十四日目

 十四日目:


 フヅキ(七月)本場所がはじまった。

 この秋津洲皇国の女子大相撲は、国が広いため(皇国が幾つもの国で構成された国家であるため)、国のあちらこちらで行われている。

 その最大のものの一つが、帝都新京の本場所だ。

 先にも話したように、新京場所は幕下以下・十両そして幕内と、別々の場所で開催されている。幕下である天ノ宮は、幕下以下の女力士が相撲を取る、マルヤマ国技館で相撲を取ることになっている。

 開催は十五日間だが、所属力士はそのうち七日、七番相撲を取り、勝ったもの、負けたものがそれぞれ勝ったもの、負けたものと次の相撲を取るという方式で相撲を取る。

 そのように新京女子大相撲フヅキ(七月)場所は、三つの国技館それぞれで進行していった。

 それぞれの土俵で女力士たちが土俵に上がり、取り組みを行い、勝敗を決してきた。

 そうして幕下以下が相撲を取るマルヤマ国技館でも熱戦が繰り広げられ──。

 十三日目の最後の取り組み。幕下優勝決定戦の時を迎えようとしていた。


 ──ついにここまで来た。

 天ノ宮は、土俵下であぐらをかき、腕を組んで控えながらそう思っていた。

 マルヤマ国技館は幕下だったが、観客席は様々な年齢・人種・階級などの男女で満杯だった。

 満員御礼の垂れ幕が、天井から下がっている。

 そして、刻一刻と結びの一番に設けられた、優勝決定戦が近づいてきていた。

 天ノ宮は、初日から連勝をし続け、現在六勝〇敗。負けなしだった。

 六勝目の時は、十両に上がり、負け越していた十両力士と対戦し──。

 見事に勝利を収めた。

 これにより、優勝すれば十両昇進は確約されたようなものだ。

 しかし。最後の一番で立ちふさがる相手が、問題だった。

 その相手とは──。

 先場所の最後に天ノ宮が対戦して敗れた、因縁の相手、野須ノ姫だ。

 野須ノ姫も、ここまで負け無しでやってきたのだ。

 負け無しの女力士は、他にはいない。

 天ノ宮か、野須ノ姫か。

 最後の一番で、雌雄が決するのだ。


 天ノ宮は腕を組みながら、向かい側に控える野須ノ姫を見つめていた。

 彼女の顔と体は氷のように固まっているようにも思えた。

 ──野須ノ姫さんもこういうときには緊張するのね。

 そう思うと、天ノ宮の表情は自然と緩んでいた。

 天ノ宮は、今まで出稽古などで学んだものと、凜花から学んだいくつかの個有魔法と彼女の模倣能力により、それで相手に対抗した魔法と取り口で勝ってきた。

 中には危ない一番もあったが、運と実力でなんとか勝ち抜くことが出来た。

 そしてついに来たこの一番。

 今まで溜めてきた、野須ノ姫への貸しを返す時が来た。

 ──絶対にこの一番、勝ちますわよ。

 天ノ宮は決意を固めた。

 ──あの決まり手で。


 対する野須ノ姫は、土俵下で緊張の度合いを高めていた。

 ──ここで優勝するかしないかで、来場所の番付の位置が大きく変わる。

 勝ち越したので番付が上がることは確実だけど、優勝すればさらに番付は上がる。

 多分、幕下上位五番まで行くだろう。そこで勝ち越すか優勝すれば、悲願の十両復帰が果たせる。

 そのためには、目の前の相手、天ノ宮を倒さなければならない……。

 しかし。

 その天ノ宮が、問題だ。

 連合稽古のときにも見たけど、あの銀髪女、様々な個有魔法をそれぞれの一番で繰り出していた。

 ある時は、炎の個有魔法を。

 ある時は、氷の個有魔法を。

 またある時は、盾の個有魔法を。

 別のある時は、筋力増強の個有魔法を。

 とにかく、色々な個有魔法を使ってくるのだ。

 今場所あの小娘と対戦してきた相手は、それに惑わされて皆敗れた。

 彼女のあの多彩な個有魔法をどこで得てきたのか、私には全然わからない。

 でも、それに惑わされず、私は私の相撲を取るだけだ。

 ……む。

 なによあの小娘。

 私を見て笑っちゃってさ。

 許さない。またこの前みたいに、土俵に穴を開けて沈めてやるから。

 絶対に、そうしてやるわ。

 ……さて。二番前の一番が終わったか。

 心の準備を、しないと。


 その頃、月詠部屋では、

 鬼金剛や月詠親方、幕下以下や十両などで一番を終え、部屋に帰ってきていた女力士達などが、上がり座敷に置かれた、超大型映像受像機の前に集まり、これから始まる一番を待っていた。

「親方ぁ〜。もうそろそろはじまるぜぇ〜」

「そうかい。まあ、あたしが手塩にかけて育てたあの娘が、負けるわけないさ」

「指導したのは俺なんですがね……」

「なんか言ったか?」

「いえ〜、なにも〜」

 そう言ってとぼけた鬼金剛は、受像機の画面へと向き直った。

 そして画面に映し出された、女弟子の姿を見て、

 ──お前さん、ここまで来たんだ。やれることは十分以上にやれ。やれるだろ?

