外伝・初顔合わせ(2)〜姫美依菜と天ノ宮の初顔合わせ(前)〜

「ひがーしー、ひめみいなー、ひめみいなー」

「にぃーしー、あまのみぃや~、あまのみぃや~」

 秋津洲皇国、皇都新京、カブキタウン国技館。

 そこで開かれている女子大相撲サツキ場所十両七日目。

 土俵中央に立った女呼び出しが、土俵下東西にそれぞれ控えている女力士の名を呼び上げると、国技館内の歓声が一段と大きくなった。

 その歓声を聞きながら、東方の女力士、姫美依菜は、ついにこの時が来た、と胸が、下腹部が震える思いでいっぱいだった。


 その女力士のことを知ったのは、秋津洲大学一年のときに女子相撲部の皆と見に行った、幕下以下の女子大相撲が開かれているマルヤマ国技館であった。

 客もまばらなマルヤマ国技館の客席で、彼女は、ひときわ他人とは違う女力士を見つけた。

 銀髪に青い目、白い肌のまだ少女と言うにふさわしいが、気品さは大人の、いや、姫君のそれであった彼女を見て、美依菜は脳天から電流が走った。それはまさに一目惚れであった。

──序二段にこんな力士がいるなんて!

 彼女の相撲は、序二段ながら、その取り口は関取であるかのような堂々としたものであった。個有魔法、個人が専用で持つ強力な魔法は持っていないようであったが、美しく引き締まった、貴族かあるいは女優かと思える体つきから繰り出される力のある相撲で、彼女より大きな体格の相手を軽々と寄り切ったのを見たときには、美依菜は、すっかり彼女の信奉者になっていた。

──自分も、彼女みたいな相撲を取れるようになろう。そして必ず女力士になって、いつの日か、彼女と対戦しよう。

 そう願っていた。そしてその願いとは別の感情、おもいも抱いていた。

 姫美依菜が大学四年生のとき、女子大相撲の一門合同稽古を見学しに来たとき、偶然幕下時代の彼女と会った。その時はまだ、彼女がやんごとなき一族であるということはもちろん知らなかった。

 彼女にサインをねだり、もらったときは、胸がはちきれんばかりだった。

 そして、励ましの言葉をもらったことは、心の底から嬉しかった。

 もっとしゃべりたかった、触れてみたかったけれども、自分の中の理性がそれを押し留めた。

──女力士となって、彼女と同じ土俵に立つまで、我慢しよう。

 そしてついに、この日が来た。彼女と対戦するときが。

 その女力士の名は、天ノ宮、という。


 自分の回しにぶら下がっている紐、さがりを歩くのにじゃまにならないように手に添えるように持ち、土俵へと上がる。

 そして土俵の上へ上がる。吊り屋根や国技館の天井で光る白光の照明が、一段と眩しく思え、そして歓声が大きく聞こえた。

 それから目の前の相手を見る。彼女は年下だったが、自分よりも遥かに年上に思えた。それほど堂々としていた。

 彼女──天ノ宮は<虹色の乙女力士>という異名を持っていたが、その姿は時によって異なっていた。取り口さえも。


 彼女が角界デビューした頃、彼女は黒色の何も名前も紋章も広告なども入っていない組衣に黒色の廻し姿であった。これは、幕下以下の力士は全員同じ姿であり、女子大相撲の規定でそう決められていたからだ。

 その頃の取り口は、先にも述べたように、個有魔法は使わず、基本的に自らの腕力と体力と、筋力増加魔法等による、スモウというよりは異世界から伝わった相撲の基本的な取り口そのままの相撲であった。それでさえ彼女は勝ち続け、あっという間に幕下上位へと駆け上っていったのだから、彼女の才能が伺える。

 その後数場所、彼女は幕下上位で足踏みをするが、その幕下最後の場所に変化が現れた。彼女が突然、個有魔法を使い始めたのだ。それも、普通は一人一つとされている個有魔法を、多数使い始めたのだ。

 基本は魔法の盾を作り出す個有魔法を使った攻防が基本なのだが、その魔法の盾に炎の個有魔法や氷の個有魔法を付加させたり、その二つの個有魔法を同時に体で発動させ、わざと体を滑りやすくさせて相手がバランスを崩したところを狙って相手の後ろに回り込み、筋力増強の個有魔法をさらに発動させて送り吊り落としで相手を文字通り土俵に沈める、などと言った取り口で幕下優勝し、見事十両昇進を決めたのだ。

 噂では、天ノ宮が所属する月詠部屋に居候している元(男子)大相撲力士が彼女の能力を発現させた、という話であったが、彼に話を聞いても、

「いやあ、俺は彼女の能力を見つけた手伝いをしただけですよ。彼女の能力を引きだしたのは、彼女自身なんです」

 と、その能力が一体なんなのかなどは、はぐらかして応えてはくれなかった。

 それはともかく、十両昇進した天ノ宮はその姿を変えた。

 規定により細紙でまとめていた長い銀髪を広げ、両の耳元に白い布で飾り付け、肩を出した首元で締めるハイネックタイプの、見る方向によって様々な色に変わる加工を施した布のシングレットに、空の青色に染め上げた廻しという出で立ちだった。

