平然とした顔で応えると、自らの「我が家たち」を自分の「体」を見るような目つきで眺めた。

 

                                  (続く)

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