 と内心で思うと、酒を煽るのであった。


 また、マルヤマ国技館の花道では。

 凜花、希世乃姫、南洙の仲良し三人組が、花道奥から様子を眺めていた。

「あまっち大丈夫かな……? また前みたいに……」

「大丈夫よー。鬼金剛さんにもあれだけ厳しい指導と稽古を頂いたんだから、今回は大丈夫……、かな」

「でも、あまっち妙に勝負弱い所あるから……」

 ちょっと心配そうな、二人のやり取りに、凜花は自信ある顔で言い切った。

「大丈夫ですよ。天ノ宮センパイは。きっと、勝ちますから」

 どうして、という顔をする二人に。

 凜花は、その少年のような顔を、破顔させて応えた。

「センパイには、自分の大切なものを渡しましたから」


「美穂乃月関ー、もうすぐ天ノ宮の優勝決定戦ですよー? 見ますかー? 相手妹さんですしー」

 ヨシワラ国技館の、幕内女力士とその付き人でごった返している力士稽古場。

 その土俵のすぐ近くで四股を踏み続けている美穂乃月に、彼女の付き人が表示窓を向けながら言った。

「いらん。それより今日の一番の準備だろ」

 美穂乃月は、苛ついた声を上げながら付き人に応えた。

 実は彼女、既に負け越しており、残りの番を勝たなければ番付が危ういのだ。

 ひどい目に合わせようとした天ノ宮に逆にひどい目に合わされ、ろくに稽古も取れない状態で出場したので、この惨事も当然といえば当然であり、他人の優勝決定戦にかまっている場合ではない。