 それは、彼女が<虹色の乙女力士>という異名をつけられるきっかけともなっていた。それにはもう一つ理由があった。彼女が発する魔法のオーラが、それこそ虹のように七色、いやそれ以上に色を変える、という理由からであった。

 変幻自在の魔法の技を持った虹色の乙女力士。それが、天ノ宮だった。


──彼女の体は名を表していた、か。

 姫美依菜は一礼をすると、相手の姿を見た。

 今は、天ノ宮に対する様々な欲望に近い感情は、心奥に収めていた。

 彼女は今、対戦相手なのだ。

 姫美依菜は職業相撲人として、そのように徹しようと努めた。

 ハイネックのシングレットにまわし姿というのは、今までと同じだった。

 しかし、色は違う。

 彼女のシングレットと回しの色は、銀を含んだ白であった。そう、彼女の髪の毛のような。

 この姿に変えたのは、そう、姫美依菜が入門したとき、というか、天ノ宮が自らの正体を名乗った、ヤヨイ場所からであった。

 自らが皇族の生まれであることを示したいのか、いや、それ以外の理由でもあるのであろうか。今までまとっていた鮮やかな虹色を捨て、彼女は真っ白な装束を身にまとっていた。

 姫美依菜は土俵上で彼女の姿を見て思った。

──あの姿、巫女というか、白無垢姿の花嫁みたいね。あるいは……。

 そう思うと、彼女は足を吊り屋根の赤房下へと進めた。


 赤房下の土俵隅で姫美依菜は手を打ち鳴らし、四股を踏む。

 そうする間に、自分にしか見えない表示窓ヒョウジ・ウィンドと呼ばれる一種の携帯端末的な魔法を発動させ、彼我の情報を表示する。

 自分と彼女の身長と体重はほぼ同じぐらいであった。体格差がないということは、純粋に技術の差で勝負が決まるということだ。

 姫美依菜の昨日六日目までの勝敗は六勝全勝だった。十両昇進してすぐの力士としては上々とも言えるし、幕下付け出しで優勝して十両入りした力士としても上々すぎる出来だ。

──このまま連勝して給金と行きたいわね。

 姫美依菜は内心でほくそ笑んだ。

 だが忘れてはならない。こういう笑みはいわゆる「負けフラグ」が立ったりすることを。油断大敵!

 対する天ノ宮も同じく六連勝。ここで勝てば翌日の勝ち越し、給金も見えてくる。相手にしてみれば、ここで負けるわけにもいかないはずだった。

 そう姫美依菜が思っていると、土俵下から柄杓がひょいっ、と差し出されてきた。見れば、先程勝った女力士が、力水を差し出しているのであった。

 姫美依菜は軽く首を振ると、柄杓を受け取り、力水を軽く飲む。勝ったり力士から力水をもらい、自分も勝てるよう験担ぎをする。これはこの世界でも変わらない儀式であった。

 力水を飲むと、柄杓を水がたっぷりはいった木の桶へと戻し、下で待っていた女性の呼び出しから白い力紙をもらい、それで口の周りを拭く。それをしながら目は表示窓を見ている。

