外伝・初顔合わせ(6)〜これは恋なのか、はたまた変なのか〜

 カブキタウン国技館の浴場で、天ノ宮の告白を聞いた途端、姫美依菜は何かを言おうとしたが、何も言うことができなかった。

 と同時に、誰かが立てた、木製の風呂桶の音が大きく響き渡る。

「……」

 ──姫様が、わたくしのことを覚えてくださっていた……。

 しかも、姫様にサインを求めたのが私がはじめてだって……。

 そんな……! そんな……!

 しばらく何かを言うとして逡巡していた姫美依菜だったが、なんとか押し出せたと言う風に、

『本当で、ございますか……?』

 一つ、言葉を吐き出した。

 その応えに、天ノ宮は満面の笑みを見せて、

『本当よ。わたくしのはじめてのファンに、嘘をおっしゃってもしょうがないでしょう?』

 と応えた。

 姫美依菜は、はじめてそこで天ノ宮をはっきりと見た。

 銀色の長髪に、金のアーモンド型の瞳、こんもりと丸く美しく盛り上がった鼻、絵笑うと大きく、歯の揃った口、それらが肌が白い小顔に、うまくまとまって配置された、高貴な美少女と言うにふさわしい顔立ちだった。

 今まで、ぼんやりとしか見えていなかった彼女の顔を見て、

──綺麗な女性ひと……。

 と内心ため息が出そうになった。

 そんな彼女を知ってか知らずか、天ノ宮は言葉を続ける。

『わたくしは、角界に入ってから、家族以外のファンがいなかったんです。もちろん、それは自分の正体を知られないようにということもありましたし、後援者タニマチも偽装したものでしたから』

『……』

『それが、去年のフヅキ場所前の連合げいこのとき、バスから降りた時に声をかけてきた女性がいました。それが、あなただったんです』

『あのときの、サイン……』

『そうです! あなたが色紙を持って、わたくしにサインを求めてきたこと!』そう言って天ノ宮は心から嬉しそうな表情を見せた。『関取でもないわたくしに声をかけて、わたくしのファンだと言ってくれて、わたくしのサインを嬉しそうに受け取ってくれたこと! それを今でも本当によく覚えておりますわ』

 天ノ宮は浴槽の中で重ねた手で、姫美依菜の手をそっと強く握った。

 姫美依菜の心臓の鼓動が早くなり、頬が赤くなる。

『あなたが色紙を持って女子相撲部員のもとへ去る時に、わたくしはあなたの背中を見て、「あの娘のためにも頑張って、十両に上がろう』と決意したんです。わたくしが十両に上がれたのは、あなたがいたから。理由の何割かは、それがあると、心から思っておりますわ。心から感謝しております。姫美依菜関」

 天ノ宮はそう言って優しい笑みを見せると、自分の顔を隣りにいる姫美依菜に近づけ、頬に口づけた。

 突然のキスに姫美依菜はほおを更に赤らめ、すこしギョッとしたような表情で、

『姫様……』

 とだけ言った後、頬を緩めた。

 今や二人の距離は現実そのままに、隣同士であった。

──姫様、本当に私のことを……。

 姫美依菜の胸は、ますます温かくなっていた。それは湯のせいだけではなかった。

 そして年下の先輩に対する、欲情にも似た憧れが、再び蘇ってきた。

──姫様にもっと触れていたい。

 姫様の吐息をもっと味わっていたい。

 姫様をもっと感じていたい……。

 そのような妄想に近い思考を巡らせたときだった。

 ざばあっ、と隣で龍が水面下から飛び上がったような音がして、姫美依菜は水しぶきを頭からかぶった。

 そばを見ると、天ノ宮が風呂から立ち上がり、ちょっと挑戦的な目つきで、姫美依菜を見下ろしていた。

 姫美依菜は、彼女に自分の心中を見透かされた、のではないかと一瞬身震いした。

 そんな年上の後輩をよそに、銀髪の姫君は挑むような目つきのまま、こう誘った。

『ねえ、これからわたくしの宮殿うちに来てみない?』


                                  (続く)

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