 それでも、少し表示窓の方を見やりながら、

「……美香には、いい一番を見せてもらわんとな」

 さらに一つ強く、四股を踏み締めた。


 マルヤマ国技館の升席では、天ノ宮が連合稽古で出会った秋津洲大学女子相撲部部員達が、固唾を呑んで、土俵下で一番を待つ天ノ宮を見つめていた。

「主将……、いよいよですね」

 天ノ宮にサインを貰った私立秋津洲大学女子相撲部員、巻島美依菜まきしまみいなが、隣にいる体の大きな女性にむかって、固唾を呑んで言った。

「うん。天ノ宮がどんな相撲を取るか、まったく、楽しみだね」

 体と同じく丸い輪郭の顔の女子相撲部主将は、どこか他人事のような顔で言った。

 主将は既に部屋を決めており、天ノ宮とは別の部屋に行くことが決まっていた。

 彼女は大きな大会で優勝経験があったので、幕下付け出し──最初から高い番付でのデビューが決まっている。

 そのためそう遠くない将来、天ノ宮は好敵手ライバルになるのだ。

 一方、美依菜も同様に別の大きな大会で優勝を決めていたので、幕下付け出しでのデビューが決まっている。

 彼女には、夢があった。いつか天ノ宮と大相撲で一番を取ることだ。

 以前、マルヤマ国技館に観戦に来た際、当時二段目を取っていた天ノ宮をひと目みてファンになった。いや、惚れた。

 彼女の顔と体つき、そして個有魔法がなくても大きな相手を寄り切る彼女の取り組みに、惚れたのだ。

 それ以来美依菜は彼女を目標に、というか恋愛の対象にして稽古に励んでいた。

 そんな彼女であるが、主将に向けて頬をふくらませる。

「主将……。もうっ、他人事ですね。幕下付け出しになるからって」

「巻島、お前だって幕下付け出しになるだろ。それにお前は幕下十五枚目付け出しじゃないか。今から彼女をよく観察しておけ」

「だってまだ私部屋決めていませんし。同部屋になるかもしれないんですよっ」

「別の部屋になるかもしれないだろ。移籍もあるし。まあ、観察眼を磨いておくのは悪くないぞ」

「そうですけどね。でも、今は天ノ宮さんを応援しましょう」

 美依菜は再び土俵を見つめると、心の中で、自分と体つきが似た若い女力士に、声援を送った。

 ──頑張って、天ノ宮さん。

 ちょうどその時、天ノ宮と野須ノ姫の取り組みの前の一番が、終わった。

 そして、次の一番が、始まるのだ。


「ひがーしぃー、のすのぉーひぃーめー」

「にぃしーぃー、あまのぉーみぃーやー」

 国技館の内外で様々な人が見つめ、注目している土俵に。

 抑揚をつけた声で呼出に呼び出され、天ノ宮と、野須ノ姫が上がった。

 天ノ宮が土俵に上がると、触れた足の裏から伝わる土俵の感触はいつもと同じような肌触りと湿り気を持っていたが、それでいてどこか違うような感触を持っていた。

 相手と向き合うと、これまでにない高揚感が心の中で湧き上がってくる。

 ──今までの、わたくしの人生は。今、この瞬間のためにあったのでしょう。

 そう言い切れるほどの感情だった。

 房下へ進み、四股を踏み、それから徳俵前へと戻ると、自然と野須ノ姫と目が合った。

 彼女の目は、憤怒の炎でいっぱいだった。まるで彼女が持つ個有魔法のように。

 天ノ宮はその眼を見つめながら、

 ──そうよね、野須ノ姫さん。あなたがそうなるのはわかっているわ。

 だって、あなたのその<魔法>。

 あなたの姉への、嫉妬から生まれたもの。だから、

 あなたの個有魔法の名前は<嫉妬のクリムゾン・ジェラシ>という名前なのよね。

 悠然と立ち上がり、また房下へと向かった。

 大地の女神から、力を吸い上げるように。

 国技館中に四股名と出身地、部屋名が放送案内を行う呼出によって告げられると、続けて、

「この一番の勝者は、幕下優勝となります」

 という案内がなされた。

 その知らせに、観客からは拍手が沸き起こり、声援が飛び交う。

「野須ノ姫ー! 勝って再十両しろよー!」

「天ノ宮ー! 負けるなよー!!」

「ふたりとも頑張ってー!!」

 老若男女問わず、二人に応援が飛び、館内はこの日一番の盛り上がりを迎えた。

 その中で、あのサインを貰った女子大生、巻島美依菜は、その小さく整った口を大きく広げ、手を添えると、

「天ノ宮さーん!! リラックスリラックスー!! 秋津洲大ファイト〜!!」

 と叫んだ。

 それに、周りの女子相撲部員はどっと沸く。

「それ、いつもやっている応援じゃないっすかー!」

「もう、美依菜ちゃんてば入れ込み過ぎなんだから……」

「天ノ宮さんはうちの部員じゃないんすよー」

 それに気がついて、頬を赤らめて下を向いた美依菜を見て、主将は、

「まあ、それだけ巻島は天ノ宮さんを応援しているということなんだよ。女相撲に進む者は、そういう応援者ファンを大切にしてやれよ」

 そう言うと、美依菜の肩を叩き、

「ほら、大事な一番が始まるぞ」

 とだけ言うと、再び土俵へと強い眼差しを向けた。

 その言葉に、美依菜も同じように顔を上げると、土俵上の、自分にどことなく似た感もある銀髪の乙女力士の姿を見つめるのであった。

 ──負けないで、天ノ宮さん。


 土俵上では、相変わらず女力士や行司による所作が執り行われていたが、いつもの所作と違うところがあった。

 それは、土俵のそれぞれの房の下に、塩の入った箱が置かれ、天ノ宮と野須ノ姫が房の下で四股と塵手水の所作をした後に清めの塩をつまみ、土俵に撒く、という所作が加わっていたことだった。

 これは、十両や幕内ではいつも行われることであるが、幕下では相撲の進行が早くて時間に余裕がある場合や、このような特別な一番の時に行われる所作なのだ。

 野須ノ姫は、わらで編まれた塩箱から塩をつまむと、少しだけ自分の体にかけた。

 十両の時によくやっていた、まじないだった。

 そして、土俵に塩を軽くまきながら、ぽんぽん、と手で自分の黒色の廻しを叩き、仕切り線前へと向かう。

 その時、館内が湧いたので、ん、と思い、相対する側を見ると。

 天ノ宮が片手にいっぱいの塩を持ち、そして。

 どばあっ!

 と天高く放り投げた。

 白い塩が、放物線を空中に描き、土俵へと波のように、吹雪のように落ちていく。

 そして、天ノ宮は無邪気そうな笑顔を見せると土俵へ入り、高々と綺麗に足を上げ、四股を踏む。

 その無邪気さに野須ノ姫は、

 ──この銀髪娘が……!

 と、どこか悔しさをにじませながら、しっかりとした四股を踏んだ。

 そして、仕切り線で手を付ける。

 二人の女力士は、睨み合う。

 天ノ宮の顔には、先の無邪気さは消えていた。

 両力士はもう一度房下へと戻り、呼び出しからタオルを貰って体を拭き、返した。

 その時、土俵下の時計係の審判が、時間制限を告げた。

 館内が大きく湧き上がる。

 天ノ宮、あるいは野須ノ姫へと飛び交う声援の声が、国技館内に乱反射して響き渡る。

 二人は最後の塩を巻いた。

 野須ノ姫は先ほどと同じように、天ノ宮は先程よりもだいぶ少ないが、それでも多めの塩を巻いた。

 そしてお互い土俵に蹲踞し、廻しにぶら下げた下がりを左右に分けて腰を下ろす。

 野須ノ姫は、仕切り線に比較的近いところに手を付けたが、天ノ宮は、かなり離れたところ、極端に言えば徳俵に近いところに腰を下ろした。

 野須ノ姫は、それを見て顔をしかめた。

 ──あいつ、なにか仕掛けてくるな。突進して何か魔法を使うのか? それともこちらが突進してきたのを見て変化か?

 それとも……。

 まあいい。十分落ち着いて見れば対応できる。それに相撲は自分との戦いだ。相手に合わせる必要はない。自分の相撲を取るだけだ。

 自分に言い聞かせるように、野須ノ姫は片手の拳を土俵につけた。

 対する天ノ宮も、ゆっくりと片手の拳を土俵の黒茶色の土へと下ろす。

 それを見て、向正面に位置する女行司が軍配を下ろしながら、張り上げた声を放った。

「手をついて待ったなし!」

 その声に、天ノ宮はすぐさま反対の手をつけた。

 そして、わずかに体から魔力をにじませる。

 反対に野須ノ姫は、魔力は盛大に体から放出させるが、手は下ろすか下ろさないか、何度か逡巡した後──。

 スッ。

 と高速で手を下ろした。

 その瞬間、土俵の魔法陣が赤と、七色の虹色に輝き出した。

 と同時に野須ノ姫は弾かれるようにその場から立ち会い、天ノ宮へと向かっていった。

 即時に土俵上を見た行事装束に身を包んだ女性は、聖なる掛け声をかけた。

「ハッケヨイ!」

 と同時に、腕からは魔法の火が勢いよく吹き出ていた。

 彼女の個有魔法〈クリムゾン・ジェラシ〉だ。

 が。

 天ノ宮は、椅子から立つようにその場に立ち上がった。

 何事かと、土俵を見つめていた誰もが思った。

 そして次の瞬間。

 彼女は両手を引いた。

 そして瞬時に力を溜め──。

 双方の腕を突き出した。

 刹那──。

 彼女の両腕に、氷の盾が現れたのだ。

「!!」

 野須ノ姫は瞬時に足を止めた。そして、その場で踏ん張る。

 しかし、時既に遅く。

 天ノ宮の、双腕の前に生み出された魔法陣が野須ノ姫へと衝突する!!