 自分の取り口は右四つ。対する天ノ宮は、同じく右四つと表示されていたが、その後に、実際には右でも左でも取れる、という注意書きが記されていた。

 それから、天ノ宮は盾魔法を主として、様々な個有魔法を使いこなし、長期戦になればなるほど有利なタイプ、と記されていた。

──やっぱり彼女って万能タイプよね。さすがは<虹色の乙女力士>という異名だけはあるよね。

 そう思いながら東徳俵前へ足を運び、そこで蹲踞する。

 天ノ宮もほぼ同じタイミングで西の徳俵前で蹲踞していた。

 目を合わせながら、お互い塵浄水をする。

 彼女は無表情だった。しかし、緊張しているのではなく、自然にそうしているような、それとも無我とも言えるような、気品のある無表情であった。

──皇室のお姫様は流石に自然にそうできるのね。

 いや。

 あれは相撲人としての自然さなのかもしれない。

 姫美依菜はそう感嘆すると、立ち上がり、もう一度東赤房下へと向かう。

 それから呼び出しからタオルを受け取り、体を拭く。

 体を清めながら、表示窓の情報を切り替える。

 そこには親方と協議した作戦が示されていた。

 姫美依菜の得意とするところは、魔法に対する肉体の親和性だけではなかった。魔力の制御能力にも優れ。魔力に極端な指向性を与えることができるのだ。

 これにより、突き押しで同時に放出される力を持った魔力(気力とも称される)を槍状にし、相手に文字通り突き刺せることが可能だった。

 神経強化の魔法で反応度を増し、魔力の槍を、立ち会いと同時に突き刺し、爆発させ相手を押し込み、土俵際へと持っていって速攻で押し出すか寄り切る。

 それが彼女の作戦であった。

 速攻は彼女の得意とするところであった。その速攻で、全秋津洲女子相撲選手権を制覇したし、入門後のヤヨイ場所も全勝優勝したのだ。

──だから、自信を持っていいわ。姫美依菜。

 そう言い聞かせながら、タオルを呼び出しへと返し、土俵隅の塩箱から塩をつまんだ。

 この清めの塩も、元の世界のものと何ら変わらない儀式だ。

 彼女が塩を土俵にまこうとしたとき、大きな歓声が周りの観客席から湧いた。

 見れば、土俵反対側白房下で、天ノ宮が片手に収まるだけの塩を掴み、その白い粒の塊を、吊り天井に届かんばかりに放り投げたのであった。

──出た! 天ノ宮の塩まき! これをやるとお客さんが湧くのよねえ。

 一瞬そのさまを見て惚れ惚れした姫美依菜であったが、

──いけないいけない、彼女は対戦相手なのよね。

 心の中で舌を出すと、塩を撒き、土俵中央に引かれた白線前へと向かった。

 白線の前でお互い蹲踞をし、

「構えて」

 の女行司の声で、両手を土俵につける。

 その時、天ノ宮がちらっと、視線を、右横へと逸した。

 なにもないはずの場所にである。

 彼女の視線を見て、姫美依菜は合点した。

──ははぁ、彼女も表示窓を見ているのか。彼女って皇族だし、きっと、プライベートクラウドとか持ってる。皇族だから、そのネットワークも、膨大なものに違いない。

 表示窓などの情報(演算)系魔法は、基本的には脳や魔導クリスタル(を備えた杖などの魔導具)などで演算され、脳内や空間に表示されるようになっている。

 しかし、さらにその情報魔法を魔導ネットワークに繋げることにより、さらに情報を蓄積したり、演算能力を向上できたりできるのだ。

 これは通常の魔法(共通・個有魔法どちらでも)でも同じで脳や魔導クリスタルなどの発動・詠唱体を魔導ネットワークに接続することにより、詠唱を高速化したり、威力を増強化したりできる。

 皇室や貴族、それに大魔法使いなどは、この魔導ネットワークを独自に持っていた。特にこの秋津洲皇国の元首である皇王をはじめとする皇族一家は、この秋津洲皇国の始祖である勇者無元と姫賢者由依が持っていた、従者・職能勇者を含めた膨大な魔導ネットワークを引き継いでいると言われ、その能力は計り知れないとまで言われていた。

──その魔導ネットワークがあるからこそ、虹色の乙女力士の能力があるのかもしれない。

 姫美依菜は彼女をにらみつけるように見ながら、手をつけ終えると、再び立ち上がった。

 そして、再び赤房下へと向かう。

 その時、向正面下に控えている着物姿の女性が手を上げ、

「時間です」

 と告げた。

 彼女は土俵周りに控えている六人の勝負審判のうち時計係で、仕切りの制限時間を迎えたことを知らせたのだ。

 その言葉と仕草に、観客が湧き上がる。

「依子姫ーっ!」

「姫美依菜ーっ!」

「どちらもがんばれーっ!!」

 飛び交う応援の声に、姫美依菜は、頑張らなきゃ、と体に力を入れる。

 もう一度体をタオルで拭き、右手で塩を箱から掴む。さっきよりも多く塩を掴んだ。

 そして体を振り返らせると息を一つ大きく吐き、力いっぱい塩を放り投げた。

 姫美依菜の白い航跡と、天ノ宮の白い航跡が、吊り天井の下で大きく交差する。

 その様に、観客が、

「おおーっ!!」

 とこの日一番の声を上げた。

 その歓声を聴くなり、姫美依菜は天ノ宮の顔を見た。

 彼女の唇の端が、わずかに歪んでいた。

──あの人が、笑ってくれている……。

 姫美依菜は、わずかに頬を緩めた。

 しかし、それもわずかなことで、彼女はすぐさま顔を引き締め、自分の仕切り線の前へと向かう。

 天ノ宮も土俵西方にペンキで引かれた白線の前へと向かう。

 そして、お互い蹲踞をする。

「構えて」

 女性向けに仕立てた行司装束の女性が、声をかける。

 姫美依菜は、白線すぐ前へと腰を下ろす。

 対する天ノ宮は、白線やや後ろへと腰を下ろした。

 そしてすぐさま、両手を土俵へとつけた。

 彼女の仕草を見て、姫美依菜は顔をしかめた。

──私のやりたいことをわかってて、あえてそれを受けようとしている!?

 ……いいわ。姫様の挑戦、受けて立ちます。

「手をついて待ったなし!」

 行司が声を張り上げる。

 行司の声にいざなわれ、姫美依菜はまず左手の拳を土俵へとつけた。

 それから、筋力強化魔法や、神経加速の魔法などを表示窓を通して発動させる。自分の腕や足が太くなり、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。

 と同時に、魔力を制御し、槍状の形へと作るイメージ形成も忘れない。

 そして、彼女は残りの右手を慎重に下ろし──。


「はっ!!」


 わずかに拳を土俵へとつけると、手足を思うままに動かし、体を立ち上がらせ、一気に右腕を眼の前にいる天ノ宮へとぶつけた!!


「ハッケヨイ!!」


──こうして、姫美依菜と天ノ宮の一番が始まった。

 

                                  (続く)

 

 

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