「ノコッタ!」

 行司の掛け声とともに、野須ノ姫の体で氷の魔法の盾が割れ、爆発が二つ生まれた。

 その爆発に、野須ノ姫は足を前後に広げて踏ん張る。

 それでもなお、彼女の体は揺らぐ。

 その爆発に間髪淹れず、天ノ宮は冷気をまとった魔法の盾を生み出し、野須ノ姫へと向かってぶつける!

「くぅ……っ!」

 ──氷の魔法の盾!? あの時の魔法の盾じゃない!?

 いやこれは……!? 〈個有魔法同時発動〉の個有魔法か!?

 野須ノ姫は、その氷の魔法の盾を炎のかいなで打ち壊す。

 だが、次々と魔法の盾は生まれて彼女に襲いかかる。

 野須ノ姫は、土俵上で円を描く動きをしながら応対しつつ、次の手を探るのであった。

 

「あれ、なんなの!?」

「あんな個有魔法、見たことないんですけど!?」

「さすが女子大相撲ね……! 見ておくのよ、私達が戦うことになる土俵というものは、ああいうところだってね……!」

 マルヤマ国技館の枡席で、私立秋津洲大学女子相撲部の部員たちは、天ノ宮が取った見たことのない戦法に騒然となっていた。

 天ノ宮の周囲から放たれる魔法陣の群れに、野須ノ姫は防戦一方だ。

 部員たちの喧騒をよそに、美依菜は冷静に土俵上を見つめていた。

 ──あの氷の魔法の盾、天ノ宮さんの魔法ではなくて、別の人の魔法を合わせたようなものの気がする……。これって、やっぱり……。

 そう思うと、目を細めるのであった。


「あれ、あまっちが特訓してたやつだよね? 氷の魔法の盾作るの」

「ええ、そうよー。対野須ノ姫さん用に取っておいた切り札よー」

 西の花道から攻防を眺めつつ、南洙と希世乃姫はそう言い合う。

 その二人の会話を横で聞きながら、凜花は冷静に土俵を見つめていた。

 ──今のところはうまくいっているけど、野須ノ姫さん、早くも対処しているような……。

 彼女の顔に、一抹の不安が走った。


「ノコッタ! ノコッタ!」

 天ノ宮の氷盾連続攻撃に、彼女に近づけずにいた野須ノ姫だったが、

 ──こうなったら、久しぶりにあれをやるか!

 そう思い、炎をまとった腕を引き、拳に力を入れた。

 そして、飛んできた氷盾へと突き出す。

 すると、突き出した手のひらから紅蓮の炎球がいくつも飛び出し、煙の尾を引きながら氷色の盾へと突き刺さる。

 氷盾は勢いに負けたように割れ、炎球の一つが天ノ宮の体へと衝突した。

「ぐぅっ!」

 天ノ宮がわずかにうめき声をあげ、体をそらす。

 それを見た野須ノ姫は、

 ──好機チャンス

 と心の中で叫ぶと、すばやく交互に腕を薙ぐように突き出す。

 すると、その薙いだ軌道上に火球が幾つも現れ、次々と天ノ宮へと飛んでいく。

 しかし天ノ宮も負けじと、氷盾を次々と飛ばして対応する。

 二人の間で激突し、壊れ、すり抜け、相手に当たる炎球と氷盾。

 相手のチカラの衝突によって、お互いの体に爆発と痛み、衝撃が走り、傷つけあう。

「おおっー!」

「いいぞいいぞー!」

「ふたりともすげーっ!!」

 土俵上で繰り広げられる魔術相撲戦に、観客は大いに熱狂していく。


 その中で、美依菜と凜花は、別々の場所で同じことを考えていた。

 ──天ノ宮さん(センパイ)の足が止まっているどころか、下がり始めてる……。

 と。

 天ノ宮の氷盾を生み出す速度も早いが、それ以上に野須ノ姫の火球を生み出す速度が早く、その数も大量なので、天ノ宮は後手後手に回り始めているのだ。

 火球の集中砲火に対し、天ノ宮は左右に動きながら対処しているが、徐々に後ろへ下がりつつあり、また野須ノ姫との距離も近づいているのだ。

 凜花はそのさまを見ながら思った。

 ──事前の打ち合わせでは。

 ある程度近づいたあと魔法を切り替えて、火と氷の個有魔法を用いて体を凍りつかせて濡らし、相手をいなして後ろへ回るはずだったのに。

 でもこれじゃ近づきすぎて、逆に相手に廻しを引かれる……。

 このままじゃ……。

 それぞれ離れた場所であったが、凜花も美依菜も、拳を同じ様に握りしめていた。

「センパイ……」

「天ノ宮さん……」


「ノコッタ! ノコッタ!」

 状況は相変わらず、魔法突きの回転は野須ノ姫の方が上であり、彼女は次第に天ノ宮へと距離を詰めてきていた。

 そして、彼女は押すようにではなく掬うように腕を動かし、火球を飛ばした。

 下から上へと飛んだ火球は、氷盾と氷盾の間をすり抜け、天ノ宮の体を下から直撃した。

「くぅっ……!」

 天ノ宮の体が一瞬のけぞり、動きが止まる。

 それが野須ノ姫の狙いだった。

 それから火の力を飛ばすのではなく、自らの身体へと注ぐ。

 そして、その力で肉体を強化し、足をすり足で走らせる。

 野須ノ姫はあっという間に天ノ宮の懐へと飛び込むと……。

 天ノ宮の両廻しを取った。右上手だ。

 同時に天ノ宮も野須ノ姫の廻しを取るが、その前に野須ノ姫は一気に前へ出る!

 ──取れた!

 股間にじわっと来る快楽を感じながらも彼女はしめた、と思った。このまま寄り切ってしまえば、私の勝ちだ。と確信した。

 抵抗を感じながらも構わず出る。

 そして相手の足が、俵にかかった……、ように思えた。

 その時だった。

 ずん、と、天ノ宮の体がひどく重くなったように感じられた。

 冷たいものが一つ太く、野須ノ姫の背筋を走った。

 そして気がつく。自分の足が土俵から離れていることに。

 体が強引にひねられていく。視界がぐるっとまわる。

 ──これは。

 と思う間もなく。

 彼女は土俵下へと落ちていった。天ノ宮とほぼ同時に。


「勝負あった!」

 女性行司の軍配が上がった。

 彼女が指し示したのは……。東、だった。

「天ノ宮さ!」

「センパイ!!」

 客席と西側の花道奥で、美依菜と凜花が同時に悲鳴を上げた。

 勝負あった、かに見えた。

 しかし。

 土俵下の着物を着た女親方による審判数名の手が、さっと上がる。

 物言いがついたのだ。

 物言いとは、行司の判定に納得がいかない場合、異議を申し立て、それを審判と行司が相談して最終的な判定を下す、というもので、この判定には取り組みを録画した動画による判定も使われる。

 ちなみに、異議申し立てしてよいのは審判だけでなく力士もして良いことになっている。元の世界の大相撲でも、この事例がいくつか残っているという言い伝えがある。

 それを見た女行司は、土俵から落ちて東西に分かれた二人を土俵下へ下がらせた。

 入れ替わりに六名の女性審判(親方)が土俵に上がる。

 土俵の房下へと戻った野須ノ姫は、廻しに下がっている下がりをもぎ取るように取った。

 協議の結果、もし取り直しとなれば、下がりは取らなければいけないのだ。

 彼女は息を荒く吐きながら、協議が行われている土俵上を見つめながら、呆然としていた。

 ──勝ったと思ったのに。

 土俵際で投げられた。ものすごい力で。あれも彼女の持つ魔法なのだろうか。もしそうだとすれば、あれは共通魔法ではない。個有魔法だ。

 なんてことだ。彼女はいくつ個有魔法を持っているのか。

 それに、あの投げ方。

 彼女はわざと自分と同時に落ちるように投げたに違いない。

 つまるところ、彼女は逆転を狙って投げを打ったのではない。

 取り直しになるように狙って投げを打ったのだ。

 勝ちたければ、そのままうっちゃればいいのだ。それで勝てるだろう。

 しかし、そうしなかったということは──。

 この勝ち方で、勝ちたくなかったということだ。

 彼女が狙う勝ち方は──。

 その時、協議が終わり、審判たちが土俵下へ戻った。

 そして、行司と向かい合った形で座っている振り袖を着た女性審判長が置いてあった魔導集音器マイクを手にすると、場内に向かって説明し始めた。

 東西の力士だけでなく、国技館にいる誰もが固唾をのむ。

「只今の一番、行司は東方力士の勝ちと判定いたしましたが、東方の体が落ちるのと西方の体が落ちたのが同時ではないかと物言いがあり、協議した結果──」

 そこで野須ノ姫は背筋を伸ばした。

「東方と西方の力士が落ちるのが同体であると認め、取り直しとします!」

 最後の一言にマルヤマ国技館の観客が一斉に沸く。

 その歓声に取り囲まれながら、野須ノ姫は安堵とも諦観とも取れるため息を吐き、土俵へと再び上がる。

 ──土俵を支配していると思っていたら、支配されているなんてね。

 まったく、この娘は底知れないよ。

 そう思いながら、房下で柏手をうち、四股を踏んだ。


「この一番、取り直しにござりまする〜」

 行司の発声を聞きながら天ノ宮は内心でふうーっ、と大きく息を吐いた。

 股間から駆け上った心地よいしびれが頭を巡っていた。

 ──南珠の<怪力>の個有魔法のおかげでなんとか取り直せました……。

 この相撲、わたくしの思い通りにならなかったから、取り直しにしたけれども。

 野須ノ姫さん、気がついたようですね。

 彼女は白線前で蹲踞し、相手の目を見つめた。

 そして低く構え、手をつく。

 ──別にうっちゃって勝っても良かったわ。

 でも……。

 わたくしの望んでいる勝ち方はこの勝ち方ではないわ。

 わたくしの望んでいる勝ち方は……。

 そう、借りを返したいのよ。先場所の貸しを。

 そして見てなさい。美穂乃月。

 内心で強く思いながらもう一度立ち、房下へと向かう。

 場内の歓声が、心地よかった。


「巻島、気がついたか」

「ええ」

 巻島美依菜と秋津洲大学女子相撲部主将は土俵上を見つめながら言い合った。

「天ノ宮、わざと同体にしてきたな。タイミング的にもう少し前で投げていればうっちゃりが決まっていたが、そうはしなかった。あれができるのは、男の大相撲力士でもそうはいないぞ」

「ええ、恐ろしいですね。本当に」

 美依菜はそう言うと主将を見た。彼女は微笑んでいた。

「でも、恐ろしいからこそ、ますます対戦してみたくなってきました。サインしてもらった時は一緒の部屋に入ろうかと思っていましたけど、やっぱり月詠部屋に入門はやめておきます。親方に、断りの電信を入れておかないと」

「さあ、取り直しの一番だ」

 土俵上では、時間制限の声がかかろうとしていた。


「手をついて待ったなし!」

 土俵上で一番をさばくさばき手が、軍配を返してそう告げる。

 土俵上の天ノ宮は、土俵上で蹲踞すると、ふうっと、息を吐いた。

 眼の前には、野須ノ姫が厳しい表情でこちらを見つめている。

 しかし、その厳しさは、天ノ宮へというよりも、自分自身に向けられているようだった。

 天ノ宮は相手が腰を据え、片手をつけるのを見ながら思った。

 ──わたくしが望む手で勝つなら。

 まず相手に背中を向けさせなければいけない。

 そのためには……。

 彼女はそう思うと、魔法を二つ選択した。

 そして体に集中し、魔力を吹き出させる。

 それを見てか、炎の個有魔法の使い手も炎をまとった魔力を体から吹き出す。

 土俵の魔法陣が紅と虹色に染まる。

 やる気十分。それを感じさせるように、野須ノ姫は残りの手も土俵につけた。

 その瞬間。

 天ノ宮はすばやく両手を土俵につけ、立ち合った!

 野須ノ姫も天ノ宮にすばやく反応し、立ち合う。

「のこった!」

 二人の頭がぶつかりあう。そしてお互いに押し合うように身を起こす。

 とりあえずは組みたい。判断すると、天ノ宮は腕を動かし、わずかに顔を張る。

 野須ノ姫の顔、そして体がのけぞる。土俵際まで後一歩というところまで押す。

 その隙に天ノ宮は両腕を相手の脇の下へ入れた。

 しかし、左回しは取ったものの右廻しは取れず、相手の脇を押さえるにとどまった。

 それを見てか、野須ノ姫は右腕を天ノ宮の右腕の上から伸ばして廻しを取る。

 右上手の体勢だ。左も下手を取った。

 そしてそのままの体勢で圧力をかけてくる。天ノ宮はくっ、としながらもこらえる。

 そのときには、もう魔法は既に発動していた。

 野須ノ姫から習得していた炎の個有魔法と、氷雪華から習得した氷の魔法だ。

 氷の魔法で薄く体に氷の膜を展開し、それを炎の個有魔法で溶かす。

 一見矛盾する魔法の発動だが、それには意図があった。

 氷の膜が熱で溶け、液体となって体を流れていっているのだ。

 天ノ宮は肌でそれを感じると、内心ほくそ笑んだ。

 ──よし、上手くいっている。

 そう思いながら、野須ノ姫の寄りをこらえる。

 そして相手の寄りをこらえつつ、自らの右腕を伸ばし右回しの深く掴んだ。

 両足を前後に開き、そのままこらえる。こらえ方としては理想に近いやり方だ。

 一方、野須ノ姫の足は左右の足がほぼ揃ってしまっていた。これでは力が出しにくい。

 天ノ宮はこの体勢をしばらく維持することを選択した。型はないと思っていた自分だったが、こうやって四つになって長い間相撲を取るのは苦ではなかった。

 脇を締め肩も遣い、体に力を込め腰で踏ん張り、相手の動きを封じる。

 そうするだけでも、相手は体力を消耗するはずだ。

「はーい、はっけよいー……」

 耳元で行司の掛け声が聞こえてくる。

 さらに相手の荒い息遣いも聞こえてくる。自分のため息のような息もだ。

 行司の動きを促す掛け声が何度繰り返されただろうか。

 天ノ宮の体には滝のような素と酸素の化合物が流れ、廻しをも濡らしていた。

 野須ノ姫は何度か体を動かしていたが、明らかに様々な液体が入り混じったものを嫌がっているようだった。無論、天ノ宮が四つをこらえていることも。

 ──さて、どうするの?

 天ノ宮がそう思ったときだった。

 彼女の片足が、ふわっと浮いた。野須ノ姫が強引に投げを打ってきたのだ。

 投げを打ち、位置を逆転でもさせようとしたのだろう。

 しかし天ノ宮は、こらえて前へ出ようとした。

 投げの結果、天ノ宮と野須ノ姫の位置は逆転したものの、その投げの力を利用して天ノ宮は前へ出た。

 ──よしっ!

 さらに筋力増強の個有魔法を発動させ、一気に前へ出る。

 野須ノ姫も魔力を吹き出させてなんとか食い止めようとするが、足が揃っていることもあり、うまく力が伝わらない。

 おまけに左下手も切られてしまう。

 結果、野須ノ姫は土俵黒房下まで追い詰められた。

 そこで野須ノ姫は、起死回生の右上手投げを放った。その投げは強烈で、彼女の片足を中心に天ノ宮の体が半周周り、天ノ宮は西方白房下まで逆に追い詰められた。

 しかし、天ノ宮にとって。

 それは待ち焦がれていた機会だった。


 ──いまよ!!


 野須ノ姫が強引に投げを打ったおかげで、体が大きく開き、さらに天ノ宮が体にかけた氷と炎の個有魔法や自らの汗などによって出来た液体のおかげで野須ノ姫の手が滑り、大きく脇が開く。

 その時を彼女は狙っていたのだ。

 天ノ宮は脇の下から体を強引に入れ、廻しに手をかけると、その力を利用してくるりと野須ノ姫の体を回転させる!

 一瞬野須ノ姫の手が天ノ宮の首にかかるが、それをするりとくぐり抜け、相手の後ろへと回り込む。

「あっ……!?」

 野須ノ姫が、一瞬声を上げた。

 天ノ宮は、この時を待ち焦がれていたのだ。

 自分がやられたことを、相手にやり返す機会を。

 その事に気がついた野須ノ姫は、天ノ宮に組み付かれながらズルズルと前進し、土俵中央へ行き、ほどこうともがく。

 しかし、後ろから前廻し奥深くを掴んだ天ノ宮は腰を深く沈め……。

 そして、相手の身体を高々と吊り上げる。

「うわあああ!?」

 野須ノ姫は足をばたつかせて抵抗するが、天ノ宮の腕と体は少しもゆるぎもしない。

 天ノ宮の股間から頭部へ向かって雷のような強いしびれが走ると同時に、股間にある大事なものから生温かい何かが吹き出るのを感じた。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 そして……。

 魔力を全身から吹き出させると、全力全開で土俵に叩きつけた。

 どがぁんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!

 轟音とともに土俵に大きな穴が空き、土煙が湧き上がった。

 その土煙が消えると。

 土俵に、大きな穴が空いていた。

 その穴の中央には。

 野須ノ姫が、背中を表にしてのめり込んでいた。

 天ノ宮は文字通り、野須ノ姫を土俵に沈めたのだ。

「……し、勝負あった!!」

 穴の際で、行司が軍配を上げると。

 一瞬の後、国技館中に、嵐のような大歓声と拍手が沸き上がった。


 そして、その歓声は月詠部屋でも。

「やったー!! 天ノ宮はやりましたよ!!」

「流石はあたしが育てた力士だなっ」

「月詠親方、俺が育てたんですけど……」

「なんか言ったか?」

「いーえ、なにも」


 マルヤマ国技館、西の花道の奥でも。

「やったー!! あまっちがやったよー!!」

「勝ちましたわね〜!!」

「センパイ……」


 ヨシワラ国技館の稽古場でも。

「勝ちましたね! 天ノ宮が!」

「……美香。よく頑張ったな」


 マルヤマ国技館の、秋津洲大学女子相撲部員が陣取る枡席でも。

「キャーーーーーーーーッ!!」

「……勝ったか。良かったな、美依菜」

「天ノ宮さん……! やりましたね……!」


 それぞれの場所で湧き上がった。


 その土俵の中央。

 湧き上がる歓声に、一瞬天ノ宮は呆然としたが、しかし、すぐさま湧き上がる熱い思いに、強くかられる。

 体全身を走る電流のような心地よいしびれと、股間のぬるみを感じながら、軽く穴の縁を走り出し、感情を爆発させるように大きく片手を動かしガッツポーズを作って、何度か飛び跳ねた。

 ──勝った! わたくし、勝ちました!!

 そう叫びたくなる気分を抑えながら、笑顔で穴をぐるりと回り西の徳俵前へと戻る。

 その際、審判長から注意をもらうが、そんなことはどうでも良く(良い訳はないが)、気分が高揚する中、

「あまーのーみやー」

 と穴を隔てて行司から勝ち名乗りを受け、胸を張って土俵を降りた。

「只今の決まり手は、送り吊り落とし。送り吊り落として、天ノ宮の勝ちであります」

 独特の抑揚をつけた呼出の放送を背中に受けながら、西の花道を下がると、

「天ノ宮ー! おめでとー!」

「十両昇進決まったな!」

「優勝おめでとーーーーーーーーーーーー!」

 と頭の上から次々と声が飛んできた。

 ──ふふっ。これが優勝したということね。

 天ノ宮はその歓声と拍手に応えながら、笑顔で手を振っていたが。

 ──あれ、わたし……。

 頬に違和感があった。

 気づけば、両方の目の端から、熱い雫が流れているのに気づいた。

 ──わたくし、泣いている……。勝ったのに……。もう。

 天ノ宮は、自分は、本当に泣き虫だな、と苦笑いしながら視線を上げると。

 視線の先には、浴衣姿の、仲良し三人組が笑顔を見せて待っていた。

 その真中にいた凜花が、心から本当に嬉しそうな声で、

「センパイ、優勝、おめでとうございます……」

 そう言うと、ゆっくり近づいて、天ノ宮を優しく愛おしく抱きしめた。

 そのぬくもりに、天ノ宮は少し驚きを抱いたが、その優しい暖かさに心がじんわりして、

「ありがとう、凜花……」

 そう返すと、彼女も抱き返した。

 しばらく抱き合っていた二人だったが、

「さあ、行きましょう。奥で記者たちが待っていますし」

 抱擁を解くと、凜花がそう誘った。

 そう。この花道の奥では、集音器マイク録音機レコーダー光学撮影機カメラなどを持った記者たちが待ち構えているのだ。

 ──さて、これから囲み記者や動画放送の聞き取り取材ね。しっかりしないと。

 そう思うと、天ノ宮は手で頬を拭き、背筋を伸ばした。

 そして、みんなと一緒に歩き出した。


 囲み記者との取材や、放送局の優勝聞き取り《インタビュー》などが一通り終わった後で、天ノ宮たちは、支度部屋にようやく戻った。

 そして、四人で上がり座敷の畳に腰を下ろすと、自然と笑みがこぼれる。

「ふふっ……、やったねセンパイ……」

「やりましたわね……」

「あまっち……」

「ふふふ……」

 そして、まるで火山の噴火のように、喜びを溜めた後で突然、

「いえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!」

 と叫ぶと、お互い手を合わせ、打ち鳴らした。

 その後で天ノ宮が、大きく息を吐き、肩をなでおろし、

「これでようやく、お菓子がいっぱい食べられるー!」

 と言うと、畳に背中から倒れ込んだ。

 本当に、つきものが落ちたと言うような顔で。

「お疲れ様〜。天ノ宮ちゃん」

 希世乃月が、のんびりとした顔を笑顔にして言った。

「ようやく待ち望んだ十両昇進だからねー。あまっち」

「まあしばらくゆっくりと休んで、それから十両に備えての稽古だね」

 南洙と凜花が、そう笑いあったときだった。

「……ちょっと失礼する」

 突然、硬い口調の女性の声と裸足の音が支度部屋へと響いてきた。

 誰、と天ノ宮が起き上がり、三人とともに入り口の方を見ると。

 黒い組衣に黒廻し姿の、野須ノ姫だった。

 肌のあちこちには、赤い傷跡が付き、黒い痣がいくつもできている。

 彼女の頬にも、傷と痣ができており、激戦の後を物語っていた。

 彼女の顔は、無表情だった。

 その無表情さに、天ノ宮以外の三人は思わず身構えたが、天ノ宮は、表情を変えずに野須ノ姫を見つめていた。

 かまわない、というように野須ノ姫は天ノ宮に近寄り、前で立ち止まると、

「……おめでとう。私の完敗だよ。これで貴女は十両昇進だね」

 そう言って、片手を差し出した。

 彼女の顔が緩む。

 ──ああ、おめでとうと言いに来たんだ。本当は悔しいのに。

 天ノ宮は一つ頷くと、自分も手を差し出し、相手の手を握った。

「ありがとうございます。……野須ノ姫さんだって、本当に強かったですよ」

 そう言って手を離すと、天ノ宮はさらに破顔した。

 その歓びで満ちた顔に、さばさばとした表情で、野須ノ姫は返す。

「そう言われると私も嬉しいな。でも、負けは負け。これでまた一つ目標が増えたわ。十両に上がって、貴女とまた相撲を取ること。今度はきっと勝つからね」

「ええ、今度も、負けませんからね」

 そう応え、天ノ宮はひどく不敵で、意地の悪い笑みを浮かべた。

 その時、凜花の前に表示窓が突然現れた。

 凜花は少し驚いた顔で、その窓を見、

「はい……、はい……、ありがとうございます! え……? はい、はい、はい、伝えておきます。それでは、失礼いたします」

 そう画面の向こうの誰かと会話すると、表示窓は現れたときと同様に突然消えた。

「誰から?」

 天ノ宮が尋ねると、凜花は嬉しそうな顔で、

「美穂乃月関からです! 天ノ宮、優勝と十両昇進、おめでとう。いい相撲をしたなって、って褒めてくれました!」

 そう言って笑った。

 それから、野須ノ姫の方を向き、告げたいことがある、という顔で言った。

「あ、あと野須ノ姫さん」

「なんだ?」

「お姉さんから伝言ですよ。『美香、最後までよく頑張ったな。今度部屋に来い。稽古をつけてやる』……ですって」

 突然の、姉からの優しい言葉に。

 野須ノ姫こと野須美香は、その瞬間、呆然としたが、すぐ手で顔を覆った。

 そして嗚咽の声を上げ、立ち尽くしながら泣き続けた。

「うっぐ、ねえさん……! ねえさん……! えっぐ……! えっぐ……!」

 普段の強気な態度の彼女とは思えない、態度と泣き声だった。

 野須ノ姫の号泣に、南洙と希世乃月は最初びっくりした顔を見せたが、事の次第を知ると、彼女らも笑顔で野須ノ姫の姿を見守った。

 それは、生まれた赤ん坊を見守る家族のようでもあった。

「良かったわね……。野須ノ姫さん……」

 天ノ宮も、本当に羨ましいというような優しい声で祝福した。

 そしてその姿を見ながら、内心では、別の色を見せていた。

 ──野須ノ姫さんは、姉に認められたかったのね。

 だから今までこうして頑張ってきたのよね。

 ……でも、勝ったのはわたくしなのよ。

 そして。これでようやく、本当のことが言える。

 ……鬼金剛師匠に。

 そう決心すると、天ノ宮は拳を強く握りしめた。

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